アジア・太平洋戦争と日本の敗北【2度目の世界大戦へ⑤】ゼロから世界史87講
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- เผยแพร่เมื่อ 16 ต.ค. 2024
- 満州事変と日中戦争【2度目の世界大戦へ④】ゼロから世界史86講
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<講師情報>
英語:森田鉄也
元東進ハイスクール・河合塾講師
武田塾英語課課長・武田塾国立校オーナー
世界史:佐藤幸夫
代々木ゼミナール世界史トップ講師
日本史:相澤理
元東進ハイスクール講師
国語:比良寛朗
早稲田合格塾代表
#太平洋戦争
#第2次世界大戦
#世界史
満州事変と日中戦争【2度目の世界大戦へ④】ゼロから世界史86講
th-cam.com/video/Gu3OhTa8Gac/w-d-xo.html
今回もわかりやすい授業ありがとうございました!
歴史の授業を完璧に中立に話すことは不可能ですが、幸夫先生のなるべく中立に話そうとする姿勢や、中立に話すための知識量には感服いたします!
毎授業そうですが、板書が非常にわかりやすいです!地図でイメージを持たせながら、急所を抑えたり、順番を示したりなど、伝える技術の高さ尊敬してます✨
覚えようとか、学ぼうと思わずにただ知りたいからだと頭に入りますね。
世界一わかりやすい世界史授業
分かる
遂にこの回が来てしまいましたね、楽しみ!
ゆきお先生の最期にお話したいとおっしゃるお話は、いつもハッと!今までの未熟な自分に気付かされてもらいます。有難うございます😂
幸夫先生、今夜も明解なご講義ありがとうございました。大東亜戦争へのみちのりがよくわかりました。いまの世で核がつかわれたら、大惨事になるでしょうね。いろいろとかんがえさせられた今宵です。勉強になりました。
今回もありがとうございました🙇♀️
素晴らしい内容でした。最後のインドネシアの話も良かった。何度か見直そうと思います。
やはり佐藤先生がすごいと思います。
日本軍はナポレオン軍と類似する…不勉強で、聞いたことがない言葉でしたが、納得でした。
近現代史はどうしても様々な思惑が入り乱れなかなか話しずらいと思いますが、その中で苦心しながらもいうべきところはいおうとされている思いが伝わります。
ナイーブな問題だから触れないではなくナイーブな問題だからこそしっかりと学ぶ事は大事ですね。
naiveの使い方、おかしくないか?それを言うならsensitive
思想じゃなくて、日本の歴史教育はGHQが礎を作った。人種差別を正当化していた戦勝国が、まるで人権と民主主義を守るためにファシストと戦ったというフィクションを真実のように教えるための教育だからね。
でも、サンフランシスコ講和会議におけるスリランカ代表の演説がこれ。
「 アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもっているのは何故でありましょうか。それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者のあるものがかくすることにより彼等の愛する国々が解放されるかも知れないという希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出すことができるのであります。」
20:23 相手国の基地を攻撃する能力の保持と軍事力の増強は、今まさに政治で問題になっているテーマですね。
「時にはジャーナリストと歴史家の役割は完全に同じになる」という英文を思い出しました。
A good journalist casts anxious and inquiring glances over his shoulder, and a good historian lifts his eyes from the page to look at the world around him.
Sometimes the roles merge completely.
ドイツの快進撃が少しでも緩んでれば、ハルノートまで行かなかった可能性があるのが、わかりました。欧州情勢は複雑怪奇ではなく、きちんとつながっているんですね。いい授業見れました。
今回もわかりやすかったです!
この時代の日本に生きていた人々は毎日が不安だったでしょうね。
ABCD包囲網…もしかして私はかなり幸夫先生の好みのタイプなのかも😂
ABCD包囲網について、佐藤先生の巧みな話術に、どはまりです。
世界史が、とても面白く感じられて来ました。
ありがとうございます。
ABCD包囲網最高です。
終章「日本軍とナポレオン」のお話は本当にそうだよなあと思う。
それでいうと、毛沢東の「共産党軍は民衆に愛されねばならない」という戦法はすごかったんだなあ。
南部仏印進駐でアメリカが資産凍結してきたのは日本にとって予想外だったんですよね、ちなみにハルも野村に言われるまで知りませんでした
日本軍がインドネシアに残りオランダと戦ったことを講義の中に入れてくださったことに感謝。
先人が流した血で獲得した日露戦で得た権益を失いたくなかった事と、日清戦争で得た賠償金やヨーロッパでの血みどろの戦いを経験せずに第一次大戦で戦勝国になってしまった事。
太平洋では優位に持ち込んで講和できるんじゃないか?と言う淡い期待が少なからずあったと思ってます。
素晴らしい
ノモンハンおじさんすげえ
『ハル•ノート』を起草した人物であった事しか知りませんでした。
コーデル•ハルが持つ、もう片方の側面を知り驚きました。
ありがとうございました。
今、思えば宇宙開発への「源」を築いた功績は、人類への大きな貢献でもあると思います。
米ソによる宇宙開発競争は、東西冷戦の一側面かとは思いますが•••。
もしかしてノモンハン事件のお話は、漢文の多久先生のことでしょうか?
漢文の多久先生の授業うけててよかった!
ここのコメント欄にただ自分の知識、意見をひけらかしたいだけの奴が来ないことを願う
ありがとうございます!
Thank you!
𝐿𝑜𝓋𝑒 𝒶𝓃𝒹 𝒫𝑒𝒶𝒸𝑒...
戦前、戦中に自分がタイムスリップしたとして自分はどうすべきなんだろ?力の問題ではない。自分1人の決定が旧日本軍を圧倒できたとしても、アメリカ軍を圧倒できたとしても、何が理想だったんだろ?と思う。
敵性言語とは婦人会と新聞が勝手にやったことで陸海軍は良い迷惑だし、陸軍は(貧困だったから)出稼ぎでアメリカ行ってた人も多いから英語で敵を困惑させたりもしているし、野球もわざとストライク!おっと失敬!と言って大爆笑を誘うこともあれば戦勝祈願を建前に登山を楽しんだり敵国降伏を祈るために神社巡りもやってるし、まあ自由な日本。ナチスだとこうはいかないし、建前が通用しない。アメリカも同じ。
黒板を叩く音がちょっと控えめになって助かります
代ゼミの先生、漢文の多久先生かな?w
14:00 16:09
南方作戦はタイ進駐から始まった。真珠湾攻撃の数時間前、独立国であるタイに突如日本軍が侵入、マレーシアのコタバルやバンコクへ進軍した。カンボジア国境から侵入した部隊は直ちに鉄道工事を開始し数日で鉄道を連結している。タイが領土通行権を承認したため大量殺戮は免れたが、拒否された場合は武力進駐が計画されていた。
インドネシアでは当初は歓迎されたものの、いつまでも主権を認めず、やがて日本軍が結成した現地人部隊から反乱が発生、インドネシア独立の端緒として博物館に記録されている。
フィリピンは米国に独立を約束されていたのに日本軍が侵攻、占領時と米軍の反攻時の2回も激戦が行われ国土が荒廃、多くの原住民が巻き添えを食い死亡。
ベトナムでは米の供出で大飢饉が発生200万人が餓死。
中国では1,100万人、ナウルでは人口の4分の1が死亡。
日本軍の行くところ、死屍累々だ。
いったいどこが解放なのだろうか
マイケルヨンがマレーシアやフィリピンの戦跡を旅し、聞き取り調査もしていったんだけど、記念碑には、日本兵はギロチンを使って民間人を殺したって書いてある。なんでギロチンを使うんだ。こんな感じで、フィリピンでは米軍特有の虐待、中国では中国式の虐殺を日本軍が行ったことになっている。
ところで、インドネシアに関して言うと、前田利貴陸軍大尉を救ってほしいと現地人が何度もオランダ軍に懇願した。でも、前田大尉の家柄を妬んで、毎日虐待を続けた。オランダ軍は、日本兵同士を殴らせたりして、虐待していったんだよ。で、逮捕されていない日本兵は、インドネシアの独立運動を抑える役割を担わされた。日本軍はインドネシアの独立を約束して西洋と戦っていたので、悔しかっただろう。弾薬を守っていた日本兵は殺害され、そして弾薬をインドネシア人に奪われた。その日本兵は、自分の血で、インドネシアの独立運動を支持すると遺書に残して亡くなっていった。『インドネシア独立記念パレード』というTH-cam動画を観るべし。1996年の動画。インドネシアの現地の、戦争を経験した男女が竹やりや日本刀を持って、それで日本の歌を歌いながらパレードに参加している。
出鱈目はいい加減にしなさい。『驚愕!350年 植民地 「①インドネシア 独立」 <独立運動に残留日本兵 活躍 ‼>・うたひこCH・2301a3』『独立か 〇か!「②インドネシア独立」< 残留日本兵2千名 共闘! その後は?> とよひこCH・2301a1』
@@DJDJ-yf7lq 1942年3月から1945年8月まで、インドネシアに対する日本軍による軍政が行われた。日本は太平洋戦争の大義名分として、アジアの解放を実現し「大東亜共栄圏」を建設することを掲げていたが、実際には石油などの軍需物資を確保するためにインドネシアを支配することが狙いであった。
インドネシアにもスカルノなどの民族主義運動の中には、オランダからの独立のために日本軍に協力する姿勢を示したものも多かった。日本軍は祖国防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど軍事組織や隣組制度などを導入して統治に当たったが、軍政後半の44年3月には「ジャワ奉公会」を組織して、人的資源を「ロームシャ(労務者)」として動員し、生産活動に振り向けた。スカルノは、この時日本軍に協力し、自ら労務者徴募の先頭に立った。しかし一方で、このような日本の軍政に対し、いくつかの反日抵抗運動も起こっている。防衛義勇軍の反乱、米の供出を拒んだ農民の反乱、西カリマンタンの土侯らによるポンティアナック事件(軍事裁判で2130人が処刑されている)などである。日本軍政下でインドネシア民衆の義務となったのが戦争遂行に徴用した「労務者」である。労務者という言葉は、そのまま「ロームシャ」としてインドネシアに定着し、今もその言葉とともに記憶として残されているという。各州は常に500人以上の労務動員が可能な態勢を整えていなければならなかった。この政策で駆りだされたジャワ人は20万とも30万ともいわれ、しかもその90%は帰還できなかったという。その多くがニューギニア方面の苦戦に投入され、放置されたのである。今日でも、ロームシャは、ケンペイとともに、インドネシア人の悪夢となっている。1973年にジャワで『ロームシャ』という映画が製作され、ごく一部で公開されたが、不思議なことにすぐ消えてしまった。日本商社が買い占めたのだというのが現地の噂である。
@@DJDJ-yf7lq 1943年1月28日、東条英機首相は帝国議会で、参戦を条件にビルマとフィリピンの独立を認ることを表明した。しかしインドネシアについては言及しなかったので、スカルノらは強い不満を抱いた。東条首相は同年6月30日から南方視察に向かい(日本の首相の初めての東南アジア訪問であった)、ジャカルタでスカルノらに面会し、インドネシアでの中央参議院を開設しスカルノを議長にするなどの懐柔策を示した。それはあくまで軍政下の補助機関と位置づけられるもので、独立とは程遠いものだったので、スカルノらは深く失望した。11月に東条首相は東京で大東亜会議を開催、大東亜共栄圏の各国首脳を召集したが、インドネシアは独立国ではなかったので召集されなかった。
会議終了後、東条首相はスカルノとハッタらを東京に招いて歓待し、天皇との会見などを設定した。スカルノは感激しつつ、東条首相に対し戦争協力への見返りとして独立承認を強く求めたが、結果は空しかった。東条内閣がインドネシアの独立を認めなかったのは、同年5月31日の御前会議で決定された大東亜政略指導大綱にみられるように、ジャワ、スマトラなど旧オランダ領東インドは「帝国ノ永久確保」すべき地域、すなわち事実上の植民地として位置づけたことによる。御前会議の席上で東条首相は、これらの地域は「民度低クシテ独立ノ能力乏シク且ツ大東亜防衛ノ為帝国ニ於テ確保スルヲ必要トスル」と断言している。つまり、インドネシアは石油・ゴムなどの資源の直接利用のため日本に必要であり、また独立する能力が無い地域である、とみていたのだった。
1942年3月にインドネシアに侵攻し、植民地支配を続けていたオランダは撤退、日本軍は軍政を敷いて統治した。日本の東条内閣は資源確保のためにインドネシアは独立させずに軍政を維持する予定であったが、戦局が悪化する中、民心をつなぎ止めておく必要から、1944年9月、小磯内閣はインドネシアの独立を認め、日本の指導下で独立準備調査会が設置された。45年8月に広島・長崎に原爆が投下されると、日本はインドネシアの独立を急ぎ、8月7日、スカルノを委員長、ハッタらを副委員長とする独立準備委員会の設置を決めた。しかし独立計画が実施される前に1945年8月15日に日本軍が降伏し、インドネシアは空白状態となった。独立宣言はジャカルタのスカルノ邸で、スカルノにより日本軍とは関係なく発布された。
@@mpjwn そりゃいろいろいるよ。でも、俺の大学の後輩でインドネシアからの帰国子女(同志社国際高校→同志社→大手商社)がいて、「インドネシアは戦前から日本が協力的だったから、凄く親日で過ごしやすかった」と言ってたぞ。
世界で一番うさんくさい賞、ノーベル平和賞。オバましかり
お隣の国に失礼ですよ、ノーベル平和賞で大喜びしてるんですから
@@万華鏡写輪眼-h9z
たしかにそうですね。
非核三原則を日本の方針とした、佐藤栄作元総理大臣も受賞しています
日本における米軍の核を裏で認めたまま、ついた詭弁ですね。
頼むから変な編集をしないでくれ😂もったいない😂
20:24のご意見はよくわかります。
では軍事力増強とは別のやり方としてどのようなものがあるのでしょうか。
日本の軍事力増強路線を指しての無言のご主張と推察しますが、では話し合いが通じなく、領海侵犯や国際法違反を繰り返す近隣諸国についてはどう接するべきなのでしょうか。そこを述べていただきたい。そのご主張を尊重します。ではその先はどうすればいいのでしょうか。
たしかにこの動画、この場は政治的議論を行うためのものではないかもしれませんし、他の動画などでご主張があるかもしれません。私自身は軍拡路線がいいのか、佐藤先生のご主張がいいのか、正直わからずにいます。だからこそ、まず佐藤先生のコメントのその先を伺いたいのです。是非ご教授ください。
マッカーサーは「大東亜戦争は自衛の戦争だった」って言ってます
そもそも大東亜戦争という言葉自体が旧日本政府とそのプロパガンダでしか使われない呼称なんですがソースある話ですかそれ?
@@WAI_3 ソースある話です。1951年の軍事外交合同委員会で証言してます。
@@万華鏡写輪眼-h9z これがは該当する原文ですね
>Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
マッカーサーは安全保障上の目的から日本は戦争をしていた、と証言しておりそれを肯定はしていません。またここでの"security"とはゴムなどの希少資源を獲得し、工場を運営することことを指しており「自衛」とのみ切り取って訳出することは不正確です。
さらに太平洋戦争を肯定する目的で使用される「大東亜戦争」をこの場での訳で使うことはもっと不正確です。今現在アカデミックな場で「大東亜戦争」なる呼称を特別な意図もなく使うことはないはずです。
それが事実かどうかは置いても、そういう発言などの点だけで捉えるんじゃなくて、全体の流れをこういう動画で学んで総合的に物事を考えるようになれるといいね。
@@WAI_3 大東亜戦争使ってるやつ大抵右翼定期
戦後レジームに乗った旧態依然の知識でのお話ですね。残念な内容でした。
大東亜戦争
かなりの認識の違いがある。このレベルで教育では日本史は間違いのままで変わらない。