特別展「オホーツク文化―あなたの知らない古代」 展示解説動画 第1回 北海道の時代区分とオホーツク文化

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  • เผยแพร่เมื่อ 15 พ.ย. 2024

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  • @akiranara9392
    @akiranara9392 11 หลายเดือนก่อน

    (基盤は青森祖人の北上から) 主体となる人について語りましょう。青森祖人の北上で3.5-3万年前から始まった北海道史(堤 隆)の祖代、縄文時代から基本的に北海道・千島・樺太の人は青森祖人の子孫系で、あったとして大陸・樺太からの細石刃文化流入の大陸人が混じっています。
    (宗谷北文化が特色) 注目は、基盤となる人が青森系の樺太南南部に大陸文化・人が入った宗谷北文化(オホーツク文化)時代で、樺太研究第1人者のヴァレリー・シュービンはコレを語り、更に露学者の分析で、宗谷北で「埋葬された有力者の父母は異なり(重要)、写真(略)のように日本刀と刀の鍔などを副葬している」とし、有力者の父は大陸系で日本刀を大切にし母が祖代・縄文系という事が重要な特色なのです。カタカナで、オホーツク、モヨロ、トビニタイなどと称して誤解されていますが、少なくとも母は青森祖人・縄文系人主体(この夫・兄弟がどういう状況になっていたかは容易に理解)であることは、礼文島縄文女性人骨(南方系・青森系)が宗谷北の埋葬有力者の母方と考えればシュービンの「父母異人種)説明がよく理解できますし、沖縄と北海道に縄文系DNAが多いが、その事情が全く違う事も理解できます。即ち宗谷北地域は、北九州のように異なる文化の窓口で大陸文化を北海道内部に伝え、また時を経て本州文化を吸収していた訳です。そして重要なのは、13世紀の数次のモンゴル「元」の樺太乗り出しと樺太アイヌの道内移動の引き起こしがアイヌ文化となったことで、この説明が全くありませんね。北海道の現生人類時代の92%は青森祖人(+細石刃人)・縄文人で、宗谷北は北九州的で人も大陸から強い者が入ったという事であり、樺太史において最も輝いた時代だったのです。東のオホーツク海の語を使用するのは誤りで、宗谷北人・文化が正しく、西大陸(・北アムールから流入主体)文化を得て耀き伝えた、樺太南南部の「宗谷北文化」と称すべきで、ロシア登場まで、オホーツク海北側及びカムチャッカは語るほどのモノはアリマセン。人に目を向けましょう、削除されませぬように。ー日本祖代研究会(RGaPJ)