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※一条天皇の退位を巡る古記録の解釈について譲位および敦康の扱いについては「1、2年来、お目通りのたびに天皇が仰っていたこと」と権記にあるので、事前に行成に対してまったく相談が無かったわけではないです。また、権記に一条天皇の感情についての描写はありませんので、あくまで想像になります。御堂関白記の「是は御譲位の事か」に関しましても、道長が驚いている(あえて驚き白々しく記述している)という解釈に関しても想像にすぎません。私の話を鵜呑みにせず、是非原文をご覧いただければと思います。
道長から誕生時に『皇子ではなく皇女だった😥』…と喜ばれなかった禎子内親王がやがて後朱雀天皇后となり,後三条天皇の生母となったことは,ある意味では藤原摂関家の弱体化につながりました,後三条天皇は百数十年ぶりに藤原摂関家の姫君を生母にもたない天皇として,藤原摂関家からの長い呪縛から解き放たれ,白河天皇時代には院政へと向かうのですね🤔不遇のまま崩御した三条天皇でしたが皇女・禎子内親王の活躍により,👑冷泉天皇系&👑円融天皇系の血統が,後三条天皇により見事に融合されましたね㊗️🎊
家系図、一人抜けていますね。藤原娍子は師尹の娘でなく、師尹の子、済時の娘です。済時が疫病で早く亡くならなければ道長がここまで権力を奮えなかったかも。敦明親王は皇太子を辞した後、小一条院の称号を贈られています。皮肉なことに後三条天皇は動画にも名前が出ていた妍子の産んだ禎子内親王の皇子なんですよね。歴史とはわからないものです。
ドラマ見ていても分かる通り、もう彰子を入内させた頃には、道長には庶民の生活に入り込んでいく余裕などなく、いかに自分の政治基盤を盤石にさせるか、にかかりきりでした。「何のために政治基盤を盤石にするか」は、まひろが越前で周明とあれこれやっているときに宋との問題が明るみになってきて訴えたのに、本腰上げて何とかしようと動き出せなかった時点で、もう見失いかけていたのでしょう。最終的に、道長が嫌っていた父・兼家と同じ道に進んでいく道長。そのやり方に異を唱えながらも、自分にできることを全うして政治を安定させていくことに力を注いだ彰子。一番近いところで見ていたまひろは、自らの娘・賢子の子育てや恋愛で苦しみながら、何らかのメッセージを「源氏物語」に残したかったのだと思います。
実資いい人で泣ける道長に媚びずに正しいと思うことを貫くところが素敵ですね
絶対的な道長に抗う大人な天皇。どこまで描かれるか楽しみです。分かりやすい系統図いつもありがとうございます!
結果的には父も息子も道長には勝てませんでしたが、道長さえも予想出来なかった母系で大逆転勝ちしたんですね、三条系は。まぁ道長の大連勝も彼の判斷・選択というより「驚異的な幸運の連続だった」という印象ですが。
TVは見ていませんが、こういう話興味深いです。お家争いは身を削りますね。
やはり武士道さんの解説よくわかります、今後もよろしくお願いします🎉
三条→後三条の経緯、円融系と冷泉系、スッキリわかりました。愚管抄・御堂関白記・権記からの説明、見事です。ありがとうございました。
三条天皇は目が見えなくて政務がとれなかったのに、無理矢理天皇親政にしがみついていた事で、安寧な宮中を造れなかった。
この話を聞いて円融天皇は中継ぎから本流になっていくという凄い天皇だったのですね三条天皇がどんな天皇だったのか詳しく知りませんが道長の力の強さによって不運な生涯を強いられたようですね息子の敦明親王が東宮を拒否する気持ちもわかる気がしますね天皇家よりも藤原家の力と影響力が強すぎですね
三条天皇退位から後三条天皇即位までが道長/頼通親子、藤原氏全盛で、ただ、事実上の栄華は道長のみとも言えますそれは、頼通が外祖父になれなかったためで、これが藤原氏と外戚関係のない後三条天皇の即位に繋がり、やがて摂関政治から院政に移行します、面白いですね。
一条天皇と三条天皇は父母両系の従兄弟という関係です。忠臣蔵の吉良義央の父方祖父母が同様の関係で、義央の父、吉良義冬は今川氏真孫同士の婚姻で誕生した血縁の濃い曽孫です。
いつも楽しみにみ🎉ています
ありがとうございます。
いつもわかりやすい解説、ありがとうございます。武士道さんの動画、いつも楽しみにしています。女性の名前の読み方が難しいですね。もし可能なら、家系図を表示するときにふりがなをつけて頂けると嬉しいです。ご検討、よろしくお願いします。
ていし定子、しょうし彰子、けんし、りんし倫子、と呼んた方が平安時代らしい。彰子、あきこと読むと、今の人みたい。
目を患うことさえなければなぁ若くして亡くなる人も多い時代だし、健康体で長生きできるってだけでやっぱり強いわ
三条天皇心にもあらで憂き世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな道長この世をばわが世と思ふ望月の欠けたることのなしと思へば同じ月を歌った和歌でも人柄が分かります。道長は摂関政治が生み出したモンスターのような人間です。われ知らずにデーモンに突き動かされているような気がします。
このドラマが、あまりに道長を美化し過ぎで、だんだん見る気がなくなってきているのだが、道長を持ち上げるために三条天皇をネガティブに描くようになると、もう見るのやめると思う。
平安時代も面白いですね
藤原氏からすると天皇が幼いならば摂政が必要となるし大人になれば次は関白となり言うことを聞かせやすい手玉に取るにはいいシステムに上手いこと入り込んだなと思うし、入内させて子供が産まれたら外祖父として天皇を思うがままにできるわけだから絶頂の極みだよね😂
道長による敦明親王への嫌がらせが具体的に判ると面白いが、文献はなしか。
道長に嫌われた三条天皇
三条天皇の皇子の東宮を遺言に背いて東宮位を辞退させた道長はひどいのですが懐柔で自分の娘を妻に与えたら娘が先妻とその祖父に祟られてしまい不幸がはじまりましたね
さらには後三条天皇に寵愛されて二人の皇子を生んだ源 基子はあの敦明親王の孫なのです。
三条天皇の眼病には道長の暗躍(=毒を盛った) とかあり得たのでしょうか。
道長なら、、、 そんな気もしますね。
居貞(いやさだ)親王=三条天皇
仕返しする三条天皇強自分のした事は自分にかえってくるんよ
今更なんですが、「三条天皇が今回のラスボス」と認識してよろしいんですかね?🤔
略系図、皇后藤原娍子の父が師尹になっていますが、父はその息子の済時ですね。
三条天皇が、ドラマではヒール役の様に描かれているのは道長をヨイショするためか?
道長を公正無私な人物に描いてるのですから対立する人物はヒールにしないとドラマが成立しません。三条帝は酷い目にあわされた上ヒールにされるとか泣きっ面に蜂。鎌倉殿の義時のようなヒール系主人公にした方が良かったのでは?清廉潔白な道長とか無理ありすぎィ(笑)
ホントは、花山天皇と三条天皇のほうが嫡流なのに、傍流(花山・三条の父・冷泉天皇が長男)の円融天皇の一粒種・一条天皇の敦康親王・後一条天皇・後朱雀天皇の系統に嫡流の座を奪われるため、崇徳院と勝るとも劣らない感情で憤ったはず。 しかし満ちた月🌛は欠けるもので、三条院の小倉百人一首に選ばれた和歌は心を打つものがあります。 三条院の禎子内親王が後朱雀天皇の中宮となり、藤原系以外の母方の出現で、天から地に下る摂関政治にピリオドが打たれました。
永井路子先生の「この世をば」では三条天皇即位前から二人がトラブル解決できない、ウマが合わない感が出てました。即位後にうまくいかなかったのは間に立つ天皇の母后がいなかったからだ、とありました。大河ドラマの一条天皇を見ていると母后がいてもお互いに遺恨を残しそうだな、と思うようになりました😂
@@サツキ6648 母がいたら尚更厄介
こういうのまってました。ありがとう。次回は出番の少ない内大臣、藤原公季でお願いします。まひろからの薄い恋愛話を長々聞かされても聞いてる側もきついのよ。
藤原公季は、鎌倉時代に時の天皇の外戚として、専横を極めた西園寺家の祖です。両統迭立の原因を作ったのも、西園寺家です。(まさに、鎌倉時代の蘇我氏?)もし余裕がありましたら、藤原公季についても、説明してくれたら、嬉しいです。
薄い無理矢理感満載の恋愛話ウンザリはよく分かる
恋愛話、しかも史実からはあまり読み取れない2人の恋愛を大河で扱うのはどうなんだってなってる一条天皇と2人の中宮ならまだしも
40歳以上の中高年女性には受けがいいらしいですが、いい加減道長と云々とかもういいですよ……ってウンザリする。史実でそんなやりとりがあったならともかくフィクションだし。さらに越前編で新たな恋人枠?みたいな人物が出てきた時は退屈すぎてスマホに手が伸びてしまった。
@@かんすいどう中高年女性に受けがいいのですか?意外です!私は56歳ですが、道長とまひろの何やかんやにはもうウンザリしてます。いつまで引っ張るねーん!って感じです。早く紫式部に「源氏物語」を書かせてほしい。
定子は一条帝の執着に翻弄された薄幸美女だと思ってましたが、ドラマの定子は違いますね。ドラマの定子は何のために髪を切ったのだろう?
今で言う半グレのような検非違使が屋敷内に踏み込んできて貞操の危機を感じたんでしょうね。妊娠中だったのに。
みちながにどくを盛られたかな
東宮辞退は道長が脅したそうです😢
その事が分かる資料はどういった物でしょうか?
動画で見たのでお探し下さい。私は無理。どこかにあります。道兼の息子がやったと濡れ衣着せられたとか。あなたは道長がやってないという資料をお示しになったら?
@@青龍ひとみ 了解です!その辺に転がってる動画なんですね🤣🤣🤣🤣
@@青龍ひとみ その動画がどのような物かしりませんが、動画主はおそらく『大鏡』の侍の言い分を元にされたのでは?そこでも脅したとは書かれてませんし、嫌がらせがあったのでは?程度です。勿論あったのだろうとの推察は出来ますが敦明自身が語った言葉は事実として残ってるのであくまでも想像するとそんな圧力もあったのだろうか…だと思います。自分が調べた事では無く他人の動画観てそこで言われてた事をまた別の他人の動画の中で分からないですがと言われている事に対して講釈垂れるって恥ずかしいですよ
※一条天皇の退位を巡る古記録の解釈について
譲位および敦康の扱いについては
「1、2年来、お目通りのたびに天皇が仰っていたこと」
と権記にあるので、事前に行成に対してまったく相談が無かったわけではないです。
また、権記に一条天皇の感情についての描写はありませんので、あくまで想像になります。
御堂関白記の「是は御譲位の事か」に関しましても、道長が驚いている(あえて驚き白々しく記述している)という解釈に関しても想像にすぎません。
私の話を鵜呑みにせず、是非原文をご覧いただければと思います。
道長から誕生時に『皇子ではなく皇女だった😥』…と喜ばれなかった禎子内親王がやがて後朱雀天皇后となり,後三条天皇の生母となったことは,ある意味では藤原摂関家の弱体化につながりました,
後三条天皇は百数十年ぶりに藤原摂関家の姫君を生母にもたない天皇として,藤原摂関家からの長い呪縛から解き放たれ,白河天皇時代には院政へと向かうのですね🤔
不遇のまま崩御した三条天皇でしたが皇女・禎子内親王の活躍により,👑冷泉天皇系&👑円融天皇系の血統が,後三条天皇により見事に融合されましたね㊗️🎊
家系図、一人抜けていますね。藤原娍子は師尹の娘でなく、師尹の子、済時の娘です。
済時が疫病で早く亡くならなければ道長がここまで権力を奮えなかったかも。
敦明親王は皇太子を辞した後、小一条院の称号を贈られています。
皮肉なことに後三条天皇は動画にも名前が出ていた妍子の産んだ禎子内親王の皇子なんですよね。歴史とはわからないものです。
ドラマ見ていても分かる通り、もう彰子を入内させた頃には、道長には庶民の生活に入り込んでいく余裕などなく、いかに自分の政治基盤を盤石にさせるか、にかかりきりでした。
「何のために政治基盤を盤石にするか」は、まひろが越前で周明とあれこれやっているときに宋との問題が明るみになってきて訴えたのに、本腰上げて何とかしようと動き出せなかった時点で、もう見失いかけていたのでしょう。
最終的に、道長が嫌っていた父・兼家と同じ道に進んでいく道長。そのやり方に異を唱えながらも、自分にできることを全うして政治を安定させていくことに力を注いだ彰子。
一番近いところで見ていたまひろは、自らの娘・賢子の子育てや恋愛で苦しみながら、何らかのメッセージを「源氏物語」に残したかったのだと思います。
実資いい人で泣ける
道長に媚びずに正しいと思うことを貫くところが素敵ですね
絶対的な道長に抗う大人な天皇。どこまで描かれるか楽しみです。分かりやすい系統図いつもありがとうございます!
結果的には父も息子も道長には勝てませんでしたが、
道長さえも予想出来なかった
母系で大逆転勝ちしたんですね、
三条系は。
まぁ道長の大連勝も
彼の判斷・選択というより
「驚異的な幸運の連続だった」
という印象ですが。
TVは見ていませんが、こういう話興味深いです。お家争いは身を削りますね。
やはり武士道さんの解説よくわかります、今後もよろしくお願いします🎉
三条→後三条の経緯、円融系と冷泉系、スッキリわかりました。愚管抄・御堂関白記・権記からの説明、見事です。ありがとうございました。
三条天皇は目が見えなくて政務がとれなかったのに、無理矢理天皇親政にしがみついていた事で、安寧な宮中を造れなかった。
この話を聞いて
円融天皇は中継ぎから本流になっていくという凄い天皇だったのですね
三条天皇がどんな天皇だったのか詳しく知りませんが
道長の力の強さによって不運な生涯を強いられたようですね
息子の敦明親王が東宮を拒否する気持ちもわかる気がしますね
天皇家よりも藤原家の力と影響力が強すぎですね
三条天皇退位から後三条天皇即位までが道長/頼通親子、藤原氏全盛で、ただ、事実上の栄華は道長のみとも言えます
それは、頼通が外祖父になれなかったためで、これが藤原氏と外戚関係のない後三条天皇の即位に繋がり、
やがて摂関政治から院政に移行します、面白いですね。
一条天皇と三条天皇は父母両系の従兄弟という関係です。忠臣蔵の吉良義央の父方祖父母が同様の関係で、義央の父、吉良義冬は今川氏真孫同士の婚姻で誕生した血縁の濃い曽孫です。
いつも楽しみにみ🎉ています
ありがとうございます。
いつもわかりやすい解説、ありがとうございます。武士道さんの動画、いつも楽しみにしています。女性の名前の読み方が難しいですね。もし可能なら、家系図を表示するときにふりがなをつけて頂けると嬉しいです。ご検討、よろしくお願いします。
ていし定子、しょうし彰子、けんし、りんし倫子、と呼んた方が平安時代らしい。彰子、あきこと読むと、今の人みたい。
目を患うことさえなければなぁ
若くして亡くなる人も多い時代だし、健康体で長生きできるってだけでやっぱり強いわ
三条天皇
心にもあらで憂き世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
道長
この世をばわが世と思ふ望月の欠けたることのなしと思へば
同じ月を歌った和歌でも人柄が分かります。
道長は摂関政治が生み出したモンスターのような人間です。われ知らずにデーモンに突き動かされているような気がします。
このドラマが、あまりに道長を美化し過ぎで、だんだん見る気がなくなってきているのだが、道長を持ち上げるために三条天皇をネガティブに描くようになると、もう見るのやめると思う。
平安時代も面白いですね
藤原氏からすると天皇が幼いならば摂政が必要となるし大人になれば次は関白となり言うことを聞かせやすい手玉に取るにはいいシステムに上手いこと入り込んだなと思うし、入内させて子供が産まれたら外祖父として天皇を思うがままにできるわけだから絶頂の極みだよね😂
道長による敦明親王への嫌がらせが具体的に判ると面白いが、文献はなしか。
道長に嫌われた三条天皇
三条天皇の皇子の東宮を遺言に背いて東宮位を辞退させた道長はひどいのですが
懐柔で自分の娘を妻に与えたら娘が先妻とその祖父に祟られてしまい不幸がはじまりましたね
さらには後三条天皇に寵愛されて二人の皇子を生んだ源 基子はあの敦明親王の孫なのです。
三条天皇の眼病には道長の暗躍(=毒を盛った) とかあり得たのでしょうか。
道長なら、、、 そんな気もしますね。
居貞(いやさだ)親王=三条天皇
仕返しする
三条天皇強
自分のした事は自分にかえってくるんよ
今更なんですが、「三条天皇が今回のラスボス」と認識してよろしいんですかね?🤔
略系図、皇后藤原娍子の父が師尹になっていますが、父はその息子の済時ですね。
三条天皇が、ドラマではヒール役の様に描かれているのは道長をヨイショするためか?
道長を公正無私な人物に描いてるのですから対立する人物はヒールにしないとドラマが成立しません。三条帝は酷い目にあわされた上ヒールにされるとか泣きっ面に蜂。鎌倉殿の義時のようなヒール系主人公にした方が良かったのでは?清廉潔白な道長とか無理ありすぎィ(笑)
ホントは、花山天皇と三条天皇のほうが嫡流なのに、傍流(花山・三条の父・冷泉天皇が長男)の円融天皇の一粒種・一条天皇の敦康親王・後一条天皇・後朱雀天皇の系統に嫡流の座を奪われるため、崇徳院と勝るとも劣らない感情で憤ったはず。
しかし満ちた月🌛は欠けるもので、三条院の小倉百人一首に選ばれた和歌は心を打つものがあります。
三条院の禎子内親王が後朱雀天皇の中宮となり、藤原系以外の母方の出現で、天から地に下る摂関政治にピリオドが打たれました。
永井路子先生の「この世をば」では三条天皇即位前から二人がトラブル解決できない、ウマが合わない感が出てました。即位後にうまくいかなかったのは間に立つ天皇の母后がいなかったからだ、とありました。
大河ドラマの一条天皇を見ていると母后がいてもお互いに遺恨を残しそうだな、と思うようになりました😂
@@サツキ6648 母がいたら尚更厄介
こういうのまってました。ありがとう。次回は出番の少ない内大臣、藤原公季でお願いします。まひろからの薄い恋愛話を長々聞かされても聞いてる側もきついのよ。
藤原公季は、鎌倉時代に時の天皇の外戚として、専横を極めた西園寺家の祖です。両統迭立の原因を作ったのも、西園寺家です。(まさに、鎌倉時代の蘇我氏?)
もし余裕がありましたら、藤原公季についても、説明してくれたら、嬉しいです。
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恋愛話、しかも史実からはあまり読み取れない2人の恋愛を大河で扱うのはどうなんだってなってる
一条天皇と2人の中宮ならまだしも
40歳以上の中高年女性には受けがいいらしいですが、いい加減道長と云々とかもういいですよ……ってウンザリする。史実でそんなやりとりがあったならともかくフィクションだし。さらに越前編で新たな恋人枠?みたいな人物が出てきた時は退屈すぎてスマホに手が伸びてしまった。
@@かんすいどう中高年女性に受けがいいのですか?意外です!私は56歳ですが、道長とまひろの何やかんやにはもうウンザリしてます。いつまで引っ張るねーん!って感じです。早く紫式部に「源氏物語」を書かせてほしい。
定子は一条帝の執着に翻弄された薄幸美女だと思ってましたが、ドラマの定子は違いますね。
ドラマの定子は何のために髪を切ったのだろう?
今で言う半グレのような検非違使が屋敷内に踏み込んできて貞操の危機を感じたんでしょうね。妊娠中だったのに。
みちながにどくを盛られたかな
東宮辞退は道長が脅したそうです😢
その事が分かる資料はどういった物でしょうか?
動画で見たのでお探し下さい。
私は無理。どこかにあります。
道兼の息子がやったと濡れ衣着せられたとか。
あなたは道長がやってないという資料をお示しになったら?
@@青龍ひとみ 了解です!
その辺に転がってる動画なんですね🤣🤣🤣🤣
@@青龍ひとみ その動画がどのような物かしりませんが、動画主はおそらく『大鏡』の侍の言い分を元にされたのでは?
そこでも脅したとは書かれてませんし、嫌がらせがあったのでは?程度です。
勿論あったのだろうとの推察は出来ますが
敦明自身が語った言葉は事実として残ってるので
あくまでも想像するとそんな圧力もあったのだろうか…だと思います。
自分が調べた事では無く
他人の動画観てそこで言われてた事を
また別の他人の動画の中で
分からないですがと言われている事に対して
講釈垂れるって恥ずかしいですよ