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アメリカにはマッカーサーが運び出した仁徳天皇陵のお宝、沖縄の米軍基地で見つかった神代文字が書かれていた多数の石板とか、いろいろとあるんだよね。
伊能忠敬江戸時代中期産まれで江戸時代後期の偉業だから当時最新の測量技術。江戸時代前期の小笠原諸島測量した松浦氏武家の「島谷市左衛門尉」と※島谷市左衛門尉が小笠原父島に「此之島大日本領也」と言う標識を立てて居た事で イギリスの捕鯨基地の為の領地に成るのを防いだ。(この事は最近まで日本人よりアメリカ人の方が良く知って居てアメリカ出版著書の方が多い。)江戸中期に北海道と北方領土を測量をしたのも新潟の島谷村出身の最上徳内。※氏姓が違うのは幼い時に高宮家に養子に出され、うだつが上がらなんかった為 高宮家から出て帰郷し島谷家総家を頼り、総家の紹介で本多塾に通い測量を学び 塾長が北海道測量巡検士に参加するならばと本多家の本姓の最上姓を塾長から頂き最上徳内と名乗った経緯。最上徳内は青森県野辺地の同族の呉服問屋島屋を営む島谷家を拠点した関係でそこの娘さんと結婚してて伊能忠敬も呉服問屋島屋の島谷家に立ち寄ってるそうですね。幕末には戌辰戦争時薩長軍に追われて居た会津藩士の芝五郎は、この呉服問屋島屋に逃げ込み、島谷家の方が起点を利かせ匿う為に養子にし島谷清五郎と名乗らせて薩長軍を遣り過ごせた島谷清五郎は元の柴五郎に戻り北海道五稜郭を目指し会津藩士初の陸軍大将に栄達しています。広島藩の島屋の島谷武右衛門さんは尊王攘夷派を支援して居たせいなのか大阪・堺の島谷家総家の北前船交易の廻船問屋島屋兼、此花区島屋の地を新田開発で埋め立て地で飛脚問屋島屋佐右衛門で財を成して居たが薩長連合が押し寄せて来て法外な軍事物資の供与を迫られ破産して居ます。明治初期、山口県岩国創業の嶋谷汽船㈱の村上水軍出身の島谷徳右衛門さんは島谷総家の島屋の北前船航路を引き継ぐ為に米問屋と汽船業を立ち上げ昭和までに貨物船・貨客船37隻を保有し北海道と北方領土の連絡船事業から日本海・瀬戸内までの航路に国策事業の日満航路を獲得し一族経営をして居ました。大東亜戦争時、30隻以上を軍に接収され、3隻で日満航路を維持してましたが、軍令により三井船舶㈱に強制合併され社長は別の北海道の船舶会社の取締役となり、北海道・小樽の近代の街の基礎を造ったとし小樽の盟主として讃えられ小樽の島谷武次社長宅が旧島谷邸として現所有者名の筒井邸として保存されて居ます。島谷氏とは、播磨国ルーツで丹後国風土記・出雲国盗り合戦で新羅王子天日槍と戦った大国主が丹後を取られ播磨国を死守した大国主として戦った一族で、その同族が京丹後におり江戸時代前期、大阪城城代徳川家譜代の阿部家が南北朝に今伊勢と元伊勢が戦い元伊勢の蘇我社家が敗れ佐渡島に島流しにされ滅亡後、無人廃墟と化して居たので復興の為に阿部家が京丹後国大名家の2代京極高広公に京丹後国最古の氏族を探せと探し出されたのが鍛冶屋太兵衛で天橋立籠神社別宮(現)和貴宮神社の初代神主として任官の際に古代に離れ離れになり暮らす事に成った播磨国の同族の島谷氏の姓を名乗りたいとし「嶋谷出雲守」と名乗り任官。(丹後国二宮社家嶋谷家)この時の話の離れ離れになり暮らす原因が「出雲国盗り合戦」でした。家の一族の口伝には「親氏族は島氏」とあるので出雲族で島氏は出雲臣神門家末孫の島津(志摩)国造家の島(直)氏で=日本書紀の応神天皇臣下の斯摩宿禰の事であり徳川家康もルーツを辿ると出雲族でした。系譜は以下↓
先住出雲族酋長:富當雄さんが伝える口伝伝承を著書に纏めたのが斎木雲州さんの「出雲と大和のあけぼの」と「出雲と蘇我王国」の二冊の本のお話ですね。東出雲・熊野大社神主家の副王家の事代主(八重波津身)直系の向(富)家と西出雲・杵築大社旧神主家の主王家の大国主(八千矛)直系神門家は先住出雲二大王家富當雄さんは向(富)家の事代主直系の子孫ですw国常立(クナト)大神(伊弉諾)→お地蔵様と荒吐神(伊弉冉)→弁財天の関係で伊弉冉の最初の子神の蛭子神=恵比寿=事代主(少彦名)ともされて居ますから大黒天・弁財天・恵比寿の関係ですね。国常立(クナト)大神(伊弉諾≒素戔嗚)の子,菅之八耳(初代大穴持)※私の調べではクナト₌船戸神,熊野権現天若日子(妻は下照姫)の子,出雲忌部氏(八岐大蛇族)天若日子の孫,物部氏開祖饒速日(徐福),天皇家,中臣(藤原氏祖)●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜 大元出版の斎木雲州本参考。 菅之八耳(初代大穴持) : 富家本家(事代主の八重波津身) 諏訪(旧-神)家-健御名方富 ──│──磯城登美家─酋長:登美長髄彦 鳥鳴海 │ 国押富 : 野見宿禰(富大田彦) │ 土師八嶋(南関東国造の大宮-氷川神社神主家) │ ∟_______________________ 菅原道真 │ │ 大江広元 │ │∟___上田・北小路・酒井氏徳川家康 │ 毛利元就 柳生石舟斎(宗厳) │ __________________」 │ 毛利家・吉川家・小早川家 │ 柳生新次郎(厳勝) (最下段は毛利家当主のお話) 柳生宗矩(又右衛門) │ │ 柳生兵庫介(利厳) 柳生十兵衛(三厳) │ 柳生兄:利方・弟:連也斎(厳包)母:島左近の末娘。 │ 柳生厳延(厳密な柳生家系譜) :※・下記の神門氏の美良姫と富家の天日方奇日方の子が健飯勝(磯城登美家)と成ります。 (出雲建子(伊勢津彦)と兄の伊佐我(伊佐波)も系譜上に居る) 小野氏社家も始祖を富家7代:天之冬衣(八重波津身⁼事代主の実父)として居るので出雲族 あと、富家と三島家の娘との子の踏鞴五十鈴姫と饒速日系譜の天村雲の間の子 嫡男、天御影の海部氏祖 次男、神八井耳の中臣(藤原)鎌足の祖 三男、沼川耳→八井耳が多(意富)氏祖に成ります。 ・藤原氏祖とされる天児屋根は中部で各地豪族が集い中臣氏を名乗った豪族の一家の ト部氏(播磨国のタタラ場の司祭家豪族で饒速日の一族)が崇拝して居た 金屋子を奉って居た場所の地名が天児屋根で=金屋子の事です。 渡来の由来は越智-河野氏の氏神神社伝承の氏神が饒速日=徐福と言う伝承からでしょう ・他の大江氏子筋 北小路家(公家-華族(子爵),徳岡家(地下家),寒河江氏(武家),那波氏(武家),海東氏(武家) 桂氏(武家-華族(侯爵)),酒井氏(徳川家自称の親筋武家-華族(伯爵)),芦澤氏(武家) 越後北条氏(武家),安田氏(武家),浅井氏(武家) 長井氏(平家武家?) 上田氏(大江氏武家系譜断絶してる),山村氏(大江氏武家系譜-情報が無い)神門家系譜1菅之八耳の子,2八嶋篠3→4布葉之文字巧為→5→6八束水臣津野(国引主)→7↓ 八千矛(8代目大穴持の大国主)大国主=大黒天=マハーカーラ,マヘーシュヴァラ(大自在天シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの三位一体でアートマン)大国主の子、阿遅須枳高日子根の子、賀茂氏(陰陽師開祖役小角の本姓)大国主(八千矛)‥→出雲(神門)振根=倭健→伊賀曽熊の子嫡子の健部氏(神門姓を継ぐのと日本武(倭健)の名代部も同時に継ぐ)次男の二方国造家末子の島津(志摩)国造家の島(直)氏=日本書紀の応神天皇家臣、斯摩宿禰。●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜 大元出版の斎木雲州本参考。 菅之八耳(初代大穴持) : 宗像家・宗像三女神─八束水臣津野 : 神門家本家(大国主・八代目大穴持の八千矛) │ 阿遅須枳高日子根(八咫烏)─賀茂氏──役小角 │ 塩冶彦 : 出雲(神門)振禰=倭健(=日本武) │ 伊賀曽熊 │ 健部家・二方国造家・島津(志摩)国造家の島(直)氏 │ ││(=斯摩宿禰は日本書紀の応神天皇家臣) │ │ ∟____________________________ 神門家・日本武名代部 元出雲最古の氏族・島谷氏 │ │ │ 南関東国造家の島族 │ │ (島田-島野-島崎-島村-島根-島津) 健部氏・武部氏 松浦氏武家島谷氏・丹後国二宮社家嶋谷家 (下から三段列は私の調べた推定系譜) ※百済経由渡来の南関東国造家の島族(島津)氏は 秦の始皇帝融通王=弓月君と一族郎党の帰化地名姓。
50代で家を息子に任せて自分の趣味の時間に没頭し、70歳頃まで自分の足で測量していた忠敬はすごいな。
ブラボー!
そういえばペリー来航って捕鯨基地を日本に作ろうとしていたから日本地図を資料として持って帰ったのかも??
シーボルトが持ち出そうとして失敗した事件有ったな🗾必殺スペシャルでもその話有った
映画の大河への道も面白かったわw
単純に、GHQが日本を占領して捜索して見つけたものを図書館に入れたんだよ。正式な受け入れとかだと返還することになるから、恐らくこっそりとだろう。このことを知っている元日本軍人に対しては、もし口外したら戦犯指定する、もしくは戦犯指定しないなどと言って黙らせた可能性が高いというか、そんなところだろう。
当時は器具の精度がないので、何度も測り直して誤差を修正していくやり方らしいです。だから17年もかかった。地道って言葉がピッタリの偉業ですね。てか勝手にパクんなやアメリカ
勉強になったぜ! アメリカにあったのは、きっと幕末前後のドサクサに政府のスパイがDSに渡したんだろうな。ちっ!
アメリカにはマッカーサーが運び出した仁徳天皇陵のお宝、沖縄の米軍基地で見つかった神代文字が書かれていた多数の石板とか、いろいろとあるんだよね。
伊能忠敬
江戸時代中期産まれで江戸時代後期の偉業だから当時最新の測量技術。
江戸時代前期の小笠原諸島測量した松浦氏武家の「島谷市左衛門尉」と
※島谷市左衛門尉が小笠原父島に「此之島大日本領也」と言う標識を立てて居た事で
イギリスの捕鯨基地の為の領地に成るのを防いだ。
(この事は最近まで日本人よりアメリカ人の方が良く知って居てアメリカ出版著書の方が多い。)
江戸中期に北海道と北方領土を測量をしたのも新潟の島谷村出身の最上徳内。
※氏姓が違うのは幼い時に高宮家に養子に出され、うだつが上がらなんかった為
高宮家から出て帰郷し島谷家総家を頼り、総家の紹介で本多塾に通い測量を学び
塾長が北海道測量巡検士に参加するならばと本多家の本姓の最上姓を塾長から頂き最上徳内と名乗った経緯。
最上徳内は青森県野辺地の同族の呉服問屋島屋を営む島谷家を拠点した関係で
そこの娘さんと結婚してて
伊能忠敬も呉服問屋島屋の島谷家に立ち寄ってるそうですね。
幕末には戌辰戦争時薩長軍に追われて居た会津藩士の芝五郎は、この
呉服問屋島屋に逃げ込み、島谷家の方が起点を利かせ匿う為に養子にし
島谷清五郎と名乗らせて薩長軍を遣り過ごせた島谷清五郎は元の柴五郎に戻り
北海道五稜郭を目指し会津藩士初の陸軍大将に栄達しています。
広島藩の島屋の島谷武右衛門さんは尊王攘夷派を支援して居たせいなのか
大阪・堺の島谷家総家の北前船交易の廻船問屋島屋兼、此花区島屋の地を新田開発で埋め立て地で飛脚問屋島屋佐右衛門
で財を成して居たが薩長連合が押し寄せて来て法外な軍事物資の供与を迫られ破産して居ます。
明治初期、山口県岩国創業の嶋谷汽船㈱の村上水軍出身の島谷徳右衛門さんは島谷総家の島屋の北前船航路を引き継ぐ為
に米問屋と汽船業を立ち上げ昭和までに貨物船・貨客船37隻を保有し
北海道と北方領土の連絡船事業から日本海・瀬戸内までの航路に国策事業の日満航路を獲得し一族経営をして居ました。
大東亜戦争時、30隻以上を軍に接収され、3隻で日満航路を維持してましたが、軍令により三井船舶㈱に強制合併され
社長は別の北海道の船舶会社の取締役となり、北海道・小樽の近代の街の基礎を造ったとし小樽の盟主として讃えられ
小樽の島谷武次社長宅が旧島谷邸として現所有者名の筒井邸として保存されて居ます。
島谷氏とは、播磨国ルーツで丹後国風土記・出雲国盗り合戦で新羅王子天日槍と戦った大国主が丹後を取られ
播磨国を死守した大国主として戦った一族で、その同族が京丹後におり
江戸時代前期、大阪城城代徳川家譜代の阿部家が
南北朝に今伊勢と元伊勢が戦い元伊勢の蘇我社家が敗れ佐渡島に島流しにされ滅亡後、無人廃墟と化して居たので
復興の為に阿部家が京丹後国大名家の2代京極高広公に京丹後国最古の氏族を探せと探し出されたのが
鍛冶屋太兵衛で天橋立籠神社別宮(現)和貴宮神社の初代神主として任官の際に古代に離れ離れになり暮らす事に成った
播磨国の同族の島谷氏の姓を名乗りたいとし「嶋谷出雲守」と名乗り任官。(丹後国二宮社家嶋谷家)
この時の話の離れ離れになり暮らす原因が「出雲国盗り合戦」でした。
家の一族の口伝には「親氏族は島氏」とあるので出雲族で島氏は
出雲臣神門家末孫の島津(志摩)国造家の島(直)氏で=日本書紀の応神天皇臣下の斯摩宿禰の事であり
徳川家康もルーツを辿ると出雲族でした。系譜は以下↓
先住出雲族酋長:富當雄さんが伝える口伝伝承を著書に纏めたのが斎木雲州さんの
「出雲と大和のあけぼの」と「出雲と蘇我王国」の二冊の本のお話ですね。
東出雲・熊野大社神主家の副王家の事代主(八重波津身)直系の向(富)家と
西出雲・杵築大社旧神主家の主王家の大国主(八千矛)直系神門家は先住出雲二大王家
富當雄さんは向(富)家の事代主直系の子孫ですw
国常立(クナト)大神(伊弉諾)→お地蔵様と荒吐神(伊弉冉)→弁財天の関係で
伊弉冉の最初の子神の蛭子神=恵比寿=事代主(少彦名)ともされて居ますから
大黒天・弁財天・恵比寿の関係ですね。
国常立(クナト)大神(伊弉諾≒素戔嗚)の子,菅之八耳(初代大穴持)
※私の調べでは
クナト₌船戸神,熊野権現
天若日子(妻は下照姫)の子,出雲忌部氏(八岐大蛇族)
天若日子の孫,物部氏開祖饒速日(徐福),天皇家,中臣(藤原氏祖)
●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜
大元出版の斎木雲州本参考。
菅之八耳(初代大穴持)
:
富家本家(事代主の八重波津身)
諏訪(旧-神)家-健御名方富 ──│──磯城登美家─酋長:登美長髄彦
鳥鳴海
│
国押富
:
野見宿禰(富大田彦)
│
土師八嶋(南関東国造の大宮-氷川神社神主家)
│ ∟_______________________
菅原道真 │
│ 大江広元
│ │∟___上田・北小路・酒井氏徳川家康
│ 毛利元就
柳生石舟斎(宗厳) │
__________________」 │ 毛利家・吉川家・小早川家
│ 柳生新次郎(厳勝) (最下段は毛利家当主のお話)
柳生宗矩(又右衛門) │
│ 柳生兵庫介(利厳)
柳生十兵衛(三厳) │
柳生兄:利方・弟:連也斎(厳包)母:島左近の末娘。
│
柳生厳延(厳密な柳生家系譜)
:
※・下記の神門氏の美良姫と富家の天日方奇日方の子が健飯勝(磯城登美家)と成ります。
(出雲建子(伊勢津彦)と兄の伊佐我(伊佐波)も系譜上に居る)
小野氏社家も始祖を富家7代:天之冬衣(八重波津身⁼事代主の実父)として居るので出雲族
あと、富家と三島家の娘との子の踏鞴五十鈴姫と饒速日系譜の天村雲の間の子
嫡男、天御影の海部氏祖
次男、神八井耳の中臣(藤原)鎌足の祖
三男、沼川耳→八井耳が多(意富)氏祖に成ります。
・藤原氏祖とされる天児屋根は中部で各地豪族が集い中臣氏を名乗った豪族の一家の
ト部氏(播磨国のタタラ場の司祭家豪族で饒速日の一族)が崇拝して居た
金屋子を奉って居た場所の地名が天児屋根で=金屋子の事です。
渡来の由来は越智-河野氏の氏神神社伝承の氏神が饒速日=徐福と言う伝承からでしょう
・他の大江氏子筋
北小路家(公家-華族(子爵),徳岡家(地下家),寒河江氏(武家),那波氏(武家),海東氏(武家)
桂氏(武家-華族(侯爵)),酒井氏(徳川家自称の親筋武家-華族(伯爵)),芦澤氏(武家)
越後北条氏(武家),安田氏(武家),浅井氏(武家)
長井氏(平家武家?)
上田氏(大江氏武家系譜断絶してる),山村氏(大江氏武家系譜-情報が無い)
神門家系譜
1菅之八耳の子,2八嶋篠3→4布葉之文字巧為→5→6八束水臣津野(国引主)→7↓
八千矛(8代目大穴持の大国主)
大国主=大黒天=マハーカーラ,マヘーシュヴァラ
(大自在天シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの三位一体でアートマン)
大国主の子、阿遅須枳高日子根の子、賀茂氏(陰陽師開祖役小角の本姓)
大国主(八千矛)‥→出雲(神門)振根=倭健→伊賀曽熊の子
嫡子の健部氏(神門姓を継ぐのと日本武(倭健)の名代部も同時に継ぐ)
次男の二方国造家
末子の島津(志摩)国造家の島(直)氏=日本書紀の応神天皇家臣、斯摩宿禰。
●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜
大元出版の斎木雲州本参考。
菅之八耳(初代大穴持)
:
宗像家・宗像三女神─八束水臣津野
:
神門家本家(大国主・八代目大穴持の八千矛)
│
阿遅須枳高日子根(八咫烏)─賀茂氏──役小角
│
塩冶彦
:
出雲(神門)振禰=倭健(=日本武)
│
伊賀曽熊
│
健部家・二方国造家・島津(志摩)国造家の島(直)氏
│ ││(=斯摩宿禰は日本書紀の応神天皇家臣)
│ │ ∟____________________________
神門家・日本武名代部 元出雲最古の氏族・島谷氏 │
│ │ 南関東国造家の島族
│ │ (島田-島野-島崎-島村-島根-島津)
健部氏・武部氏 松浦氏武家島谷氏・丹後国二宮社家嶋谷家
(下から三段列は私の調べた推定系譜)
※百済経由渡来の南関東国造家の島族(島津)氏は
秦の始皇帝融通王=弓月君と一族郎党の帰化地名姓。
50代で家を息子に任せて自分の趣味の時間に没頭し、70歳頃まで自分の足で測量していた忠敬はすごいな。
ブラボー!
そういえばペリー来航って捕鯨基地を日本に作ろうとしていたから日本地図を資料として持って帰ったのかも??
シーボルトが持ち出そうとして失敗した事件有ったな🗾
必殺スペシャルでもその話有った
映画の大河への道も面白かったわw
単純に、GHQが日本を占領して捜索して見つけたものを図書館に入れたんだよ。
正式な受け入れとかだと返還することになるから、恐らくこっそりとだろう。
このことを知っている元日本軍人に対しては、もし口外したら戦犯指定する、もしくは戦犯指定しないなどと言って黙らせた可能性が高いというか、そんなところだろう。
当時は器具の精度がないので、何度も測り直して誤差を修正していくやり方らしいです。だから17年もかかった。
地道って言葉がピッタリの偉業ですね。
てか勝手にパクんなやアメリカ
勉強になったぜ! アメリカにあったのは、きっと幕末前後のドサクサに政府のスパイがDSに渡したんだろうな。ちっ!