マタギ語から本州アイヌ語を抽出して「アテルイ」を解読してみた
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ก.ย. 2024
- 追記: いやこれ tonpi の借用だからやっぱないわ
投稿してから気づいた: 「乙孩」の記録と江戸期アイヌ語「おつ〜」「おん〜」およびマタギ語「へたけ」を組み合わせると、アイヌ祖語「男」*otkay であるはずで、ニヴフ語か日本語の「男」の借用ではないか。「拝み」onkami においても wo は o で借用されているのでアイヌ祖語に w は存在しない。
ニヴフ祖語「男、夫」*utkun
utku (Amur)
utkun (Sakh.)
ニヴフ語「男」utku
アイヌ語 *otko-aynu >otkayn> okkay
に違いないから yn >y が起きる
悪路王とアテルイを同一視してみたけど悪路〜アクト〜アクツは「芥生(あくたふ)」らしいので悪路王は倭系っぽいね(『倭名抄』糞堆 あくたふ)
書き間違えたけど「村」の中世朝鮮語の s のところ z です。
めも
アイヌ語 patek
ニヴフ語 park
は共有なんだけどニヴフ祖語に役立つだけでアイヌ語史になんも役立たない
アイヌ語「卵」nok
ニヴフ祖語「卵」*ŋojeq
アイヌ語で母音連続は潰れてる
アイヌ語「縄」tus
朝鮮語「縄」cur
声だけずんだもん解説 voicevox.hiros...
動画の質の高さと投稿頻度が合ってなくて恐怖するけどずんだもんを使ってるところに可愛さを感じ安心する
それによって中和されて一般人にも見やすくなってるw
「これで謎が解けちゃったのだ」
強い
一応疑問のイントネーションに指定してある
アテルイが強い父との意味と聞いてフン族のアッティラ王がおとっつぁんみたいな意味だとかいうのを思い出した
トルコ語の父がアターで
近代にもアタチュルク(トルコの父)が居るし
ゴート語でもアター(父)
だからね
ファーターのFが脱落したのかトルコ語を取り入れたのか
房州の蝦夷悪路王伝説は、阿久留王と書かれています。
まんま、アイヌ語で我らのリーダー。
青森の津軽地方在住ですがお隣のおばあちゃんが猫の事をチャペと言っていました
今ではあまり言われませんが、津軽弁で猫をちゃぺと呼びますよね~懐かしい
言語動画を2本作るとおっしゃってたので待ってました!スキエンティアさんと言えばやはりアイヌ語研究ですね
うーん、おもしろい!
アテルイって今まで、ふーんそういう名前なんだー、程度の情報でしかなかったのが、
この動画で意味が付与されたことに感動しました!
強い父!彼らの誇りを感じる良い意味ですね。
アテルイというカタカナ名に意味を想像できるようになるなんて思いもしなかった。楽しい
茨城県に猫手とかいてチョッケと読む地名がありますね!ビックリ
アイヌ語のチョウ(猫)ケ(を作る)またはチョウ(猫)ケ(油)またはチョウ(猫)ケ(人)という意味からできた地名かもしれないですね😊
ちなみにそこには猫手前遺跡という古墳から中世までに及ぶ遺跡と猫島新田前遺跡という奈良時代から中世までに及ぶ遺跡と平安時代からある米御膳神社があります
「~を投稿主は世界で初めて指摘するのだ」のターン格好良すぎて痺れるな
あとずぶの素人の思いつきレベルで発言してしまって大変申し訳ないんですけど、この分野の研究がこの数十年あまり進んでないとの言及がありましたが比較言語学に機械学習とか応用できないのですかね?
統計学的議論も色々行われますが、そもそも比較言語学は「どれくらい似ているか」を論じる言語類型論とは異なる分野であって、統計学を振りかざす理系寄りの研究こそ反証性がない"非科学的な"研究であることが多く悪印象があります
アテルイのAI推定図めっちゃシンメトリーやな
動画も去ることながら研究としても質が高いのではないかと感じる。(門外漢で事前知識がないから詳しくは分からないけれども)
遺伝子解析結果からは北海道の続縄文文化を担った人たちとオホーツク文化を持ち込んだ人たちの交雑で中世にアイヌが成立したということらしいのですが
この動画はそれ以前に東北から北海道にいた縄文文化の担い手たちの言葉も手が届きそうな研究ですね
前アイヌ祖語再建とか、聞いていてむずむずします。でも、理屈は通ってますよねえ。
アテルイの地元、奥州市水沢には跡呂井(アトロイ)という地名があり、アテルイの名は、この地名からきているのではないかという説があります。その場合、音韻的にどうなんでしょう?
アテルイが強い父という意味だとすると、成年後に改名したのか、それとも受け継がれる首長名だろうか?生まれた時は当然まだ父ではないから。
北海道アイヌでは幼名として汚い名詞を当てていたようなので、本州アイヌも同様の文化である可能性あるのでは無いでしょうか
千葉県の阿久留王伝説もそのままアイヌ語で我々のリーダーと説明できそうなので、
強い父さん説全力で支持します。
強い父という意味だったのか阿弖流為。
あれ、もしや個人名ではない可能性が? 強い父=偉大な族長的な意味で
おかあちゃんが自分の息子に「強い父」とは名付けんわな。
だとするとモレ(一説によるとモタイ)も役職名なのか?
@@Bloomerschwater
族長の息子の長男として生まれているのなら、将来は族長職を継ぐことになるのだから「強い父」という名前でもおかしくないのでは?
もしくはゴールデンカムイであったように幼少期の名前が別にあるんじゃないかな?
もう何なんだよ、ヘンテコ(褒め言葉)な動画の合間にこんな興味深い動画を上げやがって。参考になります。
アイヌ語はワクワクするねえ
きたー 本州アイヌ語❗️
強い父!
首長の役職名称なんですかねえ
阿久留王みたいなものですね。
縄文やアイヌを束ねる族長として「強い父」という名前は凄くしっくりきますね。ゴールデンカムイでも描かれていましたが、アイヌの集落に生まれた子供は、集落の子供として育てられていたようです。
大和との戦いに明け暮れてい首長アテルイは、その集団にとって正に強い父であったと。
だとするとアテルイは人名ではなくて役名ないし渾名なのか?
子供に「強い父」とは名付けないだろう。
@@Bloomerschwater そうですね。個人的には大国主とかと同じニュアンスではないかと感じております。
又は、アイヌは生まれてからしばらくは幼名で呼ばれて、1人の人間として認められて初めて名前を与えられます。他のアイヌ人名を参照してみても、何らかの役割や指名が名付けの由来になっているようなので、族長の子供として産まれた子に、「強い父」になって欲しいという意味で名付けた、という線もあるかもと妄想してみました。
江戸時代までは居たのになぁ、本州アイヌ…末裔はまだ青森に居るのだろうか
アイヌの末裔を自称する方がいるとのウワサは聞いたことがあります。青森県です。
なんで青森にはいないのに蝦夷の子孫が茨城(茨城町鹿嶋市水戸市常陸太田市)にはいんだろ
津軽弁が北東北でも際立って異質なのはアイヌ語がより濃く混じってるから?
青森の土地宝典とか見るとアイヌ語地名が数えきれないからね
大間の悲運のマグロ漁師山本さんは顔立ちが明らかにアイヌだよな
確かトルコ語では父は「ata」だったと思います。つまり「ata turk」は「トルコの父」といった意味になるようです。トランスユーラシア語系統の影響はありませんでしょうか。
さらに「rui」「ruwi] が、なんとなく英語、フランス語の「royal」「royale」に繋がるのでは。つまり「王族の」といった意味。根拠の薄い想像ですが、6世紀に中央アジアの広大な範囲を支配した「突厥」(Turuk)あたりでインド=ヨーロッパ語族と祖トルコ系諸語が接触し、トルコ系はそのまま西に移動して現在の「トルコ共和国」になりましたが、一部が東に移動して日本海を渡り「東北地方」の一部族になったのかもしれません。であれば、「阿弖流為」とは「王の父」となり、強大な権力、畏怖を感じさせる力となり周囲の「エミシ系諸部族」を束ねる「大王」だったのかもしれませんね。馬を使わなかった「アイヌ」に比べ、馬と弓に優れた「エミシ」が「一騎当千」と言われたのもなんとなく分かります。
ありがとうございます。昔の放送大学以上に無料で濃い勉強できました。
これTH-camに動画出すだけで生成aiに覚えてもらえるから、もしや最強では?
>>古代朝鮮語nari
理研のゲノム解析によると、東北地方の人は縄文人との遺伝的親和性が顕著に高い上、古代朝鮮人とも親和性が高いそうです。
下北半島には津軽に比べてアイヌ語色強めの地名が多く残っていたような。ミネルバさんに調査してほしい
aca ruy「父強し」でもいいんでは?
先史時代は南方系の後置修飾だという立場に立っています th-cam.com/video/cWt3ibb7fo4/w-d-xo.htmlsi=CIkWSX6Zn3tuQLre
AI使っていろんな論文の意見を統合解析しようとした時、このチャンネルにしかない説が見落とされそうな危惧w
Ate が蝦夷語で父というので気づいたのですが、他の有名なアタチュルクもトルコ人の父という意味でつけられたので、ここで父を意味するアタと父を意味するアテには関係が指摘できるのでしょうか?
昔のトルコ語族話者は今よりも遥か東にいた筈ですし。
安比高原とか「appi」だから、アイヌの言葉なんかね?
まあ…坂上田村麻呂の時代、秋田城の影響を北限にそれ以外を超ざっくりと「蝦夷」と言っていたしな…。
安比も龍飛もアイヌ語だよ
フィリピンの人がタガログ語を話している時に、仲の良い女友達同士で『ate』と呼び合う時があります。ニュアンス的には『私のお姉ちゃん』『私の妹』みたいな感じで使います。
琉球語とタガログ語も共通点が沢山見つかると思いますが、アイヌ語とタガログにも共通の音があるのは、ちょっとびっくりしました。ate はフィリピンでは『我が心の友よ』っていう意味に変換していますが(ジャイアンもそう言ってた😅)
アテルイ 強い父説を支持します。
テュルク語のata(父)とも関連?
同じこと思いました。
ほぼ間違いないことでしたがやはりあの中学教科書にも出てきた阿弖流為は、名前の通り、本州アイヌの酋長だったんですね。。。大昔のこととはいえ、アイヌ民族だったら思わず涙を流してしまいそうです(副官モレも何か意味があるのかな?)。
この動画からマタギもアイヌの狩猟民族と東国日本語話者の混血の末裔とわかるので、最近理研から出た日本人の祖先三層構造の一つ、「東北」と、東国方言話者、本州アイヌ語話者のかつての分布とも何か関係があるのかもしれませんね。
1200年の時をへて阿弖流為の名の謎が今、ようやく解き放ったminerva氏にまたもや畏敬。
「アテルイ」が「強い父」という解釈も興味深いと思いましたが、minerva先生が以前別に提示されていた「あとり(鳥の名前)」からきているという説も捨てがたい気がします。古代日本列島では畿内支配層でも「ずくのすくね」「おおさざき」「うまこ」「いるか」など、動物の名前を人命に取り込んでいる例が沢山あるからです。またご検討頂けると幸いです🙂
2:20 ここの上2つ、目から鱗が落ちました
でも 頭 hakke :: pake なのに 火 happi :: ape は比較言語学的に見て矛盾してます
なので謎の *q を建てています
ちなみに「目から鱗が落ちる」は新約聖書「使徒行伝」第9章が由来。
0:11 福島弁と茨城弁のかーぺ(皮の意味)は昔の発音の名残なのかな?
かーペについて茨城方言集覧では『木の皮』の意味に限定されている。『皮辺』の意味か。(茨城には鹿嶋市茨城町水戸市に今でも蝦夷の子孫がいます)
アタテュルクを思い出した
同じこと思いました
まじ投稿主何者?
私は、アイヌ語は4000年ほど前に環状列石文化とともに伝わった印欧語族要素を取り込んだクレオール言語として秋田周辺で誕生し、南北に広がっていった可能性を考えています。
アイヌ祖語「三」*tre など印欧に一応比較されるけど「集落」kotan が明らかに中央アジア系だし「城」casi など朝鮮語との語彙共有が目立ちすぎるので、仮に印欧が絡んでるなら扶余(韓+中央アジア系)の中央アジア成分に紛れ込んでる可能性がギリなくはないと思ってはいる。しかし前印欧祖語「角」*koru < *kərəw になるはずで、そうすればアイヌ語「角」kiraw は印欧語族というより側派群に見える。科学的に論じるのが難しい深さ。
茶(トゥ)がティー/テ(thé)とチャ(cha)の音に分化したのと同じ感じですね
専門用語マシマシ+ずんだもんの破壊力。
過去の動画で唱えていた「アテルイ=(上代東国方言)アトリ」の説は取り消しですか?
その可能性もあるから「エミシ語なら」「本州アイヌ語なら」という前置き付き
現代日本人名の中(あたる)がこの流れを汲んでいる……なんて事はないか。
nai
そんな名前の人いる?
@@user-xe6gb3mk1b ちなみに東北弁では脳卒中のことを「あたる」と言います。
@@Bloomerschwater 草
忌まわれすぎて病名になったパターンかな?()
中
アタリさんと言う苗字の人もいるし、したの名前でアタルさんという人もいる
続々(続縄文文化)=アイヌ文化で良いんじゃない定期❓
天才か?
天才か?
0:50 ワッカ!?教えはどうなってるんだ
有史以前の列島って今より多様な、民族が雑居していたのかな。民俗学の本でもそのような話聞くし
すんだもんだ
この作者の動画、言語学の反証がいかに困難かを示していることが多いよね。(皮肉)
大阪にある石切劔箭神社、地元では石切さんって言われててイシキリはアイヌ語で足の長いって意味になってこれは本当の祭神ナガスネヒコを指しているっていう説があるんですが、うp主はどう思います?
ちなみに手足が長いのは縄文人の特徴です。
なるほど。
強い父…つまりは戦士の中の戦士的なニュアンスがあるということか。
naiとナイル川似てるね
アボッケ(茨城県)
フップ(埼玉県)
ヤビツ(神奈川県)……
なんだ結局アイヌ人だったのか
弱い父はなんて言うんでしょう?
アイヌ語のatiaはもしかして中国語の阿爹と同じ語源?
実際のところ蝦夷って横穴に住んでたのか
A-te ru-i tek ani emush tek wa rui
韓国語で猫のことをよく「ナビ」と言います。一方でナビは韓国語で「蝶」を意味します。蝶が日本語で「ちょう」なのと関係あるように思われますが、いかがお考えでしょう
現代日本語の「蝶=ちょう=てふ=*tepu」は音読みなので中古漢語dep由来です。
アイヌ語cape(=*tiape?)とは無関係なのでただの偶然だと思います。
偶然でなくするためには、現代韓国朝鮮語goyang'iと現代日本語nekoが全く無関係なので「近代/現代朝鮮語話者が東北と近代中央日本語の両方に接触して同じ音だと知って持ち帰った」みたいなかなり無理のある説明が必要です。
アイヌ語と縄文語の関係って主はどう考えてるんですか?
自分は東日本の縄文人とオホーツク系が混ざったのがアイヌ語でありアイヌ人だと思ってるのですが。主の語りでは常にアイヌ人そのものが昔から日本列島にいたように聞こえます。
それとも東代日本語の話者とアイヌ人は全くの別物だと考えているのでしょうか?
このチャンネルの過去の動画では「大陸から入ってきて流行ったヤマト言葉に本土の縄文人の言葉が塗り替えられていくなかで縄文人の言葉を残したまま北海道に押し出された一派にオホーツク系など色々混ざって割と近年に成立したのがアイヌ民族」って感じの説明だったのでコメ主さんと見解はほぼ同じだと思います。ただ言語学の分類上、アイヌ語は現存する話者がアイヌしかいないからアイヌ語と名付けられているので、アイヌ民族が成立する以前の時代の同系統の言葉もアイヌ祖語と呼ばれます
民族の概念が今と比べて昔はあやふやなので、アイヌ祖語を喋る人々=今のアイヌの先祖ではないことには注意すべきです。
@@simeinokoで、ヤンフネンやヴォヴィンが言ってるように「縄文語」は無数の言語だったはずで、その唯一の生き残りがアイヌ語族ってわけ。包含関係。
俺おっさんなんだか、アイヌが本州にいたなら色々残ってる筈だと思うんだけど。そんなの全く聞いたことないんだが
東北地方にたくさんあるアイヌ語由来と思われる地名とか、岩手県の氷上神社に祀られている「理訓古段神(りくこたんのかみ)」なんてアイヌ語以外の何者でもない名前の神様が延喜式に記録されているとか。
だだ平安時代末期には平泉に中尊寺金色堂が作られる程中央の文化が浸透していたわけですから、その頃には蝦夷の大半は文化的に中央と同化していたのではないでしょうか?
父って、オットーやないのか?
夫
@@Bloomerschwater
オットー、オッカーや。
アイヌ人ってよぉ、蝦夷とかと一緒にされるがこの人らって馬に乗って戦うんだっけ?アテルイ達とは別人種だと思うのよオッサンは…
アイヌ文化は12〜13世紀に誕生したらしいのでエミシの時代にはアイヌはまだいませんね!
ただアイヌ語系統の言語は古代のエミシ達も喋っていたのでは?
そもそも騎馬民族と同系統の言語を話す馬を使わない民族なんて
特に北方にはゴロゴロおるやん
もとあといえば
マンモスとか狩ってたやつらが猪を狩りだして馬に乗り出した、という流れの中で
馬を知らない兄弟も
トナカイに切り替えた兄弟も
魚食うためにオホーツクで小舟漕ぐわ!って兄弟もゴロゴロおるやん?
エミシは日本語の辺境語派(上代東国語のみならず日本海側もいそう) とアイヌ語の話者の混成集団であるはずで、VovinとKupchikが概ねこの立場です。ただ日本語「天鳥(あとり)」の東国語形 ateri を含むか、地名「あとろい村」に由来する可能性もあると思います。地名である場合、後半は「瀞井(とろい)」つまり流水ではない水あるいは泥水が溜まった井戸に由来する地名でしょう。
@@minervascientia282
まさかナガトロ(長瀞)さんと
アテルイの後半が同じだなんて
こ
流し聞きしていたからソースは忘れたけど最近だと「アイヌ民族」じたい怪しくて、DNAで調べると、アイヌの前に人が住んでいて混血していったのでは?という動画を見た気がする。誰か優秀な人探してけろ。
核DNAだと、アイヌが一番縄文人に近いし、y染色体でも縄文系統ですが、少しオホーツク文化人というか、ニブフ族が混血している。