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昔14歳からの哲学という本がありましたが、14歳からの仏教って本があってもいいなと思いました。このSNS時代に仏教の哲学で救われる人もいると思います。
よく自分らしく生きなさいと言われますが、この「自分」らしさを確立するのって単純に見えて実はかなりの時間と労力が必要なのだなと改めて痛感する場面がありました。様々な挫折や経験を通して自分との折り合いが見付けられる部分もあるので、人生は行動+自分の心と折り合いを付ける作業。の連続なのだろうなと感じた今日このごろです。
昔、報道ステーションで哲学文筆家の池田晶子さんと古舘さんが話している中で「時間なんて本当はない」と言っていて、当時は意味がわからなかったのですが、ここ最近ようやく「人間が作り出した概念」という意味なのかな、と思いました。あと正確には覚えていないのですが、キリストの教えで「初めに言葉ありき」という格言があって、この本の「言葉の魔法が作り出したまぼろし」というフレーズでとても腑に落ちました。とても良い本を紹介していただき、ありがとうございました。
上座部仏教大乗仏教古舘さんが逆に苦しそうです。伝えたい!伝えたい!の我(煩悩)が先行してしまい言葉が言霊に我が覆い被され逆に伝わり難くなっている気がします。俺が!と自身を諌め認める事すら我(煩悩)を感じる想いです。八正道のほんの僅かな実践でかまわないと思いますが、その一瞬一瞬の僅かな実践より知らぬまに被せてしまった我を除く事がより他者に理解されていくと思います。生意気を言いまして申し訳ございません。イラついている古舘さんを感じて辛いので偉そうにメッセージをさせて頂きました。
自分は苫米地英人さんで空を知りました彼と対談して欲しいです
楽しみにしていました❤どうもありがとうございます◎本も購入しました☆とても分かりやすいです!心から感謝しています❤
上座部仏教の佐藤哲朗さんのTH-camもおすすめします。内容がきちんとされてわかりやすいです。
仏教の奥深さ。学べば学ぶほど深いですね。ブッダが悟ったことはブッダ本人としてはシンプルなことだったのかもしれないですね。でもシンプルだからこそ理解し伝えるのが難しいのかなとも思いました。
「空」は単純に言えば”変容”のこと色即是空の”色”とは地水火風の四大種のこと四大種とは物質にそなわる4種類の性質のこと(組み合わせで硬軟、温冷、動静などの性質が生じる)色即是空なのだから、性質は変容し続けるんだよ空即是色なのだから、変容して新たな性質を得るんだよ変容し続けるものに執着しても空しいだけだよそれだけ
機縁があれば耳に入るけれども、ましてや給料が介在している立場のスタッフさんに法話を聴かせるなんてお気の毒な。
本田翼と私は大気や宇宙を介して存在しててどこから本田翼なのか、どこから私なのか境界線が曖昧なので本田翼は私ともいえるし、私も本田翼ってコト!?
大変面白い哲学ですね。価値判断により切り分けた基準により意味合いが生まれ…空の存在を「有」にして意味付ける…いわゆる命名というか言霊の精神にも繋がる話だなぁと感じました。何もない空を有にして世界を構築するのが人の生き様なんだろうなと感じました。最近のネットやらを見ると悪しき命名ばかりで相手だけでなく世界や自分すらも貶める情けない行為が散見されるような感じがしていて不快に感じるのも全てが空で繋がっているからなのかもしれないからかもと思いました。
非常に面白い動画でした‼️ありがとうございました‼️言葉のプロ、古舘さんが、言葉で説明されてるが、この『言葉』自体、区別・分断を生むものなんで、境界の無い『空』を説明しようとする矛盾😏言葉を使った途端、真理から離れるジレンマ😅古舘さんが、"言葉"で、この矛盾・ジレンマに挑んでるように思えた😆そんで、『分かってくれ!』っての自体が、煩悩だし😂
唄を一曲富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ お粗末でした!
古舘さん佐々木さんしんめいさんの3人の対談お願いします。
古舘さんも宗教に凝る年になったんですね、頑張ってより極めてください、
面白い話しでした。クウとは、名前(概念)がないものは認識できないので、ないに等しいって意味なのかなぁ?
物質としての自分はないけど、では意識はどうなんだろう。死んでしまったら終わりかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、少なくとも生きている間は自分の意識が他の人とは区別してあるのではと思いました。他からの影響はうけるけど。
自分なんてない…。と、全てのものは繋がっているのは同じ事と、私も思いました。けっして言葉遊びではないと思いました。
昭和から古館さんをTVで観ていた世代です。トーキンブルースやアドリブ実況のノリの仏教トークを視てみたいです!茶化すような内容でも、そんなことでキレるお釈迦さまでは無いと思いたい・・・・
これは聞き手をえらびますねぇ。。。オダさん?の「空って何を言いたいんだっけ」は至極まっとうな意見だと思います。私はこれを聞いて、直感で少し楽になる気持ちがありました、心が弱っている自覚もあります。しかし心が健康な若者には正直難しいですよね。わざわざそういう認識に考え方を合わせるメリットがない、はぁ。。。ってなりますよね。
空とは例えると~コップ。何も入っていないコップは中身には何も無い。そこにミルク入れるか⁉️ジュース入れるか⁉️それが色。色即是空🙏
良い本でした。だから世界は空で縁起だとしてそれが真理だと全人類の共通認識としてたら人はどうしたら良いのでしょうか?多分スタッフのオダさんはそこが知りたいのではないでしょうか? おkだからなに??的な。それがどうしたんやねんと。だったらどうしたら良いのかな?古舘さんの人生はの空や縁起やどうだったの?だって成功者じゃないのよと。苦しいだけだったのかなみたいな。と思ってると思います。そして俺が求めているのは古舘バイブレーション!!ありがとうございます。
空ではわかりずらくなり縁起で説明できる。アントニオ猪木と古舘さんは縁起です
空は、概念の中の最上位概念です。有ることと無いことを包摂する概念です。有ることの概念の下には、情報量の大小で概念が階層になって行きます。有るものの下に動物や鉱物が続き、動物の下には犬や猫が続き、犬もさらに下に柴犬や秋田犬が続き、さらに下には柴犬のポチが続いたりします。空は、それらの概念の最上位に位置するもので情報量が1番少ないものになります。別の言い方をすると抽象度の1番高いところに存在する概念、、、。
仏教で言うところの有情無情私たちの感覚では生命は有機物、そして石などは無機物であり生命でないと分けますが、仏教ではその石さえも、この世の無機物の悉くも生命観に含めます。山川草木悉有仏性…すべては生命観を持って輪廻し、無明を彷徨っています。
分数の割り算を学ぶ時みたいに、ます「空」を理解しないままそういうもんだとして進むと段々とわかってくる。いきない「空」を理解させようとして、変な例え話で間違った理解になってしまうから。
具の対立項として空を置くのは少しミスリードがあるように思った。具を縁取る境界は無くとも具を認識するに足るグラデーションは存在するわけで、空とは世界が均質で一体であるという事ではなく、全てが滑らかな性質の変化の中にあるということだと思う。ここを誤ると短絡的なニヒリズムに陥りかねない。
この世から言葉や文字が無くなったと想像したら、空の概念がよく分かる気がする。言葉が無い世界でコップを見たらなんで思うんだろう。
古舘伊知郎の偉大さは、かつてトーキングブルース「お経」で仏教を縦横無尽のエンタメとして展開したことなのに。このチャンネルの一連の仏教シリーズは、どうも自己啓発に傾斜しすぎている気がする。仏教学の専門家を呼んでのインタビューや対談のほうが良かったのでは。
ニコラテスラも言ってたそうだけど、この世はアバターの世界、(仮想現実)。だとしたら、ここにあるもの、「私」も含めて本当に存在するのだろうか。ここで言う「空」とは違うと思いますが、私はこの説がふと浮かびました。本当の正解はとってもシンプルなのかもしれません。トンデモ話かもしれませんけど😂
浄土真宗で止まっていてはいけません。その先の、ブッダの弟子たち(菩薩)の誓願「他者を救う」まで学び進めてください。それが法華経です。
「空」とは、ソラ(空)だなーって感じます。字のとおり。雲があり、虹があり、それもその瞬間だけ。「虹」があったって言っても、虹はない。だけれど、「虹」みた。是色。そうゆう解釈をしてますが。。。
他力という概念は理解できますが、信仰に頼り切っていて仏教の文脈から飛躍を感じます他力はどの程度自力を否定するのか、それもまた解釈次第なのか分かりませんが論理的かつ実践的な仏教の良い所からあえて目をそらす事にはならないのでしょうかそれでも仏教がないよりはずっと良い社会かもしれませんが
しんめいPとの対談を求めます!!
実態はあるけど、元をたどれば(もしくは詳細化したら)同じものだよね。境界線は曖昧なものであるよね。あと、古舘さんが1人で語っているならいいけど、スタッフの理解を得るまで話すのはちょい可哀想で酷。人は適切なタイミングで物事を理解します。教えようとすることは理解度によって優劣をつけることに繋がることを懸念しています。聞かれた場合は答える、これが自然です。
なるほどです。少しだけ分かった様な気がします。😮
自分なんてないっていい本紹介してるのに、自分なんてとか言わないでください。
空ってのものは、風化し、結局、全ての物は、分子、原子、電子で、出来てるってことを言いたんんですかね??でも、電子、原子、分子に方向性を持して、組立ることにより、何にでもなれるってことですよね。それは、良いんですが、それと命が、生まれる事。生命、魂とのつながりは、どうなるんでしょうか??全ての生命体は、どこから、命を得てるんでしょうか??
中観だけど、天台智顗が空 仮 中と説明してますね。空は真だけど仮としては因縁生起した見たモノは存在してるのでどっちにも偏らずに中観として物事を見るようにと教えてる。善人なおもて云々は法然が述べた事。欲望は全て誰かの欲望の真似。空とは龍樹によれば自性が無いという事を言ってる。自性が無いという事はインドの古い哲学では自性があると述べてる事に対する反論、それと同じ事を説一切有部派が同じ仏教でありながら自性が有ると言うのでそれに対する反論が空、無自性。この自性がないというのが分かりにくい。自性とはなにか分からないと何を言ってるのかちんぷんかんぷんでしょう。当方がそうだったから。素人が話をどんどん解釈学を述べるとますますわからなくなるのが空です。それほど難しい話ではないんですが。龍樹に対する質問で 目の前にあるこの物体は幻想かと聞かれて、物体は有るに決まってるでは無いかと答えているので目に見える物体は五蘊としてあるんですよ。五蘊は物質で6識はそれらを感じる感覚を指してる言葉。仏教の難しいのは執着からの解脱だけど物凄く難しいので出家修行者にならないと無理っぽいです。性行為禁止ですから20歳の元気最高でも!!できますか?親鸞は出来なかった。法然は出来た。
色即是空 空相行色
一切は因縁で刹那で変化してるからこの世界に固定された実態はこの世界にないと理解 しました。つまり一切は幻のようなものだから小さい事なんか気にせずバカで生きょうと理解しました。しかし空思想は解釈を間違えて解釈したら怖いですね。
私は、魂と肉体を分けて考えています、死と生を分ける物は魂が入っているかどうかです、大ケガしても魂が入っていたら生きているし軽い怪我でも魂が飛び出したら死です、肉体と魂は不可分ではありません?多分?
この人も言葉遊びしてきた人だったということだな。このようなことを言っても意味はない。気持ち楽になることもあるのかもしれんが、意味無いことがわかることになる。あるを肯定するしかないのが人生。全てが無いなんて傲慢な自我。クソミソ一緒って言うんだろ、こういうのを。
物質としての繋がりは、全て繋がってるんだって分かるけど、、、。この思考はどっから生まれてるんですかね。 寿命80年とした場合、その寿命ある限りいかに死なないように生き抜くためにってが基準としてあるなかで(この基準に動かされてる)心のつながりや、ここを目指せば救われるって教え自体なくない?って思うんですけど。 宗教や教えって実は死への恐怖を和らげるだけだと思ってます。
今まで仏教シリーズありがとうございました。釈迦(釈尊)、親鸞(親鸞聖人)への素呼び、スタッフさんを君呼びで、なるほど知識理論仏教なのかなと思いました。仏教ではなく、仏道とは、知識や理屈言葉遊びではなく、日々手を合わせることの出来る心であると思っています。今まで拝聴させていただきました。勉強させて頂きました。ありがとうございました。
この火宅の世界の何にどういう思いで手を合わすのですか。
本当に知っている人は(私は分かっているから教えてやろう)というマウントにはなり得ない。
この世は他力に依存して救われる事はありません。そんなに甘くないです。ゴータマブッダは、みずからを律する『自律』を説いたのです。
その論では、例えば野球の世界で救われるのは大谷翔平選手ただ一人となります。でも大谷選手は他の選手に自律せよとは言いませんよ。見本を見せて励ますのです。その励ます姿に救われるのが仏教的には大乗の起源だと思います。
この世界は嘘である
頭が 空っぽ の意味ですか 全部 空なのですから
😎😎😎😎
自分が無いんだったら、救われる、って何?
言葉を費やすほどに[空回り]されているような …😅🙏・・・
おっしゃっていること、単なる言葉の遊びでしょ。私がもし、古舘さんの顔を思いっきりぶん殴ったら、古舘さんは怒りませんか。龍樹の論理は、言葉の遊びの観念論だと思います。釈迦は、「無我」とは言っていなくて「非我」と言い、我や自己を否定していません。釈迦が死ぬ時に言い遺した「自灯明」の「自」とは「我」のことだと理解します。スタッフの方、先輩だから気を使って、返事に困っていらっしゃる雰囲気が伝わってきて、同情します!
コメント拝見してなるほどと思いました。ただ古舘さんの解説する内容はともかくとして ツライ状況の人達の気分を楽にしようとの優しい気持ちだと思います。主サンも古舘サンも正しく思えてます
私にはよくわかりませんが深いですね(−u−;)
原始仏教の教えは心に突き刺さる人には刺さりそうでない人には単なる言葉遊びになるということなんでしょうね。古舘さんもその点は以前動画で触れてました。
@@masamasaict7312 アン・ルイスの歌の歌詞に有りましたね🥸
「空」の私なりの解釈です。10年間位の目で見れば、自分も家族も友人、知人、建物、街並みは。変わらずそこにありますが、千年、万年、億年単位の目で見れば、何もない。地球でさえ、その内、無くなるでしょう。しかし、「空即是色」今、確かにここには、私がいて、家族や友人がいて、家があり、街があり、地球があります。だから、今を一生懸命生きて、楽しみましょう!----と勝手に解釈しています。
語り得ぬことについては沈黙したほうがいいわ
昔14歳からの哲学という本がありましたが、14歳からの仏教って本があってもいいなと思いました。
このSNS時代に仏教の哲学で救われる人もいると思います。
よく自分らしく生きなさいと言われますが、この「自分」らしさを確立するのって単純に見えて実はかなりの時間と労力が必要なのだなと改めて痛感する場面がありました。
様々な挫折や経験を通して自分との折り合いが見付けられる部分もあるので、人生は行動+自分の心と折り合いを付ける作業。の連続なのだろうなと感じた今日このごろです。
昔、報道ステーションで哲学文筆家の池田晶子さんと古舘さんが話している中で「時間なんて本当はない」と言っていて、当時は意味がわからなかったのですが、ここ最近ようやく「人間が作り出した概念」という意味なのかな、と思いました。
あと正確には覚えていないのですが、キリストの教えで「初めに言葉ありき」という格言があって、この本の「言葉の魔法が作り出したまぼろし」というフレーズでとても腑に落ちました。
とても良い本を紹介していただき、ありがとうございました。
上座部仏教
大乗仏教
古舘さんが逆に苦しそうです。
伝えたい!伝えたい!の我(煩悩)が先行してしまい
言葉が言霊に我が覆い被され逆に伝わり難くなっている気がします。俺が!と自身を諌め認める事すら我(煩悩)を感じる想いです。
八正道のほんの僅かな実践でかまわないと思いますが
、その一瞬一瞬の僅かな
実践より知らぬまに被せてしまった我を除く事がより他者に理解されていくと思います。生意気を言いまして申し訳ございません。
イラついている古舘さんを感じて辛いので偉そうにメッセージをさせて頂きました。
自分は苫米地英人さんで空を知りました
彼と対談して欲しいです
楽しみにしていました❤
どうもありがとうございます◎
本も購入しました☆
とても分かりやすいです!
心から感謝しています❤
上座部仏教の佐藤哲朗さんのTH-camもおすすめします。内容がきちんとされてわかりやすいです。
仏教の奥深さ。学べば学ぶほど深いですね。
ブッダが悟ったことはブッダ本人としてはシンプルなことだったのかもしれないですね。でもシンプルだからこそ理解し伝えるのが難しいのかなとも思いました。
「空」は単純に言えば”変容”のこと
色即是空の”色”とは地水火風の四大種のこと
四大種とは物質にそなわる4種類の性質のこと(組み合わせで硬軟、温冷、動静などの性質が生じる)
色即是空なのだから、性質は変容し続けるんだよ
空即是色なのだから、変容して新たな性質を得るんだよ
変容し続けるものに執着しても空しいだけだよ
それだけ
機縁があれば耳に入るけれども、ましてや給料が介在している立場のスタッフさんに法話を聴かせるなんてお気の毒な。
本田翼と私は大気や宇宙を介して存在してて
どこから本田翼なのか、どこから私なのか境界線が曖昧なので
本田翼は私ともいえるし、私も本田翼ってコト!?
大変面白い哲学ですね。価値判断により切り分けた基準により意味合いが生まれ…空の存在を「有」にして意味付ける…いわゆる命名というか言霊の精神にも繋がる話だなぁと感じました。何もない空を有にして世界を構築するのが人の生き様なんだろうなと感じました。最近のネットやらを見ると悪しき命名ばかりで相手だけでなく世界や自分すらも貶める情けない行為が散見されるような感じがしていて不快に感じるのも全てが空で繋がっているからなのかもしれないからかもと思いました。
非常に面白い動画でした‼️
ありがとうございました‼️
言葉のプロ、古舘さんが、言葉で説明されてるが、この『言葉』自体、区別・分断を生むものなんで、境界の無い『空』を説明しようとする矛盾😏
言葉を使った途端、真理から離れるジレンマ😅
古舘さんが、"言葉"で、この矛盾・ジレンマに挑んでるように思えた😆
そんで、『分かってくれ!』っての自体が、煩悩だし😂
唄を一曲
富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ お粗末でした!
古舘さん佐々木さんしんめいさんの3人の対談お願いします。
古舘さんも宗教に凝る年になったんですね、頑張ってより極めてください、
面白い話しでした。クウとは、名前(概念)がないものは認識できないので、ないに等しいって意味なのかなぁ?
物質としての自分はないけど、では意識はどうなんだろう。死んでしまったら終わりかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、少なくとも生きている間は自分の意識が他の人とは区別してあるのではと思いました。他からの影響はうけるけど。
自分なんてない…。と、全てのものは繋がっているのは同じ事と、私も思いました。けっして言葉遊びではないと思いました。
昭和から古館さんをTVで観ていた世代です。
トーキンブルースやアドリブ実況のノリの仏教トークを視てみたいです!
茶化すような内容でも、そんなことでキレるお釈迦さまでは無いと思いたい・・・・
これは聞き手をえらびますねぇ。。。オダさん?の「空って何を言いたいんだっけ」は至極まっとうな意見だと思います。
私はこれを聞いて、直感で少し楽になる気持ちがありました、心が弱っている自覚もあります。
しかし心が健康な若者には正直難しいですよね。わざわざそういう認識に考え方を合わせるメリットがない、はぁ。。。ってなりますよね。
空とは例えると~コップ。何も入っていないコップは中身には何も無い。そこにミルク入れるか⁉️ジュース入れるか⁉️それが色。色即是空🙏
良い本でした。だから世界は空で縁起だとしてそれが真理だと全人類の共通認識としてたら人はどうしたら良いのでしょうか?多分スタッフのオダさんはそこが知りたいのではないでしょうか?
おkだからなに??的な。
それがどうしたんやねんと。
だったらどうしたら良いのかな?
古舘さんの人生はの空や縁起やどうだったの?だって成功者じゃないのよと。
苦しいだけだったのかなみたいな。
と思ってると思います。
そして俺が求めているのは古舘バイブレーション!!ありがとうございます。
空ではわかりずらくなり縁起で説明できる。アントニオ猪木と古舘さんは縁起です
空は、概念の中の最上位概念です。有ることと無いことを包摂する概念です。有ることの概念の下には、情報量の大小で概念が階層になって行きます。有るものの下に動物や鉱物が続き、動物の下には犬や猫が続き、犬もさらに下に柴犬や秋田犬が続き、さらに下には柴犬のポチが続いたりします。空は、それらの概念の最上位に位置するもので情報量が1番少ないものになります。別の言い方をすると抽象度の1番高いところに存在する概念、、、。
仏教で言うところの有情無情
私たちの感覚では生命は有機物、そして石などは無機物であり生命でないと分けますが、仏教ではその石さえも、この世の無機物の悉くも生命観に含めます。
山川草木悉有仏性…すべては生命観を持って輪廻し、無明を彷徨っています。
分数の割り算を学ぶ時みたいに、ます「空」を理解しないままそういうもんだとして進むと段々とわかってくる。いきない「空」を理解させようとして、変な例え話で間違った理解になってしまうから。
具の対立項として空を置くのは少しミスリードがあるように思った。
具を縁取る境界は無くとも具を認識するに足るグラデーションは存在するわけで、空とは世界が均質で一体であるという事ではなく、全てが滑らかな性質の変化の中にあるということだと思う。ここを誤ると短絡的なニヒリズムに陥りかねない。
この世から言葉や文字が無くなったと想像したら、空の概念がよく分かる気がする。言葉が無い世界でコップを見たらなんで思うんだろう。
古舘伊知郎の偉大さは、かつてトーキングブルース「お経」で仏教を縦横無尽のエンタメとして展開したことなのに。
このチャンネルの一連の仏教シリーズは、どうも自己啓発に傾斜しすぎている気がする。
仏教学の専門家を呼んでのインタビューや対談のほうが良かったのでは。
ニコラテスラも言ってたそうだけど、この世はアバターの世界、(仮想現実)。
だとしたら、ここにあるもの、「私」も含めて本当に存在するのだろうか。
ここで言う「空」とは違うと思いますが、私はこの説がふと浮かびました。
本当の正解はとってもシンプルなのかもしれません。
トンデモ話かもしれませんけど😂
浄土真宗で止まっていてはいけません。その先の、ブッダの弟子たち(菩薩)の誓願「他者を救う」まで学び進めてください。それが法華経です。
「空」とは、ソラ(空)だなーって感じます。字のとおり。
雲があり、虹があり、それもその瞬間だけ。
「虹」があったって言っても、虹はない。
だけれど、「虹」みた。是色。
そうゆう解釈をしてますが。。。
他力という概念は理解できますが、信仰に頼り切っていて仏教の文脈から飛躍を感じます
他力はどの程度自力を否定するのか、それもまた解釈次第なのか分かりませんが
論理的かつ実践的な仏教の良い所からあえて目をそらす事にはならないのでしょうか
それでも仏教がないよりはずっと良い社会かもしれませんが
しんめいPとの対談を求めます!!
実態はあるけど、元をたどれば(もしくは詳細化したら)同じものだよね。境界線は曖昧なものであるよね。あと、古舘さんが1人で語っているならいいけど、スタッフの理解を得るまで話すのはちょい可哀想で酷。人は適切なタイミングで物事を理解します。教えようとすることは理解度によって優劣をつけることに繋がることを懸念しています。聞かれた場合は答える、これが自然です。
なるほどです。
少しだけ分かった様な気がします。😮
自分なんてないっていい本紹介してるのに、自分なんてとか言わないでください。
空ってのものは、風化し、結局、全ての物は、分子、原子、電子で、出来てるってことを言いたんんですかね??
でも、電子、原子、分子に方向性を持して、組立ることにより、何にでもなれるってことですよね。それは、良いんですが、それと命が、生まれる事。生命、魂とのつながりは、どうなるんでしょうか??全ての生命体は、どこから、命を得てるんでしょうか??
中観だけど、天台智顗が空 仮 中と説明してますね。空は真だけど仮としては因縁生起した見たモノは
存在してるのでどっちにも偏らずに中観として物事を見るようにと教えてる。
善人なおもて云々は法然が述べた事。欲望は全て誰かの欲望の真似。
空とは龍樹によれば自性が無いという事を言ってる。自性が無いという事はインドの古い哲学では自性が
あると述べてる事に対する反論、それと同じ事を説一切有部派が同じ仏教でありながら自性が有ると言うのでそれに
対する反論が空、無自性。この自性がないというのが分かりにくい。自性とはなにか分からないと
何を言ってるのかちんぷんかんぷんでしょう。当方がそうだったから。素人が話をどんどん解釈学を
述べるとますますわからなくなるのが空です。それほど難しい話ではないんですが。
龍樹に対する質問で 目の前にあるこの物体は幻想かと聞かれて、物体は有るに決まってるでは無いかと
答えているので目に見える物体は五蘊としてあるんですよ。五蘊は物質で6識はそれらを感じる感覚を
指してる言葉。仏教の難しいのは執着からの解脱だけど物凄く難しいので出家修行者にならないと
無理っぽいです。性行為禁止ですから20歳の元気最高でも!!できますか?親鸞は出来なかった。
法然は出来た。
色即是空 空相行色
一切は因縁で刹那で変化してるからこの世界に固定された実態はこの世界にないと理解 しました。つまり一切は幻のようなものだから小さい事なんか気にせずバカで生きょうと理解しました。
しかし空思想は解釈を間違えて解釈したら怖いですね。
私は、魂と肉体を分けて考えています、死と生を分ける物は魂が入っているかどうかです、大ケガしても魂が入っていたら生きているし軽い怪我でも魂が飛び出したら死です、肉体と魂は不可分ではありません?多分?
この人も言葉遊びしてきた人だったということだな。このようなことを言っても意味はない。気持ち楽になることもあるのかもしれんが、意味無いことがわかることになる。あるを肯定するしかないのが人生。全てが無いなんて傲慢な自我。クソミソ一緒って言うんだろ、こういうのを。
物質としての繋がりは、全て繋がってるんだって分かるけど、、、。
この思考はどっから生まれてるんですかね。 寿命80年とした場合、その寿命ある限りいかに死なないように生き抜くためにってが基準としてあるなかで(この基準に動かされてる)心のつながりや、ここを目指せば救われるって教え自体なくない?って思うんですけど。 宗教や教えって実は死への恐怖を和らげるだけだと思ってます。
今まで仏教シリーズありがとうございました。
釈迦(釈尊)、親鸞(親鸞聖人)への素呼び、スタッフさんを君呼びで、なるほど知識理論仏教なのかなと思いました。
仏教ではなく、仏道とは、知識や理屈言葉遊びではなく、日々手を合わせることの出来る心であると思っています。
今まで拝聴させていただきました。勉強させて頂きました
。ありがとうございました。
この火宅の世界の何にどういう思いで手を合わすのですか。
本当に知っている人は(私は分かっているから教えてやろう)というマウントにはなり得ない。
この世は他力に依存して救われる事はありません。そんなに甘くないです。
ゴータマブッダは、みずからを律する
『自律』を説いたのです。
その論では、例えば野球の世界で救われるのは大谷翔平選手ただ一人となります。でも大谷選手は他の選手に自律せよとは言いませんよ。見本を見せて励ますのです。その励ます姿に救われるのが仏教的には大乗の起源だと思います。
この世界は嘘である
頭が 空っぽ の意味ですか 全部 空なのですから
😎😎😎😎
自分が無いんだったら、救われる、って何?
言葉を費やすほどに[空回り]されているような …😅🙏・・・
おっしゃっていること、単なる言葉の遊びでしょ。私がもし、古舘さんの顔を思いっきりぶん殴ったら、古舘さんは怒りませんか。龍樹の論理は、言葉の遊びの観念論だと思います。釈迦は、「無我」とは言っていなくて「非我」と言い、我や自己を否定していません。釈迦が死ぬ時に言い遺した「自灯明」の「自」とは「我」のことだと理解します。スタッフの方、先輩だから気を使って、返事に困っていらっしゃる雰囲気が伝わってきて、同情します!
コメント拝見してなるほどと思いました。ただ古舘さんの解説する内容はともかくとして ツライ状況の人達の気分を楽にしようとの優しい気持ちだと思います。主サンも古舘サンも正しく思えてます
私にはよくわかりませんが深いですね(−u−;)
原始仏教の教えは心に突き刺さる人には刺さりそうでない人には単なる言葉遊びになるということなんでしょうね。古舘さんもその点は以前動画で触れてました。
@@masamasaict7312 アン・ルイスの歌の歌詞に有りましたね🥸
「空」の私なりの解釈です。
10年間位の目で見れば、自分も家族も友人、知人、建物、街並みは。変わらずそこにありますが、千年、万年、億年単位の目で見れば、何もない。地球でさえ、その内、無くなるでしょう。しかし、「空即是色」
今、確かにここには、私がいて、家族や友人がいて、家があり、街があり、地球があります。だから、今を一生懸命生きて、楽しみましょう!
----と勝手に解釈しています。
語り得ぬことについては沈黙したほうがいいわ