「イルカショーのパフォーマー」実は獣医師「エサづくり」も兼務 超多忙でも絶対“飼育業務”を行う深いワケは

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  • เผยแพร่เมื่อ 2 ธ.ค. 2024
  • 7月1日でオープン8年を迎える「仙台うみの杜水族館」には、生きものの元気な姿を見てもらおうと体調管理や治療などを行なう獣医師がいます。しかし、仕事は動物の健康維持だけではなく、超多忙を極めていました。奮闘する獣医師に密着しました。ライブパフォーマー田中悠介さん、実は獣医師!水族館で人気のスタジアムライブ、イルカショー。このライブのパフォーマー、仙台うみの杜水族館の田中悠介さん(39)です。田中悠介さん:
    「今はバンドウイルカとそれとパフォーマンスでは、バードと言われているルリコンゴウインコのパートをやらせていただいています」この日、3回ステージに立った田中さん、今年4月からこの業務を任されていますが、本業がありました。それは、水族館で生き物の体調を管理する獣医師です。田中さんは診察や調剤、採血など獣医業をパフォーマンスの合間にも行っています。田中悠介さん:
    「ちょっといま、薬をできれば作りたいんです。抗生物質とかも出していますし、ビタミン剤とかカルシウム剤とかを飲んでいる子たちもいます。一応、いったん全部できたので、まだ半分か。いったんここで終わりにします」こちらが6月19日の田中さんの時間割です。なんと、午後のほとんどがスタジアムライブの出演。ともに出演する飼育員らは・・・。飼育員:
    「動物にも人間にもすごく優しく接してくださる獣医だと思っています。自分はすごく頼りにしています」「マイペースなところ。良き長所であり、短所であるかなと。結構、パフォーマンスチームってみんなで一緒に、大人数で動くことが多くて、結構すっといなくなることが多いので、ちょっと一言声をかけてからいなくなっていただけると」6月19日午前8時。田中さんの1日がスタートしました。田中悠介さん(39):
    「基本的に出勤の時は朝からフルタイムで、ちょっと動物が調子悪かったりすると、休みの日も来たりとかっていうことはあります」勤務時間は午前8時から午後5時までで、田中さんは、出勤後「白衣」ではなく飼育スタッフと同じ制服に着替えました。獣医師・田中さん、飼育業務も行います!田中悠介さん:
    「結構バタバタと動きますよ、あっち行ったりこっち行ったり」さっそく向かったのは、イルカのプール。田中悠介さん:
    「ボディチェックって呼んでるんですけど、飼育員スタッフがメインなんですけど、僕も一緒にやらせてもらっています」現在、うみの杜水族館の獣医師は田中さん1人。バンドウイルカやカリフォルニアアシカといった海獣とよばれる海の生き物を担当するチームの一員です。田中悠介さん:
    「いま、体温測ってました。夜の間に結構いろいろ起きることがあるので、朝の一番最初に」動物に、けがや病気が見つかれば「治療」をしたり、体調管理のための採血をしたりと「健康管理」が獣医師の主な仕事ですが、田中さんは飼育員とともにエサ作りなど飼育業務も兼務しています。この日は、イルカやアシカなどのエサ、およそ70キロを1時間かけて準備しました。田中悠介さん:
    「日々、楽しいんですよ本当に。なんで、そうやって生きものと接する楽しさもそうですし。本当、なんていうんでしょう、宝の山じゃないですけど興味が尽きない感じですね」水族館の獣医師になって13年となる田中さん。獣医師になろうと決めたきっかけは何だったのでしょうか?田中さん、オットセイの“あらちゃん”助ける田中さんは、実家でイヌを飼っていたことや、獣医師が主人公のテレビドラマなどから興味を持ち、動物の保健看護や獣医学を学ぶ大学へ進学。在学中の実習で、ペンギンやイルカと直接触れ合える水族館に惹かれ、動物病院ではなく2010年、松島町にあったマリンピア松島水族館を職場に選びました。田中悠介さん:
    「所信表明を入社当時に書いたのを今でも覚えていて、人と動物の懸け橋になりたいという風に書いていたんです。その思いは今でも変わっていなくて、常にそれは思っているつもりです」こちらは2013年の映像です。亘理町の荒浜で保護され松島水族館で一時、飼育されたキタオットセイ、愛称 あらちゃんです。角膜炎を患うなど衰弱していましたが、田中さんらの治療により保護から2か月後、無事、回復しました。当時の田中さんです。田中悠介さん(当時):
    「無事に北へ帰ってくれることをスタッフ一同願っています」あらちゃんは仲間の群れに戻されました。あっという間に仲間の元へと泳いでいったあらちゃん。その姿に思わず、田中さんは。田中悠介さん:
    「あら!元気でなー!」それから10年、獣医師の仕事が忙しくなろうとも田中さんには飼育業務も続ける理由がありました。「人と動物の懸け橋になりたい」それは、2011年3月に起きた東日本大震災での経験からです。田中悠介さん:
    展示していたビーバーが海水をかぶってしまって。結局、立て続けに2頭、最後、もう1頭亡くなったので、3頭かな、亡くなっているんですよ。本当に今でも、もっと早く気づいてあげられればと。後悔していました」2011年3月11日。当時、勤めていた松島水族館が被災。アメリカビーバーの体調や食欲に変化がなかったものの、結局、脱水症状や低体温症によりビーバーは命を落としました。田中さんは飼育員と積極的にコミュニケーションをとることで情報を共有し、動物の体調の変化に早く気づく。それが命を守ることに繋がると考えています。田中悠介さん:
    「人と動物の懸け橋になりたいと、入社1年目当初から考えているんですけど、獣医師として専門的な話をしてあげたりとか、あとはアホなことも言うので、和ませられたらと。懸け橋という意味では動物だけでなく、人同士もつなげてあげられるような人間になりたいとおもっています」午後5時。ミーティングが終わり、1日の業務が終了しました。田中悠介さん:
    「きょうも1日精一杯やりましたけど、少しでもね、ちょっとずつ前に1日1日進めたらいいなと思っているんですけど、きょうもちょっと進めたんじゃないかと思います。お疲れさまでした」田中さんは、きょうもみんなをつなぐ架け橋となって水族館の命を守り続けています。
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