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私の祖父は兵士でした。海軍です。小さい時、話を聞きましたが1番悲惨な戦争がこの沖縄戦だったと言っていました…今たがら言えるお話ですが祖父はもうこれは勝てないと思い、乗っている戦艦をそのまま九州へ移動し、逃げたとのことでした。そのおかげで私は今命があります。だからたくさんこの戦争のことを勉強し、学び、沖縄へ移住して戦争の事を調べあげ、体験した事があるおばあやおじいとしりあってお話させて頂きました。この戦争はこれからも後世に伝えていくべき事だと思います。ありがとうございます。
中学のときの国語の先生がひめゆり部隊の生存者だったことを思い出しました。
17歳のときに修学旅行でひめゆりの塔を訪れました。体験談も聞かせていただきました。ほんとに泣けてきました…北海道から訪れました。うちの学校は、修学旅行は選べる3コースで、沖縄と東京、京都奈良東京、オーストラリアから選べました。戦争を知りたい!と思ったので沖縄を選んでよかったです。
今では「ひめゆり学徒隊」が有名になってますが、「ひめゆり学徒隊」以外にも「白梅学徒隊」「瑞泉学徒隊」「積徳学徒隊」「なごらん学徒隊」「八重山学徒隊」「宮古学徒隊」等(他にも存在)があったそうです。どの学徒隊もひめゆりの塔とは違い観光コースから外れたひっそりとした場所で自決や米軍の銃弾に傷つけられ死んでいった場所に慰霊の塔がやはりひっそりと建っています。私は高校生の時に6月23日の県の教育委員会主催の平和学習に参加し、「ひめゆり学徒隊」以外の学徒隊の存在を知りました。平和学習では木々が鬱蒼とした場所にある「白梅の塔」をお参りし、「白梅学徒隊」の生存者の方の説明に男ながらに涙してしまいました。日本唯一の悲惨な地上戦、風化させてはいけないですね。
あずささんが熱い思いを込めて「いきたかった!でも生きられなかった!!」この言葉で伝えてくださった学徒や沖縄戦でなくなった方々への気持ちを我々は絶対に忘れてはならないと再度痛感いたしました!
学生の時、リゾート気分で沖縄を訪れ、そのノリでひめゆりの塔に行き、衝撃を受けましたそれ以来、沖縄を訪れるときは必ず慰霊の場所を訪れるようにしています
高校の時訪れましたが、他校の生徒さんが多かったりグループ行動だったりであまりゆっくり見る事が出来なかったんです。リニューアルされたとの事でコロナが落ち着いたら足を運ぼうという気持ちがさらに強くなりました。資料館に支援ができるという事も恥ずかしながら知らなかったので、この機会に募金しようかと思います。この動画に辿り着いてよかった。あずささん、ありがとうございます。
沖縄戦を取り上げて頂きありがとうございます。圧倒的な情報量を分かり易く表現して紹介できるのはあーずー流石です。今や大切なのは継承ですし風化させないことだと思います。リニューアル後に訪れましたがとても良かったです。これも真実の歴史、是非沖縄を知る上で絶対に訪れてほしい場所です。
沖縄戦、ひめゆりの塔の貴重な動画解説有り難うございます。私は千葉県在住です。途中涙ぐみました。同時に沖縄戦に対して怒りも覚えました。沖縄戦、ひめゆりの塔関係の映画やテレビ等で学びましたが今回阿波根さんのパネルを交えた、より一層中身が深く細かい話を伺い戦争の恐ろしさと平和の有り難さを実感致しました。
沖縄戦、忘れません。あずささんのお話を聞いていて、胸が締め付けられました。76年前の出来事とは思えません今、幸せに生きている事に感謝できるようになったのも沖縄戦を知ってからです。ひめゆりの塔の経営難ニュースで知り少しではありますが寄付させていただきました。貴重なお話ありがとうございました。
私が中学生の時修学旅行で沖縄へ行きました。当時は友達と過ごせる楽しさ、ワクワクで学ぶことは二の次にしていました。この動画を拝見して、学べる時にしっかり自分の目で見て感じ、学ばないといけないと思うことができました。この動画を拝見することができ、出会えてよかったです。
大好きな沖縄きっかけがひめゆりの塔でした。そしてこの動画で資料館の経営危機を知りました。絶対存続してほしい、シェアして頂きありがとうございました。
中学生の時に修学旅行で沖縄に行きました。その際に資料館にも訪れましたが、大きな衝撃を受けたことを今でも覚えています。沖縄戦は将来に必ず語り継ぐべきことです。
二度とこのような悲惨なことは起こしてはいけません。平和学習も現状なかなか厳しい状況ではありますが動画を通じてあずささんの思いは伝わるはずです。
義務教育の期間、数ある平和学習をしてましたがひめゆりが個人的には1番印象に残っています。高校生の私には本当に恐ろしかったです。
中学校の修学旅行でひめゆりの塔へ行きました。そこでひめゆり学徒隊の生存者の方の講演を聞いて、看護をしていた洞窟の中の臭いが強烈すぎて未だに忘れられないと言われていたのを覚えています。あまりの壮絶な体験を聞いて帰りのバスの中ではみんな沈黙だったのを覚えています。その後、沖縄戦の事が気になり10年後にまたひめゆりの塔へ行きましたがあまり時間が無くゆっくり見学できず心残りだったのでまたもう一度行きたいと思ってます。わかりやすい動画を作って頂きありがとうございました。
ひめゆりの塔の記念館に行った時、目眩がしました。この戦争で亡くなられた方々の写真が飾られている部屋では、写真の方々に鋭い視線を向けられ走ってその部屋を出ました。その後は涙が止まらなくなりました。不思議な体験をした場所でした。だけどもう一度行きたいと思っています。どうしてそうなったのか確かめたいです。
恥ずかしながら、数年前まで沖縄戦の事を教科書レベルでしか知らず沖縄に旅行をしていました。ただ子供が小学校高学年になったタイミングで初めてひめゆりの塔に行き、深く沖縄戦を勉強し事実を知ることができました。うちなんちゅ·ないちゃー·外国の方問わず、後世に語り継ぐ施設は必要だと思います、これからも大切にしていきたいですね。少しですが寄付させて頂きました。これからも、ジャンル問わず発信して下さいね。
あずささんひめゆり平和祈念館と第三外科壕のご紹介ありがとうございました。私の祖父が沖縄戦で戦死しています。祖母・母とも平和の礎を訪れる前に亡くなりました。孫が慰霊の日の沖縄滞在を続けています。自らが住まう街が戦場になったことはよそ者にはわかりません。しかし内地から赤紙一枚で召集され、沖縄で斃れた軍人という立場の一般人を十把一絡げに〝軍人〟として平和祈念公園入口でシュプレヒコールをあげていた態度には興醒めしたことを覚えています。多くの人々が亡くなった沖縄戦、しかしその背景は様々だということも事実です。南風原の陸軍病院壕も行きました。荒崎も・・・。しかし学校の所在は知りませんでした。早速この6月に向かいます。見解は様々あるとは思いますが、ウチナーの目線から見た情報発信を今後とも宜しくお願い致します。
千葉県在住です。素晴らしい解説ありがとうございます。この様な辛い戦争を若い方が伝える事が大切だと痛感しました。
動画のアップをありがとうございます。沖縄に行きましたら、まずは ひめゆりの塔 へ。お供えが可能ならば、お花、お水、おにぎりを持って行きます。看護訓練を受けたのに、怪我人をおいて立ち去る・・・どんな気持ちだったのかと想うと心苦しくなります。戦争で亡くなられた方たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私が中1の時、私はアメリカから日本旅行に行ったときにおばがひめゆりの塔に連れてったことがなります。おばが私に花束をわたし、私に"あなたに花を渡したほうが、なくなったひめゆりの学徒隊の人たちが喜ぶよ。"と私に言いました。あの時、涙がもう止まらず、胸が痛かったです。
今は茨城住まいですが、生粋の沖縄生まれです。小さな頃、戦争体験者のおじぃとおばぁにちょっとした興味本位で話を聞いた事がありますが、淡々と…ただただ淡々と話をしてくれました。子供心に『聞いてはいけない事だったんだ』と思い、それ以来話を聞く事はありませんでした。おじぃ、おばぁだけでなく、二人の兄弟姉妹にも同様でした。おばぁの妹であるおばさんが亡くなったと聞いた時に『おばさんはひめゆりだった』と初めて教えられました。衝撃でした。そして話をきちんと聞かなかった事をとても後悔しました。実際に体験された方々の話を直接聞く事が出来る最後の世代が自分達だったんだと、今さら気付いたのです。今もおばぁ一人だけ生きていますが、やはり高齢による痴呆が進んでいる為に話を聞く事が出来ません。でも、私達世代が次の世代に語り継いでいかないといけないと思っています。だからこのような動画は非常にありがたいです。辛い歴史であっても目を背けないで、各々がしっかり学び、繋いでいかないといけないですね。
生まれも育ちも糸満市です。小学校の社会科見学で、平和記念公園やひめゆりの塔、防空壕に行ったことがあります。たまたま、ひめゆりの塔が気になり、初めて試聴しました。20歳で就職を機に上京して、現在は神奈川県に住んでいますが、この動画で、「でーじ」「うーとーとー」「わじわじ」とか、方言も聞けて懐かしかったです。また、分かりやすい解説で、勉強になりました。ありがとうございます。
3月1日にひめゆりの塔に行きました。初めは平和祈念公園に行ったけど、時間が無くてすぐにひめゆりの塔に向かいました。公園の前の「平和園そば」の天ぷら定食は美味しかったです🍤。ひめゆりの塔でも時間が無くて、碑を読んでガマをのぞいただけでした。この配信を観たら、時間をとってちゃんと観たくなったので、首里城が再建されたらまた沖縄旅行に来て、資料館にも入ってみます。
資料や祖父母の話でしか聞いていませんが、改めて戦争はいかなる理由があろうとも絶対にあってはならないと強く学べました。ありがとうございました。
私が行ったのは小学生の時でしたが20歳になった今、また深く考えられるようになったなと思います。戦争の事を調べたり見たり色々しています。この動画もまた勉強になり、聞きやすかったです!!
先日、ひめゆりの塔の資料館に伺いましたが、そこで見た資料や映像が一つ一つ浮かび上がるくらい的確で分かりやすい解説でした。
今月愛知県から沖縄旅行に行きますのでどこを観光しようか調べている中で見つけて拝見しました。ひめゆりの塔の背景、戦争がどんなに悲惨な事か非常に分かりやすく解説されていてやはり日本人なら1度は行っておかないといけない場所だと痛感しましたので今月訪れようと思います。
昔ひめゆり平和祈念資料館に行きました私達は戦争を知らない世代と言われていますが戦争があったのは確かですこの建物を建ててくれた人には感謝しかないこの建物が無かったらみんな戦争という時代を忘れてしまうでしょう沖縄や戦争で亡くなった方、、どうぞ安らかに、、
私もどういうわけか、ひめゆり学徒隊に関しては思い入れがあり、調べるたびに感情移入してしまいます。 彼女たちの集合写真を見て泣いたこともあります。私はまだ20代なのに、実際元ひめゆり学徒隊の方から高校の頃お話を聞いたことがあるで、すごく貴重な体験だったんだなとあーずーさんのこの動画と、ライブ配信を観て改めて思います。私が言うのはおそれ多いですが、きっとあーずーさんの想い、ひめゆり学徒隊のみなさんに届いていると思います。長くなりました🙇🏻♀️
私は中学生の頃文化祭で、ひめゆりの塔の野外劇をしました。それから43年後の今週末に沖縄県に社員旅行✈️で行きまして自由行動してこのひめゆりの塔平和祈念館に行きます。 素晴らしい予習になりました。 ありがとうございました♪ 募金もします。
私は中学の修学旅行でこのひめゆりの塔に訪れましたが、他の方も何人か仰っていましたが、ガマにも行ったのですが、当日吐き気と目眩と頭痛に襲われて、涙が止まらず恐怖を感じ、なかなかガマの中に入れなかった記憶がすごくあります。中には友人や先生に連れられ入ったらしいのですが、私は記憶が曖昧になるほど、恐怖しか感じておらず、当時の私は何も勉強が出来なかった覚えがあります。今もこの動画を拝見していて、頭痛が凄いですが、あれから10数年経ち、とても大切なお話、正しい情報を提供してくださっており、見ずにはいられないと思い、拝見しております。沖縄戦…決して忘れてはならないですね。当時勉強出来なかったことを、改めて勉強する事が出来ました。あーずーさん本当にありがとうございました!
正しいお話しありがとうございます。今の平和が誰のおかげなのか、忘れている国民が多い気がします。 今の学校では正しい歴史は学べないので、このような正しい情報を多くの国民に見てもらいたいです。
沖縄県民ですけど、沖縄戦についての話をたくさん教えてもらって来たのですけど、ひめゆり学徒隊の話をこんなに詳しく教えていただきありがとうございます。
あずさ先生の沖縄愛を感じました🙇♂️
25日に仕事の合間に荒崎海岸に寄りました。きれいな海水浴場だと思っていましたが・・・ひめゆり学徒隊散華の跡と知りとてもつらい気持ちになりました。しかし何かに導かれる様に沖縄戦の悲劇に触れたことは沖縄に暮らしている今、とても重要な事だと思っています。これからもこの様な貴重な動画を楽しみにしています。
音声ソフトでの解説動画と違い、丁寧な話し方と身振り手振りを交えての解説が分かりやすく、悲惨な出来事だった事がすごく伝わってきました。昨年、長女が修学旅行で沖縄に行く予定でしたが、コロナの影響で中止となりひめゆりの塔もコースに入っていましたので、この動画を見てもらいなにか感じ取ってもらえればと思います。
高校の修学旅行の際にひめゆりの塔、ひめゆり資料館に行きましたが、修学旅行の為時間が限られており、じっくり見ることが出来ませんでした。コロナが収束したらしっかり見て学びに行きたいと思います。素晴らしい動画をありがとうございました🙏
高校の修学旅行で訪れました激しい頭痛に苦しみました。今も尚、成仏出来ない戦没者の方々の苦しみの声のような気がしました……もう二度と繰り返して欲しくないです亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
感謝いたします。県民として忘れることなく語り継ぎます。各地で90代の老人たちに「語れない悲劇」もあることを、義父舅から聞き衝撃を受けた経験を忘れません。
ありがとうございます私はこう言う自国の話が聞きたいです。知りたいです。知らないなんてダメです。苦しいけど辛いけど話して欲しいです。ホントありがとうございました。
ここに高校の修学旅行で行きました。そして沖縄にあるガマに入りました。この資料館で聞いたことやガマに実際入ってみて、本当に「辛い」という言葉では表せられないくらい悲惨な出来事だったのだなと感じました。また、ガマに入ってみて、こんなに暗いところで、こんなに狭いところで、こんなに足場が悪いところで、過ごしてたんだなと思うと心が非常に痛かったです。私は霊感があるので、兵士さんのような人をガマの中で見ました。両足の膝から下がありませんでした。傷だらけでした。ここで亡くなられた方なんだなと察しました。本当に辛くなりました。今回、詳しくまた戦争についてやひめゆりについて知れたので良かったです。
とても分かりやすい説明をありがとうございます。小さい頃に行った時はよく分からなかったのですが、いま改めて見てとても考えさせられました。また行った時にはより考えながら見たいと思います。
とても分かりやすい動画で勉強になりました。学校で勉強したけど、その時の何倍も理解できたし、考えさせられました。
のらりくらりと平和ボケで生きてては絶対にいけないな。勉強になりました。
戦争の悲惨さ、悲しみが伝わりました。とっても分かりやすかったです。二度と同じ悲惨な事がないよう、沖縄に行ってたら綺麗な面だけではなく、戦争についても学べる場所へ足を運ぼうと思います。
私は大和住みですが、私の母方の曽祖母も沖縄戦で命を奪われております。また、祖母も生前はひめゆりの塔には、友達がいるから行きたくないと言っておりました。そんな中、私は先週井原第3外科壕跡に行って参りました。また、中南部にある、ガマの一つ一つにも様々な方々の想いや悲しみがあり、私の子供達にもこの想いや悔しさ悲しさ、色々な感情が入り混じった想いを伝える為、また、繰り返さない為、まずは知るという事をしております。そんな中、辺野古の埋め立てに使う土も南部から持っていくものもあると知りました。そこには、まだ見つかっていない遺骨が何柱もあると知り、御遺族の方々の気持ちを考えると言葉にもできません。ひめゆり学徒隊や、白梅、その他様々な学徒隊があり、沖縄に旅行に行かれる方々におかれましても、少しでも悲しみを繰り返さぬよう、戦争がいかに愚かな事か伝われば幸いです。
私も何度か訪れましたが、その都度沖縄戦の凄惨さが痛いほど伝わってきました。そもそもなぜ日本は対米戦争を回避することができなかったのか。沖縄に足繁く通うようになって真剣にそのようなことも考えるようになりました。8月には家族でまたここを訪れる予定です。その際に微力ながら資料館の維持のためのお手伝いをさせていただこうと考えております。
高校の時修学旅行で行ったけど本当に色々な思いにさせられるところだった。もう一度行きたいです。
ひめゆり平和祈念資料館に今週月曜日にいってきました。県内唯一の淡水プールが自慢だったエリート校の女の子たちが戦争に巻き込れ苦労した末に命を落としてしまう理不尽さがとてもよくわかる展示でした。彼女たちがもし戦争に巻き込まれずに学校を卒業したらどんな人生を歩んでいたんだろうと思いながら、沖縄から帰ってネットでひめゆりのことを検索していたらこの動画を見つけました。資料館で学んだことが寸分違わず簡潔にまとめられていて、改めて思いをはせることができました。ありがとうございました。
沖縄で産まれ育ちましたが一度も平和の礎へ出向いた事がありません。小学生の頃通路に座ったり立見してるお客さんでいっぱいいっぱいの映画館でひめゆりの塔という映画を観ました。今でも印象に残ってる場面は芋畑に隠れて芋をかじってる場面です。今日この時まで平和の礎には沖縄県民のみの名前だけが刻まれてると思っていましたがそうではなかったのですね、、犠牲になったのは沖縄県民だけではなかったのか。まずは足を運ばないといけないなと改めて感じました。
コロナ禍で運営が大変なんですね。早速、寄付させていただきました。後世に伝えることのお手伝いが出来て嬉しいです。
これは…貴重な動画わかりやすい解説ありがとうございました。小2の息子にも見せたい動画だと思いました。ただの沖縄好きだけではいけないと思いました。
高校の修学旅行先が沖縄で、ひめゆり平和祈念資料館にも行かせていただきました。強烈に記憶に残っているのは、ひめゆり生存者の方が戦争当時のことを語られているインタビュー映像です。「壕の中にいたら、隣にいた友人の額に銃弾があたり、血を流して倒れた。一瞬の出来事だった。」と語られているのを観た私は、もしも今ここで銃を持った人間がやってきて隣の人が撃たれたら……と、ゾッとしたのを覚えています。現在でも、諸国で内戦や紛争などは起きています。みんな、自分の国や大切な人たちを守りたいという想いは同じなのに、国の考え方や教えひとつですれ違ってしまう……。とても悲しいことですよね。だからこそ忘れないでほしい。「ぬちどぅたから」。
あずささんはじめまして、いつも動画拝見させてもらっています。今日は色々学べました。ありがとうございます。沖縄戦は残酷でした。そう母から聞きました。あずささんからお話しを聴いて再度改めて思いました。この教訓を次世代へ伝えてもらってありがとうございます。いっぺいにふぇ〜で〜びる👍感謝
この動画の作成に感謝します。
観てる間中、涙が溢れて来ました。数年前、一度、沖縄旅行でここを訪れました。また、ひめゆりの塔、訪れてみたいです。
初めまして26年前に高校生の時、修学旅行で、沖縄に行ったことが、あります動画は、とても勉強になりました今この時代が、本当に平和で、よかったいつか沖縄を訪れたいですますますの活躍を期待しています✨
9年前に初めてひめゆり平和祈念資料館を訪れた時の事を思い出しました。私も展示内容をじっくり見ていたら、いつの間にか3時間も経っていて驚きました!個人旅行でしかも一人旅だったから出来た事ですね。たしかにお腹が空きますね!その後、急いで食堂を探したくらいですから(笑)
素晴らしい解説ですね😊必ず行きます🇯🇵
ひめゆり学徒隊のことを調べていてこちらに辿り着きました。ひめゆりのことは子供の頃からずっと気になっていました。沖縄には何度も行っていて、ひめゆり祈念資料館にいつも行きたいと思いながらも行くことができていませんでした。きっとまだ行くべきときではないのだろうと思っていました。来週、沖縄に行きます。今回の旅の目的はひめゆり祈念資料館に行くことです。ついにその時が来ました。
沖縄に中学校の修学旅行でいってひめゆりの塔に行きました、大人になりまたひめゆりの塔に行きたいなと思っていた時に動画をみつけました、ありがとうございます。コロナが落ち着いて沖縄行けるようになったらいきます!
私の地元も激しい地上戦があり、小学校の頃に平和学習でおばぁから戦争体験を聞いて衝撃を受けたのを覚えてます。現在90過ぎて、色んな事を忘れている中、戦争体験は今でも覚えている様でたまに話してくれます。こんな悲惨な事は二度とおこってほしくないです。
貴重なお話をありがとうございます。そして御冥福を祈っております。
阿波根さんの数ある作品の中で、最も見ごたえのある作品であると思います。歴史を学ぶのは、大事な事。
お国のためと思い込まされて命を捧げられた先人のおかげで我々の平和が実現しているのがとても皮肉ですが、そういった先人のお命を決して 無駄にしないために二度と同じ過ちは繰り返してはいけません。ひめゆり資料館に関しては中学2年生だった21年前に家族旅行で訪れて以来訪問できてなかったのですが、リニューアルされたと聞いたのでずっと行ってみたいと思っておりました。コロナの情勢で沖縄に行く予定が何度も延期になっていますが、次に行く時は行きたい場所の一つです。
高校の卒業旅行で行ったはずなのに全く内容覚えてなくて、もっとしっかり見て聴いておけば良かったと思いました。コロナ終わったらまた沖縄に行きたいです。
沢山の情報で分かりやすい解説、ありがとうございました。沖縄戦の話になるとひめゆり学徒隊にクローズアップされることが多いですが、ひめゆり学徒隊以外にも、従軍看護婦として活躍して犠牲になった女子学徒が沢山いることを知って欲しいです。。。ひめゆり学徒隊の生存者の方以外にも、従軍看護婦の生存者の方もいらっしゃいます。是非 あずささんに取り上げていただきたいです。
早速、名古屋から少額ながら、資料館に寄付金振込みました。コロナ過で地元に帰沖出来無いのが残念です。あずささん、もっと、沖縄の状況動画配信して下さい。私も、2年前までは、慰霊の日に帰って摩文仁の平和の礎に足を運んでました。早くコロナが収束して欲しいです。
コロナで中々旅行が出来ないので、こういう動画はとても嬉しいです!そしてためになる!
とてもわかりやすい解説で、どれだけ過酷だったのか分かった気がしました。素晴らしい動画をありがとうございます。
歴史の勉強ですね。私は6回沖縄本島に行ってましたが、必ず、平和の礎とひめゆりの塔に行って、戦死した人、巻き込まれた人達に手を合わせてます。
いつも楽しく見させていただいています。次の沖縄訪問時にはリニューアルした資料館を見学します。楽しいだけの沖縄旅行だけではなく、歴史を自分の目で確かめることも大切だと思っています。有難うございました。
こんにちは。私は、たまに子供(小学校3年生だったとき)を連れてひめゆり平和祈念資料館に行ったときに元ひめゆり学徒隊の謝花澄江さんに会いました。
沖縄の修学旅行で沖縄平和祈念資料館とひめゆり祈念資料館に行きましたよ
昨日ひめゆりの塔に行き、戦争の悲惨さを改めて感じました。
白梅学徒隊のことも忘れないで下さい。
いつも、ありがとうございます。気持ち、伝わります。 どれくらい思いを込めて話し、伝えるかですよね。気になったら、あとはそれぞれ個人個人が、その人の立場で考え学ぶ事。
詳しい説明ありがとうございます。今、ミュージカル座のひめゆりのアーカイブ配信がされているので、改めて見直します。
今年の6月24日にひめゆりの塔へ行きました。沖縄には、何度も行っていますが、ひめゆりの塔へは初めて行きました。ひめゆりの塔は、子供の時に、読書感想文で書いた本でした。深い思いのある感想でしたにで、行くのが怖く感じておりました。ですが、行く事で、本では伝えられない事、その後を体験した方の話など、胸が苦しくなりました。以前沖縄に行った時に、おばあさんが海に手を合わせていました。その光景が、浮かびました。沖縄のあの綺麗な海には、深い思いがあるにだと。同じ海で起きた事が目に浮かびました。戦争は、意味のない行動。ですが、平和と言う事を感じさせてくれる、当たり前が当たり前でない。事を感じさせて頂きました。コロナで閉館の危機・驚き‼️です。何をどうしたら?
太平洋戦争が始まる4カ月前に台湾で生まれ、沖縄戦で多くの方がなくなられたころ近くにいて、13歳上の私の姉が台湾の女子師範にいたので、沖縄の女子師範の方の件は他人事とは思えません。昭和39年と40年に沖縄専用のパスポートを持って、真っ先にひめゆりの塔に行きました。女子師範生き残りの女性から悲惨な話を聞きました。一緒に逃げていた女性が腹に銃弾を受け、ここにいては危ないと別の壕に移ろうとした時、負傷した女性はお腹から内臓が飛び出していて、自分で内臓を抱えて逃げたと聞きました。戦後20年たったあの頃でも、壕に入ると簡単に骨が出て来て、凄まじさを肌身で感じました。亡くなられた方のご冥福と沖縄の繁栄を心から祈ってます。
東京青梅の男です。2度と戦争をしない為に政治に目を向けて危ない方向に行かない様にして行きましょう、ノーと言える国民になりましょう。
姉の小学校4年生の時の先生が学徒隊の生存者だったと聞きました。とても優しい先生だったと言っていました。私の小学校5年生の時の担任の先生は師範女子部のOGでした。OG敏子先生でした。とても楽しくて優しい先生でした。[ひめゆり平和記念資料館]に女子生徒の集合写真が展示されていて、小学校2年生の時の担任の先生I とみ先生の若かかりし頃のお顔を拝見しました。6年前に帰省した際に何年ぶりかで訪れました。次回は[島守の塔 を訪問しようと思います。動画ありがとうございます。]
とても悲しいですね!同じことが繰り返されないよう語り継いで行きます!
こんばんは😃🌃私は二回ほど訪れました。中に展示されている写真を見たり語り部の方のお話を聞いて胸が締め付けられるほど切なくにりました。若い命を亡くすようなことが二度とあってはいけないと思います。
詳しい解説ありがとうございます。
沖縄旅行でお邪魔しました〜!大人になってやっぱり戦争ってほんまにあったんやなって実感しました!そしてあずささんをリアルタイムで観たのでまさかTH-camrだったとわー😲これからも応援しています!!
素晴らしい動画感謝します。
沖縄に観光でしか行った事がないので、次回は貴重な歴史の事実について勉強しに行きたい。
ごんちゃん、チャンネル登録させてもらいました!ひめゆりの塔は人生で必ず行くと決めてる場所の一つなんでびっくり。めっちゃ応援してるよー📣頑張れ‼️
もう本当に戦争してほしくない。、。
北海道旭川です。30年くらい前かなぁ🤔沖縄戦の戦跡周りしました。(某組合)のツアーでしたね~。語りべの🤔確か、ミヤギキクコさんの講演聞きました。
こういった病院壕はたくさんあると思うのですが、伊原第三外科壕がひめゆりの塔として整備されるに至ったのは何故でしょうか。ひめゆりの塔から数百メートルの位置にある伊原第一外科壕や陸軍病院山城壕とのあまりの違いに驚きました…。悲しい歴史の記憶を途絶えさせないためにも是非これからもこういった発信をお願いします!
日本での最も最悪な現実ですね💦この様に若い方が語り手としていらっしゃる事が素晴らしいです。私も若年の時訪れましたが、その時はこんなところツアーに入れるなよって 思っていました。数十年前戦時中最後の沖縄県知事さん(嶋田叡さんや荒井警察部長)の特集で感心を持ち数年前に再度訪問致しました。その時は泣く事しか出来ませんでした(T ^ T) 何か少しでもお役になる事が有れば微力ながらお手伝いをしたいと思います。今後世界中であってはならない人殺し(戦争)を代々後世に誤ちを伝え続け 誤ちを皆無に!
50年前に喜屋武公民館に泊まり、15名で自炊をしなが3週間遺骨収集をしました。ほとんどの遺骨は野ざらしで、バラバラの遺骨ではありませんでした。沖縄へ行く時には、魂魄の塔だけには参拝しています。
高校生の時に行きましたが、当時の私には心が締め付けられて15分くらいが限界でした。大人になった今、改めて学びたい。
1978年に訪問しましたその前年位に当時の皇太子夫妻(元上皇夫妻)がひめゆりの塔訪れた際、一晩ガマの中のあの斜面で待ち構えた過激派が火炎瓶投げつけた時で、ガマの壁見て過激派ここで一晩・・・・ しか覚えてません当時はまだ資料館もなく、帰ってからひめゆり部隊の本読み漁り、もっと慰霊碑とかきちんと読んでおけばよかったなあと後悔しています。正直、ひめゆりの塔の話と火垂るの墓は悲しすぎて見聞きするのがつらいですただ、現状の沖縄の方の平和志向に対し「平和ボケ」と言ったり否定的な意見を持っておられる方は、今一度沖縄戦を調べてほしいと思います
ひめゆりの塔。家の事情で行くことが出来ないのでとてもありがたいです。小学生の時沖縄から岡山へ引越しするまで6月23日は戦争が終わった日だと思っていました。
戦争なんて絶対したくない。皆んな誰かの大切な人なんだ。絶対繰り返しちゃいけない。
私の祖父は兵士でした。海軍です。小さい時、話を聞きましたが1番悲惨な戦争がこの沖縄戦だったと言っていました…
今たがら言えるお話ですが祖父はもうこれは勝てないと思い、乗っている戦艦をそのまま九州へ移動し、逃げたとのことでした。そのおかげで私は今命があります。だからたくさんこの戦争のことを勉強し、学び、沖縄へ移住して戦争の事を調べあげ、体験した事があるおばあやおじいとしりあってお話させて頂きました。
この戦争はこれからも後世に伝えていくべき事だと思います。
ありがとうございます。
中学のときの国語の先生がひめゆり部隊の生存者だったことを思い出しました。
17歳のときに修学旅行でひめゆりの塔を訪れました。体験談も聞かせていただきました。ほんとに泣けてきました…北海道から訪れました。
うちの学校は、修学旅行は選べる3コースで、沖縄と東京、京都奈良東京、オーストラリアから選べました。
戦争を知りたい!と思ったので沖縄を選んでよかったです。
今では「ひめゆり学徒隊」が有名になってますが、「ひめゆり学徒隊」以外にも「白梅学徒隊」「瑞泉学徒隊」「積徳学徒隊」「なごらん学徒隊」「八重山学徒隊」「宮古学徒隊」等(他にも存在)があったそうです。どの学徒隊もひめゆりの塔とは違い観光コースから外れたひっそりとした場所で自決や米軍の銃弾に傷つけられ死んでいった場所に慰霊の塔がやはりひっそりと建っています。私は高校生の時に6月23日の県の教育委員会主催の平和学習に参加し、「ひめゆり学徒隊」以外の学徒隊の存在を知りました。平和学習では木々が鬱蒼とした場所にある「白梅の塔」をお参りし、「白梅学徒隊」の生存者の方の説明に男ながらに涙してしまいました。日本唯一の悲惨な地上戦、風化させてはいけないですね。
あずささんが熱い思いを込めて「いきたかった!でも生きられなかった!!」この言葉で伝えてくださった学徒や沖縄戦でなくなった方々への気持ちを我々は絶対に忘れてはならないと再度痛感いたしました!
学生の時、リゾート気分で沖縄を訪れ、そのノリでひめゆりの塔に行き、衝撃を受けました
それ以来、沖縄を訪れるときは必ず慰霊の場所を訪れるようにしています
高校の時訪れましたが、他校の生徒さんが多かったりグループ行動だったりであまりゆっくり見る事が出来なかったんです。リニューアルされたとの事でコロナが落ち着いたら足を運ぼうという気持ちがさらに強くなりました。資料館に支援ができるという事も恥ずかしながら知らなかったので、この機会に募金しようかと思います。この動画に辿り着いてよかった。あずささん、ありがとうございます。
沖縄戦を取り上げて頂きありがとうございます。
圧倒的な情報量を分かり易く表現して紹介できるのはあーずー流石です。今や大切なのは継承ですし風化させないことだと思います。
リニューアル後に訪れましたがとても良かったです。これも真実の歴史、是非沖縄を知る上で絶対に訪れてほしい場所です。
沖縄戦、ひめゆりの塔の貴重な動画解説有り難うございます。
私は千葉県在住です。
途中涙ぐみました。同時に沖縄戦に対して怒りも覚えました。
沖縄戦、ひめゆりの塔関係の映画やテレビ等で学びましたが今回
阿波根さんのパネルを交えた、より一層中身が深く細かい話を伺い戦争の恐ろしさと平和の有り難さを実感致しました。
沖縄戦、忘れません。
あずささんのお話を聞いていて、胸が締め付けられました。
76年前の出来事とは思えません
今、幸せに生きている事に感謝できるようになったのも沖縄戦を知ってからです。
ひめゆりの塔の経営難
ニュースで知り少しではありますが寄付させていただきました。
貴重なお話ありがとうございました。
私が中学生の時修学旅行で沖縄へ行きました。当時は友達と過ごせる楽しさ、ワクワクで学ぶことは二の次にしていました。
この動画を拝見して、学べる時にしっかり自分の目で見て感じ、学ばないといけないと思うことができました。
この動画を拝見することができ、出会えてよかったです。
大好きな沖縄きっかけがひめゆりの塔でした。
そしてこの動画で資料館の経営危機を知りました。
絶対存続してほしい、シェアして頂きありがとうございました。
中学生の時に修学旅行で沖縄に行きました。
その際に資料館にも訪れましたが、大きな衝撃を受けたことを今でも覚えています。
沖縄戦は将来に必ず語り継ぐべきことです。
二度とこのような悲惨なことは起こしてはいけません。平和学習も現状なかなか厳しい状況ではありますが動画を通じてあずささんの思いは伝わるはずです。
義務教育の期間、数ある平和学習をしてましたがひめゆりが個人的には1番印象に残っています。高校生の私には本当に恐ろしかったです。
中学校の修学旅行でひめゆりの塔へ行きました。そこでひめゆり学徒隊の生存者の方の講演を聞いて、看護をしていた洞窟の中の臭いが強烈すぎて未だに忘れられないと言われていたのを覚えています。あまりの壮絶な体験を聞いて帰りのバスの中ではみんな沈黙だったのを覚えています。
その後、沖縄戦の事が気になり10年後にまたひめゆりの塔へ行きましたがあまり時間が無くゆっくり見学できず心残りだったのでまたもう一度行きたいと思ってます。
わかりやすい動画を作って頂きありがとうございました。
ひめゆりの塔の記念館に行った時、目眩がしました。
この戦争で亡くなられた方々の写真が飾られている部屋では、写真の方々に鋭い視線を向けられ走ってその部屋を出ました。
その後は涙が止まらなくなりました。
不思議な体験をした場所でした。
だけどもう一度行きたいと思っています。
どうしてそうなったのか確かめたいです。
恥ずかしながら、数年前まで沖縄戦の事を教科書レベルでしか知らず沖縄に旅行をしていました。ただ子供が小学校高学年になったタイミングで初めてひめゆりの塔に行き、深く沖縄戦を勉強し事実を知ることができました。うちなんちゅ·ないちゃー·外国の方問わず、後世に語り継ぐ施設は必要だと思います、これからも大切にしていきたいですね。少しですが寄付させて頂きました。これからも、ジャンル問わず発信して下さいね。
あずささん
ひめゆり平和祈念館と第三外科壕のご紹介ありがとうございました。私の祖父が沖縄戦で戦死しています。祖母・母とも平和の礎を訪れる前に亡くなりました。孫が慰霊の日の沖縄滞在を続けています。自らが住まう街が戦場になったことはよそ者にはわかりません。しかし内地から赤紙一枚で召集され、沖縄で斃れた軍人という立場の一般人を十把一絡げに〝軍人〟として平和祈念公園入口でシュプレヒコールをあげていた態度には興醒めしたことを覚えています。多くの人々が亡くなった沖縄戦、しかしその背景は様々だということも事実です。
南風原の陸軍病院壕も行きました。荒崎も・・・。しかし学校の所在は知りませんでした。早速この6月に向かいます。見解は様々あるとは思いますが、ウチナーの目線から見た情報発信を今後とも宜しくお願い致します。
千葉県在住です。
素晴らしい解説ありがとうございます。この様な辛い戦争を若い方が伝える事が大切だと痛感しました。
動画のアップをありがとうございます。
沖縄に行きましたら、まずは ひめゆりの塔 へ。
お供えが可能ならば、お花、お水、おにぎりを持って行きます。
看護訓練を受けたのに、怪我人をおいて立ち去る・・・どんな気持ちだったのかと想うと心苦しくなります。
戦争で亡くなられた方たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私が中1の時、私はアメリカから日本旅行に行ったときにおばがひめゆりの塔に連れてったことがなります。おばが私に花束をわたし、私に"あなたに花を渡したほうが、なくなったひめゆりの学徒隊の人たちが喜ぶよ。"と私に言いました。あの時、涙がもう止まらず、胸が痛かったです。
今は茨城住まいですが、生粋の沖縄生まれです。
小さな頃、戦争体験者のおじぃとおばぁにちょっとした興味本位で話を聞いた事がありますが、淡々と…ただただ淡々と話をしてくれました。
子供心に『聞いてはいけない事だったんだ』と思い、それ以来話を聞く事はありませんでした。
おじぃ、おばぁだけでなく、二人の兄弟姉妹にも同様でした。
おばぁの妹であるおばさんが亡くなったと聞いた時に『おばさんはひめゆりだった』と初めて教えられました。衝撃でした。
そして話をきちんと聞かなかった事をとても後悔しました。
実際に体験された方々の話を直接聞く事が出来る最後の世代が自分達だったんだと、今さら気付いたのです。
今もおばぁ一人だけ生きていますが、やはり高齢による痴呆が進んでいる為に話を聞く事が出来ません。
でも、私達世代が次の世代に語り継いでいかないといけないと思っています。だからこのような動画は非常にありがたいです。
辛い歴史であっても目を背けないで、各々がしっかり学び、繋いでいかないといけないですね。
生まれも育ちも糸満市です。小学校の社会科見学で、平和記念公園やひめゆりの塔、防空壕に行ったことがあります。たまたま、ひめゆりの塔が気になり、初めて試聴しました。20歳で就職を機に上京して、現在は神奈川県に住んでいますが、この動画で、「でーじ」「うーとーとー」「わじわじ」とか、方言も聞けて懐かしかったです。また、分かりやすい解説で、勉強になりました。ありがとうございます。
3月1日にひめゆりの塔に行きました。初めは平和祈念公園に行ったけど、時間が無くてすぐにひめゆりの塔に向かいました。公園の前の「平和園そば」の天ぷら定食は美味しかったです🍤。
ひめゆりの塔でも時間が無くて、碑を読んでガマをのぞいただけでした。この配信を観たら、時間をとってちゃんと観たくなったので、首里城が再建されたらまた沖縄旅行に来て、資料館にも入ってみます。
資料や祖父母の話でしか聞いていませんが、改めて戦争はいかなる理由があろうとも絶対にあってはならないと強く学べました。ありがとうございました。
私が行ったのは小学生の時でしたが
20歳になった今、また深く考えられる
ようになったなと思います。
戦争の事を調べたり見たり色々しています。
この動画もまた勉強になり、聞きやすかったです!!
先日、ひめゆりの塔の資料館に伺いましたが、そこで見た資料や映像が一つ一つ浮かび上がるくらい的確で分かりやすい解説でした。
今月愛知県から沖縄旅行に行きますので
どこを観光しようか調べている中で見つけて拝見しました。
ひめゆりの塔の背景、戦争がどんなに悲惨な事か非常に分かりやすく解説されていて
やはり日本人なら1度は行っておかないといけない場所だと痛感しましたので
今月訪れようと思います。
昔ひめゆり平和祈念資料館に行きました
私達は戦争を知らない世代と言われていますが戦争があったのは確かです
この建物を建ててくれた人には感謝しかない
この建物が無かったらみんな戦争という時代を忘れてしまうでしょう
沖縄や戦争で亡くなった方、、
どうぞ安らかに、、
私もどういうわけか、ひめゆり学徒隊に関しては思い入れがあり、調べるたびに感情移入してしまいます。 彼女たちの集合写真を見て泣いたこともあります。
私はまだ20代なのに、実際元ひめゆり学徒隊の方から高校の頃お話を聞いたことがあるで、すごく貴重な体験だったんだなとあーずーさんのこの動画と、ライブ配信を観て改めて思います。
私が言うのはおそれ多いですが、きっと
あーずーさんの想い、ひめゆり学徒隊のみなさんに届いていると思います。
長くなりました🙇🏻♀️
私は中学生の頃文化祭で、ひめゆりの塔の野外劇をしました。それから43年後の今週末に沖縄県に社員旅行✈️で行きまして
自由行動してこのひめゆりの塔平和祈念館に行きます。 素晴らしい予習になりました。 ありがとうございました♪ 募金もします。
私は中学の修学旅行でこのひめゆりの塔に訪れましたが、他の方も何人か仰っていましたが、ガマにも行ったのですが、当日吐き気と目眩と頭痛に襲われて、涙が止まらず恐怖を感じ、なかなかガマの中に入れなかった記憶がすごくあります。中には友人や先生に連れられ入ったらしいのですが、私は記憶が曖昧になるほど、恐怖しか感じておらず、当時の私は何も勉強が出来なかった覚えがあります。
今もこの動画を拝見していて、頭痛が凄いですが、あれから10数年経ち、とても大切なお話、正しい情報を提供してくださっており、見ずにはいられないと思い、拝見しております。
沖縄戦…決して忘れてはならないですね。当時勉強出来なかったことを、改めて勉強する事が出来ました。
あーずーさん本当にありがとうございました!
正しいお話しありがとうございます。今の平和が誰のおかげなのか、忘れている国民が多い気がします。
今の学校では正しい歴史は学べないので、このような正しい情報を多くの国民に見てもらいたいです。
沖縄県民ですけど、沖縄戦についての話をたくさん教えてもらって来たのですけど、ひめゆり学徒隊の話をこんなに詳しく教えていただきありがとうございます。
あずさ先生の沖縄愛を感じました🙇♂️
25日に仕事の合間に荒崎海岸に寄りました。きれいな海水浴場だと思っていましたが・・・ひめゆり学徒隊散華の跡と知りとてもつらい気持ちになりました。しかし何かに導かれる様に沖縄戦の悲劇に触れたことは沖縄に暮らしている今、とても重要な事だと思っています。これからもこの様な貴重な動画を楽しみにしています。
音声ソフトでの解説動画と違い、丁寧な話し方と身振り手振りを交えての解説が
分かりやすく、悲惨な出来事だった事がすごく伝わってきました。
昨年、長女が修学旅行で沖縄に行く予定でしたが、コロナの影響で中止となり
ひめゆりの塔もコースに入っていましたので、この動画を見てもらい
なにか感じ取ってもらえればと思います。
高校の修学旅行の際に
ひめゆりの塔、ひめゆり資料館に
行きましたが、修学旅行の為時間が
限られており、じっくり見ることが
出来ませんでした。
コロナが収束したら
しっかり見て学びに行きたいと思います。
素晴らしい動画をありがとうございました🙏
高校の修学旅行で訪れました
激しい頭痛に苦しみました。
今も尚、成仏出来ない戦没者の方々の苦しみの声のような気がしました……
もう二度と繰り返して欲しくないです
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
感謝いたします。県民として忘れることなく語り継ぎます。各地で90代の老人たちに「語れない悲劇」もあることを、義父舅から聞き衝撃を受けた経験を忘れません。
ありがとうございます
私はこう言う自国の話が聞きたいです。知りたいです。
知らないなんてダメです。
苦しいけど辛いけど
話して欲しいです。
ホントありがとう
ございました。
ここに高校の修学旅行で行きました。
そして沖縄にあるガマに入りました。
この資料館で聞いたことやガマに実際入ってみて、本当に「辛い」という言葉では表せられないくらい悲惨な出来事だったのだなと感じました。また、ガマに入ってみて、こんなに暗いところで、こんなに狭いところで、こんなに足場が悪いところで、過ごしてたんだなと思うと心が非常に痛かったです。私は霊感があるので、兵士さんのような人をガマの中で見ました。両足の膝から下がありませんでした。傷だらけでした。ここで亡くなられた方なんだなと察しました。本当に辛くなりました。
今回、詳しくまた戦争についてやひめゆりについて知れたので良かったです。
とても分かりやすい説明をありがとうございます。
小さい頃に行った時はよく分からなかったのですが、いま改めて見てとても考えさせられました。
また行った時にはより考えながら見たいと思います。
とても分かりやすい動画で勉強になりました。学校で勉強したけど、その時の何倍も理解できたし、考えさせられました。
のらりくらりと平和ボケで生きてては絶対にいけないな。
勉強になりました。
戦争の悲惨さ、悲しみが伝わりました。とっても分かりやすかったです。二度と同じ悲惨な事がないよう、沖縄に行ってたら綺麗な面だけではなく、戦争についても学べる場所へ足を運ぼうと思います。
私は大和住みですが、私の母方の曽祖母も沖縄戦で命を奪われております。また、祖母も生前はひめゆりの塔には、友達がいるから行きたくないと言っておりました。
そんな中、私は先週井原第3外科壕跡に行って参りました。
また、中南部にある、ガマの一つ一つにも様々な方々の想いや悲しみがあり、私の子供達にもこの想いや悔しさ悲しさ、色々な感情が入り混じった想いを伝える為、また、繰り返さない為、まずは知るという事をしております。
そんな中、辺野古の埋め立てに使う土も南部から持っていくものもあると知りました。
そこには、まだ見つかっていない遺骨が何柱もあると知り、御遺族の方々の気持ちを考えると言葉にもできません。
ひめゆり学徒隊や、白梅、その他様々な学徒隊があり、
沖縄に旅行に行かれる方々におかれましても、少しでも悲しみを繰り返さぬよう、戦争がいかに愚かな事か伝われば幸いです。
私も何度か訪れましたが、その都度沖縄戦の凄惨さが痛いほど伝わってきました。
そもそもなぜ日本は対米戦争を回避することができなかったのか。
沖縄に足繁く通うようになって真剣にそのようなことも考えるようになりました。
8月には家族でまたここを訪れる予定です。
その際に微力ながら資料館の維持のためのお手伝いをさせていただこうと考えております。
高校の時修学旅行で行ったけど本当に色々な思いにさせられるところだった。もう一度行きたいです。
ひめゆり平和祈念資料館に今週月曜日にいってきました。県内唯一の淡水プールが自慢だったエリート校の女の子たちが戦争に巻き込れ苦労した末に命を落としてしまう理不尽さがとてもよくわかる展示でした。彼女たちがもし戦争に巻き込まれずに学校を卒業したらどんな人生を歩んでいたんだろうと思いながら、沖縄から帰ってネットでひめゆりのことを検索していたらこの動画を見つけました。資料館で学んだことが寸分違わず簡潔にまとめられていて、改めて思いをはせることができました。ありがとうございました。
沖縄で産まれ育ちましたが一度も平和の礎へ出向いた事がありません。
小学生の頃通路に座ったり立見してるお客さんでいっぱいいっぱいの映画館でひめゆりの塔という映画を観ました。
今でも印象に残ってる場面は芋畑に隠れて芋をかじってる場面です。
今日この時まで平和の礎には沖縄県民のみの名前だけが刻まれてると思っていましたがそうではなかったのですね、、
犠牲になったのは沖縄県民だけではなかったのか。
まずは足を運ばないといけないなと改めて感じました。
コロナ禍で運営が大変なんですね。
早速、寄付させていただきました。
後世に伝えることのお手伝いが出来て嬉しいです。
これは…貴重な動画
わかりやすい解説ありがとうございました。
小2の息子にも見せたい動画だと思いました。
ただの沖縄好きだけではいけないと思いました。
高校の修学旅行先が沖縄で、ひめゆり平和祈念資料館にも行かせていただきました。
強烈に記憶に残っているのは、ひめゆり生存者の方が戦争当時のことを語られているインタビュー映像です。「壕の中にいたら、隣にいた友人の額に銃弾があたり、血を流して倒れた。一瞬の出来事だった。」と語られているのを観た私は、もしも今ここで銃を持った人間がやってきて隣の人が撃たれたら……と、ゾッとしたのを覚えています。
現在でも、諸国で内戦や紛争などは起きています。みんな、自分の国や大切な人たちを守りたいという想いは同じなのに、国の考え方や教えひとつですれ違ってしまう……。とても悲しいことですよね。
だからこそ忘れないでほしい。
「ぬちどぅたから」。
あずささんはじめまして、いつも動画拝見させてもらっています。今日は色々学べました。ありがとうございます。沖縄戦は残酷でした。そう母から聞きました。あずささんからお話しを聴いて再度改めて思いました。この教訓を次世代へ伝えてもらってありがとうございます。いっぺいにふぇ〜で〜びる👍感謝
この動画の作成に感謝します。
観てる間中、涙が溢れて来ました。数年前、一度、沖縄旅行でここを訪れました。また、ひめゆりの塔、訪れてみたいです。
初めまして
26年前に高校生の時、修学旅行で、沖縄に行ったことが、あります
動画は、とても勉強になりました
今この時代が、本当に平和で、よかった
いつか沖縄を訪れたいです
ますますの活躍を期待しています✨
9年前に初めてひめゆり平和祈念資料館を訪れた時の事を思い出しました。
私も展示内容をじっくり見ていたら、いつの間にか3時間も経っていて驚きました!
個人旅行でしかも一人旅だったから出来た事ですね。
たしかにお腹が空きますね!その後、急いで食堂を探したくらいですから(笑)
素晴らしい解説ですね😊
必ず行きます🇯🇵
ひめゆり学徒隊のことを調べていてこちらに辿り着きました。
ひめゆりのことは子供の頃からずっと気になっていました。
沖縄には何度も行っていて、ひめゆり祈念資料館にいつも行きたいと思いながらも行くことができていませんでした。きっとまだ行くべきときではないのだろうと思っていました。
来週、沖縄に行きます。今回の旅の目的はひめゆり祈念資料館に行くことです。ついにその時が来ました。
沖縄に中学校の修学旅行でいってひめゆりの塔に行きました、大人になりまたひめゆりの塔に行きたいなと思っていた時に動画をみつけました、ありがとうございます。コロナが落ち着いて沖縄行けるようになったらいきます!
私の地元も激しい地上戦があり、小学校の頃に平和学習でおばぁから戦争体験を聞いて衝撃を受けたのを覚えてます。現在90過ぎて、色んな事を忘れている中、戦争体験は今でも覚えている様でたまに話してくれます。
こんな悲惨な事は二度とおこってほしくないです。
貴重なお話をありがとうございます。そして御冥福を祈っております。
阿波根さんの数ある作品の中で、最も見ごたえのある作品であると思います。歴史を学ぶのは、大事な事。
お国のためと思い込まされて命を捧げられた先人のおかげで我々の平和が実現しているのがとても皮肉ですが、そういった先人のお命を決して 無駄にしないために二度と同じ過ちは繰り返してはいけません。
ひめゆり資料館に関しては中学2年生だった21年前に家族旅行で訪れて以来訪問できてなかったのですが、リニューアルされたと聞いたのでずっと行ってみたいと思っておりました。
コロナの情勢で沖縄に行く予定が何度も延期になっていますが、次に行く時は行きたい場所の一つです。
高校の卒業旅行で行ったはずなのに全く内容覚えてなくて、もっとしっかり見て聴いておけば良かったと思いました。コロナ終わったらまた沖縄に行きたいです。
沢山の情報で分かりやすい解説、ありがとうございました。
沖縄戦の話になるとひめゆり学徒隊にクローズアップされることが多いですが、ひめゆり学徒隊以外にも、従軍看護婦として活躍して犠牲になった女子学徒が沢山いることを知って欲しいです。。。
ひめゆり学徒隊の生存者の方以外にも、従軍看護婦の生存者の方もいらっしゃいます。
是非 あずささんに取り上げていただきたいです。
早速、名古屋から少額ながら、資料館に寄付金振込みました。コロナ過で地元に帰沖出来無いのが残念です。あずささん、もっと、沖縄の状況動画配信して下さい。私も、2年前までは、慰霊の日に帰って摩文仁の平和の礎に足を運んでました。早くコロナが収束して欲しいです。
コロナで中々旅行が出来ないので、
こういう動画はとても嬉しいです!
そしてためになる!
とてもわかりやすい解説で、
どれだけ過酷だったのか分かった気がしました。
素晴らしい動画をありがとうございます。
歴史の勉強ですね。
私は6回沖縄本島に行ってましたが、必ず、平和の礎とひめゆりの塔に行って、戦死した人、巻き込まれた人達に手を合わせてます。
いつも楽しく見させていただいています。
次の沖縄訪問時にはリニューアルした資料館を見学します。
楽しいだけの沖縄旅行だけではなく、歴史を自分の目で確かめることも大切だと思っています。
有難うございました。
こんにちは。私は、たまに子供(小学校3年生だったとき)を連れてひめゆり平和祈念資料館に行ったときに元ひめゆり学徒隊の謝花澄江さんに会いました。
沖縄の修学旅行で沖縄平和祈念資料館とひめゆり祈念資料館に行きましたよ
昨日ひめゆりの塔に行き、戦争の悲惨さを改めて感じました。
白梅学徒隊のことも忘れないで下さい。
いつも、ありがとうございます。
気持ち、伝わります。 どれくらい思いを込めて話し、伝えるかですよね。
気になったら、あとはそれぞれ個人個人が、その人の立場で考え学ぶ事。
詳しい説明ありがとうございます。
今、ミュージカル座のひめゆりのアーカイブ配信がされているので、改めて見直します。
今年の6月24日にひめゆりの塔へ行きました。沖縄には、何度も行っていますが、ひめゆりの塔へは初めて行きました。ひめゆりの塔は、子供の時に、読書感想文で書いた本でした。深い思いのある感想でしたにで、行くのが怖く感じておりました。
ですが、行く事で、本では伝えられない事、その後を体験した方の話など、胸が苦しくなりました。
以前沖縄に行った時に、おばあさんが海に手を合わせていました。その光景が、浮かびました。沖縄のあの綺麗な海には、
深い思いがあるにだと。同じ海で起きた事が目に浮かびました。
戦争は、意味のない行動。ですが、平和と言う事を感じさせてくれる、当たり前が当たり前でない。事を感じさせて頂きました。
コロナで閉館の危機・驚き‼️です。
何をどうしたら?
太平洋戦争が始まる4カ月前に台湾で生まれ、沖縄戦で多くの方がなくなられたころ近くにいて、13歳上の私の姉が台湾の女子師範にいたので、沖縄の女子師範の方の件は他人事とは思えません。昭和39年と40年に沖縄専用のパスポートを持って、真っ先にひめゆりの塔に行きました。女子師範生き残りの女性から悲惨な話を聞きました。一緒に逃げていた女性が腹に銃弾を受け、ここにいては危ないと別の壕に移ろうとした時、負傷した女性はお腹から内臓が飛び出していて、自分で内臓を抱えて逃げたと聞きました。戦後20年たったあの頃でも、壕に入ると簡単に骨が出て来て、凄まじさを肌身で感じました。亡くなられた方のご冥福と沖縄の繁栄を心から祈ってます。
東京青梅の男です。2度と戦争をしない為に政治に目を向けて危ない方向に行かない様にして行きましょう、ノーと言える国民になりましょう。
姉の小学校4年生の時の先生が学徒隊の生存者だったと聞きました。とても優しい先生だったと言っていました。
私の小学校5年生の時の担任の先生は師範女子部のOGでした。OG敏子先生でした。とても楽しくて優しい先生でした。
[ひめゆり平和記念資料館]に女子生徒の集合写真が展示されていて、小学校2年生の時の担任の先生I とみ先生の若かかりし頃のお顔を拝見しました。
6年前に帰省した際に何年ぶりかで訪れました。
次回は[島守の塔 を訪問しようと思います。
動画ありがとうございます。]
とても悲しいですね!同じことが繰り返されないよう語り継いで行きます!
こんばんは😃🌃
私は二回ほど訪れました。
中に展示されている写真を見たり
語り部の方のお話を聞いて胸が締め付けられるほど切なくにりました。
若い命を亡くすようなことが二度とあってはいけないと思います。
詳しい解説ありがとうございます。
沖縄旅行でお邪魔しました〜!
大人になってやっぱり戦争ってほんまにあったんやなって実感しました!
そしてあずささんをリアルタイムで観たのでまさかTH-camrだったとわー😲
これからも応援しています!!
素晴らしい動画感謝します。
沖縄に観光でしか行った事がないので、次回は貴重な歴史の事実について勉強しに行きたい。
ごんちゃん、チャンネル登録させてもらいました!ひめゆりの塔は人生で必ず行くと決めてる場所の一つなんでびっくり。めっちゃ応援してるよー📣頑張れ‼️
もう本当に戦争してほしくない。、。
北海道旭川です。30年くらい前かなぁ🤔沖縄戦の戦跡周りしました。(某組合)のツアーでしたね~。語りべの🤔確か、ミヤギキクコさんの講演聞きました。
こういった病院壕はたくさんあると思うのですが、伊原第三外科壕がひめゆりの塔として整備されるに至ったのは何故でしょうか。
ひめゆりの塔から数百メートルの位置にある伊原第一外科壕や陸軍病院山城壕とのあまりの違いに驚きました…。悲しい歴史の記憶を途絶えさせないためにも是非これからもこういった発信をお願いします!
日本での最も最悪な現実ですね💦この様に若い方が語り手としていらっしゃる事が素晴らしいです。私も若年の時訪れましたが、その時はこんなところツアーに入れるなよって 思っていました。数十年前戦時中最後の沖縄県知事さん(嶋田叡さんや荒井警察部長)の特集で感心を持ち数年前に再度訪問致しました。その時は泣く事しか出来ませんでした(T ^ T) 何か少しでもお役になる事が有れば微力ながらお手伝いをしたいと思います。今後世界中であってはならない人殺し(戦争)を代々後世に誤ちを伝え続け 誤ちを皆無に!
50年前に喜屋武公民館に泊まり、15名で自炊をしなが3週間遺骨収集をしました。ほとんどの遺骨は野ざらしで、バラバラの遺骨ではありませんでした。
沖縄へ行く時には、魂魄の塔だけには参拝しています。
高校生の時に行きましたが、当時の私には心が締め付けられて15分くらいが限界でした。大人になった今、改めて学びたい。
1978年に訪問しました
その前年位に当時の皇太子夫妻(元上皇夫妻)がひめゆりの塔訪れた際、一晩ガマの中のあの斜面で待ち構えた過激派が火炎瓶投げつけた時で、ガマの壁見て過激派ここで一晩・・・・ しか覚えてません
当時はまだ資料館もなく、帰ってからひめゆり部隊の本読み漁り、もっと慰霊碑とかきちんと読んでおけばよかったなあと後悔しています。
正直、ひめゆりの塔の話と火垂るの墓は悲しすぎて見聞きするのがつらいです
ただ、現状の沖縄の方の平和志向に対し「平和ボケ」と言ったり否定的な意見を持っておられる方は、今一度沖縄戦を調べてほしいと思います
ひめゆりの塔。
家の事情で行くことが出来ないのでとてもありがたいです。
小学生の時沖縄から岡山へ引越しするまで6月23日は戦争が終わった日だと思っていました。
戦争なんて絶対したくない。
皆んな誰かの大切な人なんだ。
絶対繰り返しちゃいけない。