尾崎豊「誰かのクラクション」 Live

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  • เผยแพร่เมื่อ 16 ก.ย. 2024
  • 1987/08/30 有明コロシアム

ความคิดเห็น • 64

  • @kazutoshisakurai2309
    @kazutoshisakurai2309  2 ปีที่แล้ว +9

    もし1987年にあった尾崎豊の有明コロシアム公演のフル録音版をお持ちの方は
    jwonwork99@gmail.com
    こちらの方でメールお願いします。

  • @japanesewatchresearch
    @japanesewatchresearch 18 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    飾らない、君の素顔の愛を
    本物の愛を
    これは伊達でもなんでもなく尾崎が死ぬまで追い求めたもの
    軽い歌詞ではなく本当に重い歌詞
    あまりにもそれを純粋に求めすぎて周りをくるしめ
    自分でもがんじがらめになり、生きてゆけなくなった
    それが尾崎の人生の一面でもあったと思います

  • @buchi8366
    @buchi8366 3 วันที่ผ่านมา

    短い人生だったけど、言いたいこと全部言えてないはず
    生きていれば50代だけど、その時どんなうた歌っていたのか観たかった

  • @RGganma250
    @RGganma250 2 ปีที่แล้ว +9

    尾崎豊さんの作品は全て好きです。
    その中で最も好きな曲です。

  • @信也佐竹
    @信也佐竹 22 วันที่ผ่านมา

    この人って感情が溢れ出てやばいくらいですよね。

  • @ウィッチマンサンド-e9g
    @ウィッチマンサンド-e9g 3 ปีที่แล้ว +16

    素晴らしい

  • @lesju2130
    @lesju2130 3 ปีที่แล้ว +16

    隠れた名曲第二弾

  • @user-vr4uy4zd7l
    @user-vr4uy4zd7l 3 ปีที่แล้ว +26

    ピアノの指先のような街の明かりの中
    心から愛された事があるか?って聞かれた。一緒に探してた物ならあった気がする
    いや天才かよ

  • @user-kw9if1uv5n
    @user-kw9if1uv5n 8 หลายเดือนก่อน +2

    涙が止まらん。尾崎の歌。

  • @user-sk9wl4rn8g
    @user-sk9wl4rn8g หลายเดือนก่อน +1

    誰かのクラクション 歌詞
    歌:尾崎豊
    作詞:尾崎豊
    作曲:尾崎豊
    発売:2005-10-13
    毎日はあまりにも さらけ出されていて
    街の素顔はこんなにも 悲しみに満ちてる
    誰かと交した 言葉のひとつひとつが
    紛れゆくと通り 見つめる僕の心 しめつける
    街のどこかで 誰かのクラクションが泣いている
    現実という名の壁に はねかえり 心つきささる
    形の裏側を 君が知るまでは
    誰もが心のポケットに 行くあて捜し歩く
    何故だろう 何を捜して
    ビルの合間 街の影がやさしく心に語りかける
    "何を手にしただろう"
    ぬくもりの明かりが やさしくゆれてる
    少し聞いて 君は急ぐの
    ピアノの指先の様な 街の明かりの中
    ほら街に生まれよう
    さがし続けてる 素顔のままの愛を
    かざらない君の素顔の愛を 本物の愛を
    毎日は君のせいじゃなく 汚れていても
    落書さえ雨にうたれて 時に流される
    正確に時を刻むものが あるとするならば
    心やすらぐ君のリズムは かみあいはしない
    街のどこかで 誰かのクラクションが泣いている
    間違いが君の心を 孤独の世界にしても
    ほらごらん 全てが君のものなんだ
    街の暮しは ささやかな愛につつまれて
    こんなにも 君が守る愛さえ
    たたずむ時には 地下鉄の乾いた風の中で
    "誰のために泣けるだろう"
    大切なもの どこかに忘れた気がする
    どこへ行くの わからぬまま
    ピアノの指先の様な 街の明かりの中
    ほら 街に生まれよう
    さがし続けてる 素顔のままの愛を
    かざらない君の 素顔の愛を 本物の愛を
    押し流され 通り抜ける 街の改札に
    照れながら 愛を口にする あの日の恋人
    心から愛された事が あるかって聞かれた
    一緒に捜してたものなら あった気がする
    かざらぬ愛を 素顔の愛を 本物の愛を
    かざらない君の 素顔の愛を 本物の愛を

  • @japanesewatchresearch
    @japanesewatchresearch 3 ปีที่แล้ว +26

    最初のピアノが最高に好き
    もちろん尾崎のパフォーマンスも最高
    有明は忘れな草にしても、街路樹にしてもこの誰かのクラクションにても
    最高のパフォーマンスをしていますね

  • @麻衣子-n9i
    @麻衣子-n9i 9 หลายเดือนก่อน +4

    尾崎が口にする「街」が大好き。
    1人で外を歩きたくなる。

  • @rococo9342
    @rococo9342 ปีที่แล้ว +4

    誰かのクラクションって小説にもなってますよね?
    やはり尾崎豊は表現者で芸術家。

  • @woyiranaini
    @woyiranaini 3 ปีที่แล้ว +6

    間違いが君の心を孤独の世界にしても
    ほらごらん全ては君のものなんだ
    10代の何もかも上手くいかなかった頃を思い出して自然と涙が出てくる…
    壊れた扉からが今でも1番好き

  • @japanesewatchresearch
    @japanesewatchresearch 2 ปีที่แล้ว +8

    誰かのクラクション
    なんてタイトルからして普通は考えつかない
    天才

  • @健一泊
    @健一泊 24 วันที่ผ่านมา

    ovationが一番似合うなぁ

  • @user-sj3pl8pg4l
    @user-sj3pl8pg4l 2 ปีที่แล้ว +4

    これが尾崎です。

  • @不滅の歌手尾崎豊ファン
    @不滅の歌手尾崎豊ファン ปีที่แล้ว +1

    これってlive beat boxからの音声ですか?

  • @有吉弘行-d4b
    @有吉弘行-d4b 2 ปีที่แล้ว +15

    照れながら愛を口にする あの日の恋人  ここのフレーズがたまらんのですよ

  • @user-xl3mj5el3d
    @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว +2

    またまた長くなったので、上に書き込みした。それはそうと、今日は尾崎の誕生日だった!!
    今日はお墓に行ったら、沢山人が来ているのでは?
    東京ドームのコンサートの時も、コンサート前にNY便で一緒になりました。「来てね。」と言われたので東京ドームに出かけました。誘われたので来たから、来たよって言ってから家に戻ろうと思って、一応控室に行きました。
    東京ドームの控室は奥まった所にあって長い通路を歩いて行ったのを覚えています。その間に、何人ものスーツ来た実年男性に会いながら、こういう理由で挨拶に来たからと言って、中にどうぞと言って通されましたが、控室に入ったら、何人もの人がいたのを覚えています。やっと本人の所にたどり着けたって感じでした。尾崎は、I LOVE YOUを歌う時の白いTシャツとジーンズ姿でした。
    私は、仕事のオフで行ったから、翌日仕事でした。翌日の仕事はNY便でした。その便に尾崎が乗って来て、非常に驚きました。きのう東京ドームのステージで歌っていたあのままの尾崎豊が目の前に、私の直ぐ前に立っているではありませんか。もの凄く驚きました。その頃には、想像出来ませんでしたが、今だったら解ります。繁美とまた口論して、一緒にいたくないのだろう、だからNYに行くのだろうなと解ります。あまりの以外さで、びっくりしました。NY便はいつも満席ですから尾崎豊が乗ってきた事に驚いてばかりではいられません。いつの間にか忘れていて、暇になってから、何処の座席にいるのかキョロキョロ探し回って、あんな所に座ってるんだ。なんて、思ったものでした。当時はビジネスクラスがまだなかった時代でした。尾崎でもエコノミーでしたね。

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      そうなんですね。
      私は、そんなに恵まれでいたんだ。そういう事を当時解っていたら、良かったですねぇ。
      私は、尾崎ファンじゃなかったんです。私は挨拶に来たと言ったので、通して貰えたんだと思います。
      私が待遇が良かっただなんて、知りませんでした。初めて知りました。他の人もそんなものかなって思ってました。
      亡くなる前の年、最後に銀座の中央通りを歩いていて、バッタリ会った時に、喫茶店に行って、私は紅茶派なので、
      尾崎さんを誘い、マリアージュという名前の紅茶を二人で飲みました。
      亡くなってしまって、後で知りました。「マリアージュ」という曲がありますよね?アルバム誕生に収録です。
      なんか、尾崎さんと縁あるなぁなんて思いました。

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      さぁ、その曲を繁美さんに書いたとか、言っていたのを聞いた事はありません。ファンの妄想なんじゃないかな。曲を書くときに、事実だけをありのままを書いても、上手く行かないものです。事実を基にして書いたとしても、曲を聴くオーディエンスから見て、聞きごたえのある曲にするとなったら、事実は、入っていても、ほんのちょっぴりだと思います。
      マリアージュは結婚という意味もありますが、本来は融合という意味だった様に思います。紅茶のマリアージュの方は、結婚ではなくてそういう意味です。フランスの紅茶のブランドでマルコポーロというブランドがあって、そこの幾つかある種類の中の一つです。フランスの紅茶なので紅茶の茶葉をブレンドしてあり、香りも素敵です。
      forestryさんとのやり取りに書いたかもしれませんが、プロポーズしたのは、尾崎の方ですが、プロポーズしてから、段々お互いの関係が変わって来て、結婚をやっぱりやめようか、どうしようか、悩んでましたよ。
      尾崎は早く結婚して、落ち着きたいと思っていて、結婚相手を探していて、それで繁美さんとならば、となって、結婚したのだろうと想います。だんだん合わないなって、思っていましたね。繁美さんの実家の人達とも合わなかったようです。大楽さんの本にも、二人は度々口論してたとか、二人の関係は冷めきっていたとか、繁美さんが尾崎とは別れますとか、と書かれています。亡くなる5日前はかなり激しく口論していた。となっていますね。
      私は、あとは、大阪便と福岡便でも会ってましたね。大阪へは小説やエッセイを書くために大阪のホテルに入って書いていたんです。その頃書いていた小説や詩は月刊カドカワという雑誌に掲載されています。大阪便でも良く会いましたね。本当に不思議です。同じ飛行機乗り合わせていたとしても、全く顔を合わせない、気づかない事だってあると思う。ジャンボジェットは大きいし、国内線だと500人位乗っていますから。よくぞ、会えて来たなと思っています。福岡へはラジオ番組を持っていたように思います。

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว +2

      尾崎は自由でいたい。何にも束縛されないのが好きな訳で、そういうところが、尾崎の魅力でしょ?繁美が妻として夫を「支配」して、自分が好む様に「コントロール」したいので、それが解っているから、尾崎は先回りして繁美が喜ぶようなことをしてやっていた。それを見て繁美は満足していた。だから尾崎は息苦しくなって、離婚して他の女性と再婚したくなってのではないでしょうか?
      shinjukunightさんも前に書いてましたよね。「尾崎は、女を見る目が無かったのだと思います。」
      何故、もっと早く繁美と離婚しなかったのだろう?
      一刻も早く離婚すれば良かったような結婚だったのではないかな。
      子どもなんか作ってないで、サッサと離婚すれば良かった。
      結婚を迷っていたのだから、最初から結婚しなきゃ良かったのにね。
      繁美さんは現在は事務所の社長で、二人が仲が良かったことを強調してますが、仲良くツーショット写真ばかりを掲載していますが、本当は人に見せられない写真もたくさんあるのではないかと思っています。
      尾崎は死んでしまい、口がないから喋れない。嫌だよって言っているんじゃないかな。

  • @user-rz1bl5ol3v
    @user-rz1bl5ol3v 3 ปีที่แล้ว +5

    良かったら交換して頂けますか?
    ライブ音源色々あります!
    よろしくお願い致します。

  • @user-xl3mj5el3d
    @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว +1

    shinjukunightさんとの会話が長くなりすぎで、だんだん書き込むのが大変になって来ました。
    この動画の直ぐ下に、新たに書き込みましたので、これからはこちらからお願いします。
    息子が亡くなって、尾崎父は繁美さんと遺産相続の裁判を起こし、最高裁まで争った。
    それでも、繁美さんは1円もお父さんに渡さなかった。
    ところで、繁美さんの旧姓は、何て言うのですか?

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry 繁美さんの旧姓は、伊藤というんですね。尾崎はいつも「奥さんが、」と言って、「繁美が、」と名前で繁美さんの事を言った事はなかったです。
      どこで知り合ったの?と聞いたら、ディスコでと言っていました。尾崎はディスコには高校生の時から友人と一緒にいっていたそうです。
      ℚ繁美さんが尾崎と結婚する前にどんな生き方をしてきた人なのか、何をやってた人なのかマスコミは探ろうとしませんね。
      繁美さんは尾崎が亡くなった時、マスコミの取材は一切受けなかった
      マスコミ嫌いで通っていたそうです。代わりに大楽さんがマスコミの取材を受けたそうです。
      ℚ繁美となれ初め当時の尾崎は、繁美の一体どこに惚れたのか気になります。
      本当に。プロポーズしたのは尾崎の方。でも、結婚することになってから、段々合わないなと思えて来て、
      やっぱり、止めようか、どうしようかって迷いが出てきたけど、そのまま結婚したんですね。

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      バッグの中の手帳に男性の名前と電話番号が沢山並んでいて、それで繁美さんに不信感もってしまった。
      実際は女性の友人くらいいたんでしょうけれど、私には、男友達しかいないような女だったと思って
      驚いたと言ってました。
      直ぐ、離婚すれば良かった。そうしないで、そのままにしてしまった。
      お父さんには、「そんな人の娘と結婚するのか?」と言われて
      反対されたのに、それを押し切って結婚したから、お父さんに繁美と合わないから離婚したいと言って、
      親に後始末をして貰って、離婚するってことは出来なかったんじゃないかな。
      もしもお父さんに言ったら、それ見たことかって言われて
      最初からそんな人の娘と結婚しなきゃいいのにって、私も思う。
      良く確かめないで、結婚してしまったので、繁美と色んなトラブルが発生したんだよね。
      やっと再婚相手が見つかって、繁美さんと離婚→新しい人生を歩むという間際に死んでしまった!
      息子の裕哉は、可愛がってましたけど、繁美が引き取って行くと言う事にしてあった。
      今までは、奥さん(繁美)と仲が良くて、息子可愛いがって、みたいな尾崎豊だったんだけど
      本当は少し違うんです。今となっては、尾崎が自分でキチンと言うと言う事が出来ないですから。
      奥さんの言い分通りになって、長い時間が経った。
      forestryさんも色んな事知っているね。
      これからも 色々教えて下さい。またね!

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      写真なんて、ほんの1秒の事です。
      ふたりの仲良く見える写真を公開していますが、
      繁美さんは、隠していると思います。本当は人には見せられない写真も沢山あるはず。
      私もそんなに度々会っていた訳じゃないですが、会うたび「合わない。」と言っていました。
      繁美さんは仲良さそうに見える所ばかりを外に公開しているだけなのではないでしょうか?
      尾崎がDV夫だったというのは、繁美が悪いんです。
      繁美さんの言葉の暴力が原因なんじゃないかなと、思うんですね。
      だから尾崎の方が手をだしたってことなのでは?
      繁美さんは、夫に合わすと言う気持ちがない女性なのではないでしょうか?
      妻なのだから、夫を立てて、夫に従うと言う普通の気持ちがなかったのではないでしょうか?
      あなたは、まだ結婚したことないのかな?
      尾崎が奥さんと口論になって、家を飛び出して、外でお酒を飲んで、
      でも、結局は、繁美さんのいる家に帰って来る。
      それをやっていると、繁美は、物凄い口論しても、最後は自分の所に帰って来るんだから、
      他に女性を作る訳でもなくて、、、って思っていたとおもいますね。
      こういう夫婦って、世の中に幾らもいますよ。
      Q:あなたは繁美の著書「親愛なる遥か遠いあなたへ〜尾崎豊と分け合った日々〜」を決して読みたいとも思わないでしょうけど、私はあの本はかなり生身の尾崎の姿に迫っていると信じているだけに、一体どこまでを信用していいのか分からなくなりますね。
      はい。shinjukunightさんの言う通りです。繁美さんの本、読みたくないです。尾崎がクスリをやっていた、とか腕に注射
      打っていたとか、書いてあるんだって?
      人から聞きました。私は読んでいません。
      生身の尾崎のことを書いていると言っても、あくまで、繁美さんの目から見た、尾崎豊と言う事ですね。
      繁美さんには、そういう風にしか見えてなかったということです。
      尾崎父の本を読んでと私自身、尾崎との個人的な付き合いがある訳ですから、それから考えて
      尾崎は、子供の頃から、どうしてもこうしたいと思うと、どうしてもそうしないと気が済まない子供だったようですね。
      だから、繁美が二股かけていた事を知って、不愉快になり、そしてまたその男性との付き合いも
      止めない。繁美も相手に合わす方では無く、合わせて貰うタイプだったと言う事ですね。
      繁美さんは、空気の読めないタイプで言われたことを、額面通りにしか思わない、
      二人は全然合わない。
      どう考えても、二人は長続きしないカップルでしたよ。
      前にも書きましたが、繁美さんの実家の人達から学歴の事で馬鹿にされているのが、とてもとても嫌だった。
      繁美さんも気がついていないのか、気がついていてもなのか、分かりませんが、一緒になって笑っていた。
      繁美の実家に行くと繁美の兄弟や母親からそのことで馬鹿にされているのが嫌だと、言っていました。
      一番馬鹿にしているのは、繁美さんの母親だって。
      繁美さんは、察してあげて、実家の人達にひとこと言ってあげればいいのに、そういう事もしなかった。
      繁美さんには、(お母さんのことを)いい人だね。優しい人だねといっていたそう。
      繁美さんは、本当はそういう人なんです。
      私も大楽さんの本、持っているからそこの所を読みました。
      私には、別居しているとか、奥さんのドレスを引き裂いたとか、
      斉藤由貴さんとのことが騒がれた時に繁美さんが3億円よこせと言ったとか
      そういったことは、尾崎から直接聞いていません。
      大楽さんが、本にそう書いたのだから、そうだったのでしょうね。
      「七年目の真実」を読みました。
      ココにも書きましたが、尾崎が大楽さんに繁美の悪口雑言が凄いと言って、打ち明け散る場面があります。
      大楽さんも、尾崎が繁美の悪口雑言が酷い事を言っても、繁美さんの肩をもっていた、と書いてあります。
      実は私も。繁美さんとは女性同士と思っていて、繁美さんに肩持ってました。
      大楽さんは、尾崎が死んでから、繁美さんから突然、解雇されます。
      そして、アイソトープを相手取って裁判になります。裁判で勝訴したのは、大楽さんのほうです。
      法廷で、繁美さんに人格を傷つけらるような悪口雑言を言われて、尾崎から繁美の口の悪いことを
      聞いていても、繁美の味方をしていた自分が馬鹿だったことに、やっと気がついた。
      と書いています。
      私も、大楽さんと同様です。繁美さんがこんな人だとは思いませんでした。
      生きている時に、早く離婚しちゃいなよと、言ってあげればよかったです。
      大楽さんは裁判では勝訴しても、裁判所が取り立てをしてくれる訳ではないので、
      繁美さんから、尾崎康(尾崎の兄)と一切仲良くしない事にしてくれたら、払うと言って
      それは、出来ない。と返事して、2千万円貰ってないと書いています。
      繁美さんはお金に汚い人なんじゃないですか?
      裁判で判決が出ても、支払わないなんて、変わってると思います。
       
      繁美さんが大楽さんと尾崎兄を追い出したのは、アイソトープを自分のものにして、
      事務所に入って来るお金を自由にしたかったからだと思います。
      そして、今はそうなった。そういうことですね。

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      大楽さんに退職金を払わなかったのは、繁美さんは、何かそこに感情があるのではないかと思っています。
      大楽さんがマネージャーを依頼されて、引き受けることにして、尾崎の実家で、お父さんも同席で
      話が進む場面があります。
      繁美を事務所に入れては、どうかと言うと、尾崎が断った事が書かれています。
      誰が、繁美を事務所に入れると言ったのか、書いてなかったように思います。
      それと尾崎がどうして繁美を事務所に入れなかったのかについて、書かれていません。
      大楽さんの本は、肝心なところはぼかしている。
      尾崎が亡くなって、仕事部屋にしていた松濤のマンションに行った時、
      高価な調度品を見て、繁美は驚き、大楽さんに「触るな。」と言って、触らせなかった。
      意味が分かりません。
      私には、家で奥さんがお金の事をしょっちゅう言うんだと言ってましたね。
      尾崎がどれ位ひと月で稼いでいたのか、分かりません。
      あまりにも高額な給料だと、所得税も沢山払う事になって、
      節税対策していたのかな。
      だから結局は、手元にそんなにお金が残っていなかったのではないかと思います。

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      圧力というか、繁美は創価学会員だから。創価学会が出て来ると困る。
      繁美がどうやってクスリを手に入れたのか?繁美が買って行ったと、証言する薬の売人が出て来ない限り、想像の域を出ないよね。

  • @user-xl3mj5el3d
    @user-xl3mj5el3d 2 ปีที่แล้ว +6

    私もこの曲大好きです!!
    尾崎好きなんですか?
    upしているのは、これだけですね。
    尾崎はライブがイイですよね!!

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว +2

      @forestry
      こんにちは!はじめまして。
      私は、日系航空会社のCAをしていまして、初めてニューヨークに行く尾崎豊さんと知り合う事になりました。
      私はその頃は尾崎豊さんを知らなくて、後輩達が尾崎さんを取り囲んで
      「青学の高等部やめちゃったんだって?」「そう。」
      「もったいなくないの?」「もったいなくないの。」と話しているのを横で聞いていたんです。
      その時は18歳だっていっていましたから、まだ未成年ですよね?
      18歳なのに、その頃のニューヨークは昼間でも物騒な場所もあったりして、ひとりでニューヨークに出かけて来るなんて凄いな!なんて思ってました。
      尾崎豊さんの写真集を見ると、ニューヨークで撮ったものもありますね。
      それからずっと尾崎さんは、ニューヨークに行ってましたよ。
      「ニューヨークへは(曲の)詞を書きに行く。」と言ってましたね。
      尾崎さんは、デビューし、テレビには出ないで活動したいと言ってました。なので、コンサートの本数が多かったとおもうのですが、
      コンサートで日本中を回って、その合間にニューヨークにしょっちゅう行ってましたよ。
      曲書いて→レコーディング→アルバムを出す→コンサートを行う、でしたね。
      そういう訳で、亡くなるまで、ずっとニューヨークに良く行ってましたよ。
      それで、私はずっと尾崎さんに会えてました。
      レコード会社はソニーですが、たまに会社の人かな?と思うような尾崎さんよりもずっと年上の方と一緒だったりしましたが、
      殆どは一人旅でしたね。
      18歳のころは、どこにでもいるような普通の高校生に見えてました。
      20代になってからも背が伸びていたようです。
      会うたびに、また背が伸びた?って聞いていましたね。
      最後の頃の方は180センチ?くらいになってましたね。話す時は、見上げてましたね。背が高くて、足が長くて、顔が小さい。
      ヘアースタイルをしょっちゅう変えるのが好きな方で、背は伸びて、顔の印象も違って見えて、いつも同じ人!?って驚いていました。
      亡くなった時に、私は埼玉県朝霞市のお父さんの家に行って来ました。
      尾崎さんのお父さんは、ファンの人が訪ねて来ると、家に上げてくれて、お線香をあげさせてくれるお父さんだって聞いて訪ねて行きました。
      JR朝霞駅下車は知っていても、家はどこだか分らないので、タクシーに乗ってしまおうと考えました。
      タクシーの運転手さんに「尾崎豊さんの実家おねがいします。場所分らないんですけれど、分かりますか?」ってお願いしたら、
      笑顔で「分かりますよ。」と言って下さって、連れて行ってもらいました。
      お父さんの家に着くと、「どうぞ、お上がりください。」とお父さんよりもずっと若い私に向かって丁寧に言って下さって、
      「お線香をあげてやって下さい。」と言って下さり、お線香をあげて帰ってきました。
      お父さんとも少し話をして、18歳でひとりでニューヨークに行くときに知り合った事を話して帰ってきました。
      尾崎さんのお父さんも、既に亡くなったようです。実家はまだ残っているようですね。
      その時に子供の頃よく行っていた近所の駄菓子屋さん「太陽堂」だったかな?にも行ってみました。
      お兄さんの披露宴に出席した時の写真が壁に貼ってありました。
      それから、タクシーの運転手さんに言って、通ったであろう小学校にも回って貰って帰ってきました。
      猫の出て来る曲があります。ダンスホール、I LOVE YOU、群衆の中の猫、
      小学生の頃に、捨てられていた猫を拾ってきて、家の近くの公園にその猫を隠して、学校の帰り道、その猫に会いに行っていたとか。
      西武球場のそばにある墓所にもお参りに行ったことがありますか?お近くかどうかわかりませんが。お父さんの建てたお墓です。
      私も何度か行ってます。本当にまだ大勢のファンが来てくれているんだなと思いです。
      今、生きていたら50代半ばで、どんな曲書いて聞かせてくれたかなぁと、しんみりになってしまいますね。
      「尾崎さんは、自分の日常生活から曲書くといい曲になるね。」って話していた頃の曲が、この「誰かのクラクション」ですね。
      家族と暮らした家を出て(「坂の下に見えたあの街に」と言う曲はその時のことを曲に綴っている)代田だったかな?
      一人暮らしを始めた頃にこの曲を書いていたように思います。
      尾崎さんが生きていた頃は、私はドライビング オールナイトが好きでした。本人にも
      私、あの曲が一番好きだわ。と言っておきましたが、そのせいかどうか、分かりませんが、ドライビングオールナイトは、
      コンサートの時に毎回のように歌ってましたね。ですが、今はこの曲が一番のお気に入りですね!!!
      詞がいいですよね。何度きいても。あの若さで、よくこんな詞が書けるなって思いますね。
      最近はCMが入って煩わしいので、TH-camプレミアムにし、音楽はTH-cam Musicで聞いているのですが、
      この動画もそちらで聞くことができるので、
      返信が遅くなりました。最後まで読んでいただいてありがとうございます!

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      率直に申し上げて、最初の頃は、全く普通の高校生と言う感じでしたね。背もそんなに高くなかったです。
      それは、TH-camにアップされている10代のころのコンサートを見て頂ければわかると思います。
      あんな感じですね。
      20歳→21歳→22歳東京ドームあたりから、段々少年から青年になって、と言う感じでした。
      最初の返信にも書きましたが、20代に入ってからでも、背が伸び続けてましたね。
      25、26は男性って感じがして来ましたよ。
      ここに書いていいのかな?と思っていますが、
      18歳の時の話ですし、、、「自分の人生は10代しかない。18で結婚して19で父親になって、あとずっと19,19、19で20代はない。」と私には言っていたのです。別にピーターパン症候群とかっていう事ではないです。
      ずっと10代だって言っていましたので、どうしてもその印象が強くて、、、
      服装は飛行機に乗って来る時も特に普段着でした。ジーンズとTシャツのことが多かったです。ステージで着ている服で飛行機に乗ってきたことも多かったです。大阪球場のアニマル柄みたいな、だんだら模様のジャケット、ヘアスタイルもリーゼントみたいな風にしてましたが、ステージ衣装、そのまま乗って来たりしてましたよ。
      あとは、たまにスーツ着てたこともありました。

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      「自分の人生は10代しかない。」というのは何を意味してるんでしょうかね?
      私的には10代が人生で一番充実してる時期だ、という風に捉えてますが、、
        まさしく、其の通りに思っていたのだと思います。そして、そのように行動してましたね。
      それにしてもステージ上での尾崎って物凄く汗かきですよね。
      熱気が画面からも伝わってきますよ。
       そのことですか?ステージに立つ前にバイクを2時間こいで十分汗を出して、ステージに立って歌っていたからです。  
       EXILEがそうですよね!エグザイルと同じことを30年前にやっていたんですね。
      CD聴いても尾崎の音楽は熱いな、ロックだなと思いますし、ステージ上ではやっぱりロックンロールの真髄を体現してたと思います彼は。
       本人が聞いたら、嬉しいだろうな!!!OZAKIのサイン知ってますか?

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      ちょっと探してみました!
      本人に登場してもらって、尾崎のロックンロールとは、何なのか、語って貰いましょう。
      「約束の日」という書籍があって、本は本人が亡くなってから出版されたようです。私の持っているのは、1998年1月になってますね。
      この本には、独立後個人事務所になった時に、ファンクラブも設立しますが、ファンクラブの会報に載った小説や、詩、短い文など、をまとめ1冊の本にしたものです。
      ロックンロール
      彼は、「ロックンロール」と言う言葉が好きだった。あまりサインは好きでなかったが、サインを書くときは、必ず「ROCK'N ROLL」と書き添えた。
      だが、彼の言う「ロックンロール」は、一般に伝わっている「ロックンロール」の意味とは、少し違っていた。
      「僕はファッションでロックンロールをやっている奴らはすきじゃない。ロックンロールはただやみくもに反
      体制であればいいというわけではない。それにドロップアウトした人間がやるものでもない。ロックンロールは人間と人間のきずなの意味を模索するひとつの方法なんだ」
      と彼は言っていた。
      だから、彼の歌を聞いて、
      「豊が辞めたから俺も学校を辞めた」
      「俺も窓ガラスを割った」
      というファンがいることを知ると、彼は寂しい顔をして、
      「そうじゃないんだ」
      と言っていた。
      彼は「自由」についてもこう書いている。
      「ロックンロールは自由を求める歌ではない。自由というのは夢としての概念で、それを思い続けているのが自由なんだ。不自由だから自由。縛られた状態だから、解き放たれた状態を思い浮かべることが出来る。それが俺の自由だ」
      「彼」とは、自分の事を指しているのは、お分かりいただけてると思います。
      文中の、ファッションでロックンロールをやっている奴ら というのは、当時ビジュアル系と言う言葉は、
      まだなかったように思いますが、ファッションに凝り、外見の見た目でロックンロールをやっている人達の事を指していますね。
      ドロップアウトした人間とは、どういう人をさしているのか?わからないですが、ドロップアウトした人間に何かを語る資格はない、
      みたいな意味かな?
      最後の2行がいいですね!

    • @user-xl3mj5el3d
      @user-xl3mj5el3d ปีที่แล้ว

      @forestry
      そうなのだろうと思います。

  • @eguchisatoshi
    @eguchisatoshi 3 ปีที่แล้ว +2

    消費税ゼロ
    国民1人に毎月20万円給付
    長期的計画的な政府と民間企業の産業発展
    幼稚園から大学迄の教育無償
    医療無償
    科学技術芸術への政府の計画的投資
    仏教の教えの義務教育導入