【歴史旅】下関・幕末維新の史跡をめぐる旅/ 歴史好きのひとり旅 東行庵 功山寺 高杉晋作 関門海峡ほか)
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- เผยแพร่เมื่อ 24 ก.ย. 2024
- 旅の最終日は下関
長州藩に関連する幕末の大きな事件は主に京都と下関で起こったのですが、今回は下関に残る史跡を散策してゆきます
この日はGWで市街地周辺はとても混雑しており、少々予定を変更せざるを得ませんでした。。
それでも自分のイメージしていた通りの動画へ仕上げることはできたと思います
動画の間隔が長期間空いてもコメント頂けることが度々あり、いつもありがたく拝見しています
ありがとうございます
この動画で訪れた場所
・東行庵(2:06)
・功山寺(32:13)
・長州藩下関前田台場跡 (49:16)
・みもすそ川公園(53:19)
・火の山公園(57:52)
・白石正一郎旧邸跡(1:08:40)
・高杉晋作終焉の地(1:10:31)
・萩藩新地会所跡(1:12:11)
・桜山神社(1:13:15)
【参考資料】
成立から倒幕まで 長州藩 志士たちの生き様 (サンエイ新書)
山口県の歴史散歩 山口県歴史散歩編修委員会
幕末の長州―維新志士出現の背景 田中 彰
松下村塾 古川 薫
高杉晋作 情熱と挑戦の生涯 一坂太郎
山口県謎解き散歩 古川 薫
地図でスッと頭に入る幕末・維新 昭文社 出版 編集部
幕末長州藩の攘夷戦争―欧米連合艦隊の来襲 古川薫
長州戦争―幕府瓦解への岐路 野口 武彦
長州奇兵隊―勝者のなかの敗者たち 一坂太郎
#幕末 #旅 #史跡
とても面白かったです。
行った所もありましたが詳しい解説でわくわく倍増です!
また次を楽しみにしています。
カーテン開けたら喜の文字が!
新年早々縁起がいいと思いましたが、また大きな地震が起きてしまいましたね…😢
山口県見応えありました。
今回は特に知らないことばかりで、回を追うごとにAsさんは何者なんだろう?という思いが強くなっています。
いつの世にも歴史に埋もれてしまった人たちが居て、そういう人たちのおかげで今の日本が成り立っている。その方達への感謝の気持ちが伝わります。
今回はお食事のシーン無くて残念でしたが(お昼抜きでよく持ちましたね!私には無理です。)バイクの音と流れる景色で楽しませて頂きました。
ありがとうごさいました。
また次の動画、首をながーくして😊お待ちしています💞
明けましておめでとうございます。
被災地の様子があまり伝わっていない気がするので心配です。かといって何もできないですが、、
動画ご覧いただきありがとうございました。
私は何者??ほんとにごくごく普通の人です笑
歴史と旅行が好きでたまたまこんな動画を作ろうと思い立ちました。
あと自分が「こういうのが見たい‥!」という動画を作ってるのもあるかもしれません。
編集技術もこれが限界です笑
でも想いを込めてというか、何かが伝わればいいなという感じで自分なりに作成させていただいてます。
いや〜、良かった、良かった。
私の地元ですが、まだまだ知らない事がテンコ盛りでした。
所で高杉晋作は「遺言」に依って吉田の地に墓所を設けられたと有りましたが、初耳でした。先が無いと悟って遺言を残す事は多々有ること。かなり以前に歴史書で晋作の終焉の地で息を引取る間際の言葉が、「ヨシダ、ヨシダ」と2回口にして息を引取ったとありました。その「ヨシダ」とは我が師の「吉田松陰」を言ったものなのか、はたまた騎兵隊を立ち上げた地の「ヨシダ」なのかは誰も知る由も有りません。
それが現在の墓所である吉田なのは何故かな?とも思いました。
それと最後のほうで「私たちが生きる今へと確かにつながっています」と有り、それまで幾多の命が犠牲に成り今日が有ります。だが、今の日本の事情を鑑みると果たして多くの犠牲に成った方達はどう見るで有ろうかと沈思再考の日々です。
コメントありがとうございます。
動画中、高杉の墓所について説明板には遺言とありいくつかの書籍にもそのようにありました。が、詳しい内容がわからなかったので字幕にはいれませんでした。
私もほんとに全然勉強不足で申し訳ないですが、これからもできるだけいろんなことを伝えていけたらなと考えています。
またよろしくお願いします。
@@chbyas4096 さんへ
コメント、有難う御座いました。
何を言われますやら。
良く勉強をされて居ますね。で無いとあれだけの事は話されませんよ。 これからも次の動画、楽しみにしています。
私の実家は、奥羽越列藩同盟に加わっていた二本松藩がある場所です。なのでどうしても旧幕府側や会津藩に肩入れしがちになります。
『会津の古老が語る“先の大戦”は第二次世界大戦ではなく戊辰戦争のことを指す』『会津では長州藩の者とは結婚しない』などと都市伝説のような話もあるほど、長州藩の事はタブーの扱いをされていたと思います。
もちろん令和の今ではそんな事はありません笑。
なので、今回は長州藩を別角度で見て、どの藩でも多くの犠牲や悲劇があったのだと学ばさせていただいた動画でした。
(かつ、旅するような気持ちになれる動画でした。)
コメントありがとうございます。
肩入れしてしまうのは当然のことだと思います。
別角度ということですが、私も歴史を調べる時はいろんな角度からみるように、大勢ではなくできるだけ人に焦点をあてていくよう意識しています。そちらのほうが真実のような気がするので‥
旅をしたような気分になるとのお言葉とても嬉しいです。
この二本松藩の方々は会津に近いお考えなのでしょうか?二本松少年隊は、有名な白虎隊士と比較にならないほど大きな戦果をあげたものの、本当に悲惨な戦いを強いられました。
二本松の悲劇のポイントは4つ。
・会津藩が佐幕か勤皇かで決断ができない二本松藩の安積郡の村々が略奪・焼き討ちなどの威嚇行動を行い、小藩、二本松藩は勤王と言う選択を封じれた。
・白河城は幕府から二本松藩からの預かり地で藩兵が守備していたところに会津藩が侵攻、以来、その後の会津藩に逆らえない、二本松藩は白河に戦力の大半を置いたので、二本松城を護衛するのは老人子供となってしまった。
・家老の丹羽一学が藩主を仙台藩に避難(事実上人質)させたことで、降伏の選択を封じられたこと。戊辰政争で唯一、城を枕に城兵は討ち死にせざるを得なかった。
・伝統的な「入れ年」制度で年齢は2歳のサバを読むことを許されていたが、藩は15歳までが出撃を命じたので、この制度で実質13歳までが戦場に送り出されてしまった。
たった一人が始めた戦いに、伊藤博文の加勢があったとしても、その数84名による決起。普通なら藩の正規軍に勝つはずがないと思うのだろうが、まさに維新回天の義挙。そして、クーデータ成立後、幕府の圧倒的な兵力差を撥ね退け、長州は勝利を収め、幕府瓦解の先駆となった。
既に、小説その他で人気となった坂本龍馬の果たした役割が過大評価(薩長同盟は福岡藩士の仲介で事実上成立していた)だったと言われるようになった今、高杉晋作は時代を開いた第一の英雄なのでしょう。
私は第一次長州征伐後、長州藩は守旧派に牛耳られていて、高杉は破れかぶれの決起をしたと思っていましたが、四国連合艦隊との戦いで上級武士が弱いことを知り尽くしていた高杉(彼も上士出身だが)には勝算があったのだと思い直しています。