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10歳まで鹿児島にいました。永遠に忘れていくんだろうと思ってた言葉達が甦りました。亡くなったじいちゃんがいつもこうして話してました。本当に貴重な資料。ありがとうございます。
いま何才ですか?
@@sugiurabonvoy446 40歳です^^じいちゃんが昭和2年生まれでした。トーンとかがそっくりで。懐かしかったです。
僕も10歳まで居ました、でも鹿児島弁は殆ど理解できる
@@sugiurabonvoy446 49歳 僕等の頃がほんとのゆとり世代なんじゃないかと思う、周り黄鼻垂らしてる様な子供ばっかりだった、勉強もそこそこで良かったし、人も今みたいにギスギスした人は居なかったし、皆んな活気に溢れていて活々していた。鹿屋の町もサクラデパートがある頃は街に人が溢れていた、墓参りに帰るたびに錆びれて行く鹿屋の町に寂しさを感じます😢
やばw自分も十歳の時まで居ました
徳川慶喜が「一生懸命喋っているが、何を言っているかちっとも判らん。ただ、ふんふんと頷くしか出来ない」と語っておられた言葉(^_^;)
戦争中も東北で「なにいってるかわかんねぇから斬ったわ」って記録あったしなー
そうなんだwwwwww
@@Dテリ 当時の切りあいって、まさか…そのレベルだったり?鍔あたっただけで切り合いになるから歩く場所右ってなったって聞いたことあるけど…(/ー ̄;)
@@kyokok7134 うーんkyoukoさんの意思を汲み取れなくて悪いのですが、戊辰は新兵器持った西軍が撃って撃って討ちまくり、ではなく幕府側も十分な分の砲を持っていたり、新撰組も銃器の訓練を戦争前から行っていたというケースが多いです。ただ白兵戦は絶え間なく続き、会津では少年兵が槍を振り回して捕獲やむ無く射殺といったケースがありました。接近戦がなくても当時は捕虜や病院の扱いが残酷だったために外人医師が「やっぱサムライ野蛮。官軍も名ばかり」とディスったりしてます参考資料は戦争の日本史、敗者の日本史シリーズから幕末を取り上げた巻、あとは最近出てる佐幕系の本からです、読むと飽きないのでオススメ。
@@Dテリ 教えてくださりありがとうございます(*^^*)歴史を見てると現代だとその程度で?と思うことも多くて当時はそれが当たり前と思っていても不思議だなと。意志疎通ができなくて敵に見えることもあるのかと思ったものですから…f(^ー^;オススメ見てみますね(*^^*)
戊辰戦争のとき薩摩人と会津人で言葉が通じなかったというのも頷ける。
獅子の時代っすね
大山巌と捨松が結婚するとき、言葉が通じなかったので、フランス語で話したという話は有名ですね。
@@圭田村-o4f 教養の塊エピソードだ
話が通じないから芝居や狂言の言葉使いで話したんだっけ
今でも分からないしクセが強すぎる。
所々は聞いてなんとなく理解できるがふとした瞬間に全く分からなくなって妙な感じだ
国語の小説とかで話ぼけーって聞いてなくてぼやっとしてた時に慌てて目で追ってた時に「ここだ」って気づく時みたい
前に日本の総理が要人との密談で『会話は人工衛星で盗聴されている』という理由で、ずっと鹿児島弁で話してたそうな😭
「もし自分が外国人で、初めて日本語を聞いたらどんな感じなんだろう」という永遠に叶わない体験を叶えてくれた感がある。日本語って多様で面白いな〜。
他国に10年もいたらそういう感覚になれますよ。その気になれば(現地に溶け込もうとすれば)一年も経たずに日本語単語がいくつも思い出せなくなり、三年で現地語と母語が同じ強さで喉を出ていこうとするのでそこでつかえて何も発せない言語障害状態になり、五年で現地語で思考するようになり、10年で地蔵とか瓦屋根とか門松とか気持ち悪いと思うようになる、日本人の顔の見分けが細かくはつかないようになる(地域ごとの顔の漠然とした特徴には敏感になります。東日本の顔は平らで西日本は起伏が大きいなとか)。日本にいても意識し続ければある程度そういう感覚になれます。日本語のテレビや動画を絶対見ない。どうせ必要なニュースなんてほとんどの人にとっては他国のニュースサイトの日本に関するニュース程度の量で足りるんだし。野球の試合の結果とか芸能ニュースとか全然必要ない、それらを断てば世間がいかに洗脳誘導されてるかも強く思い知らされるでしょう。日本語も必要最低限にしか目にしない、街歩いてて日本語看板読まない。どれか他の言語一つに集中する。いくつもの言語に少しずつ接しててもダメです。どれか一つに絞らないと心や頭の中の母語を中和できません。俺も帰国直後数年間は感覚が日本に戻ると折角他国で得た感覚を忘れてしまうので、できるだけ何も見ないようにしました。買い物に行っても他の日本人客の顔も見ない。店内の日本語もなるべく読まない。和食も可能な限り避ける。通りすがる人の話が聞こえてきてもそれを理解しようとしない。言語を意識するのは難しいけど形にできる五官の中では味覚が最も意識的に変えやすいです。自炊して塩を絶対使わない、外食中食でも少しでもしょっぱいと思うものは避ける、日本人の味覚に合わせて作られてる国産のレトルトや加工食品やカップ麺は極力食べない、むしろ日本で全然流行ってない他国の加工食品ばかりを食べるようにする、薄味で物足りないと思うものだけを意図的に5年も食べ続ければ、熱帯とか岩塩もとれない離島の山の上の民族みたいな味覚に近づけます。煎餅や東日本の醤油出汁の醤油の濃さやラーメン屋のラーメンのしょっぱさが吐きそうなくらい気持ち悪く感じるまで続けないとだめ。みんな短期海外旅行すると三日目には和食が恋しいとか言い出すのは和食中毒だからです。酒タバコ博打辞めるのに三日目とか一週間目とか一か月目とかにどうしてもやりたくなる波が襲ってくるけど、それを乗り越える度に断つのが苦にならなくなってくるのと同じ。それらをし続けていた状態を、それらをしていない長い期間を設けて中和する訳です。誰でもおふくろの味が最高だけど、それを変えるにはおふくろの味より強い味覚を刷り込めばいい。和食にはどう頑張ってもありつけない国地域に移住すればスパルタ式に最短で現地の味覚になる、和食が嫌いになります。自分は日本では関東と沖縄には住んだ事があるので(もっと色々住んだけど九州から東西に近い場所はその二か所)この動画を聞いた印象は確かにその二か所の中間だなって感じました。これも味覚で言えば北海道から18きっぷなり下道自走で時間かけて鹿児島まで、そこからフェリーで南西諸島をゆっくり渡り、台湾も北から南へ全ての市区町村回るくらいの密度で食べ歩いてフィリピンなり大陸まで行ったら、距離に比例して味つけが少しずつ変わっていくのが手に取るように分かります。反対に赤道あたりから船で少しずつ北上すると島一つ経る度に陽の力が弱まって海が濃くなっていく細かい違いも感じられます。10キロも違ったらかなり違う。言語も他の全ての文化も本来そうだった筈だけど国境敷かれて以後そこを境に大きく変わってしまったので特にその影響を強く受けてる都市部の若者の話を聞いててもどこの人か判断するのは難しくなりました。
@@meroppa1 流石にそこまで自分を追い込んでまで体感したくはないわ。どんな拷問だよ
@@meroppa1 長い。3行で
@@meroppa1 すまん、なんか狂気を感じる w w
@@notinuse1885 経験豊富な私を褒めて
祖父が明治33年生まれ、天草上島出身。私自身は63歳、岡山出身です。字幕なし・スピーカーで聴きましたが、場面が目に浮かぶお話でした。話し手の武元さん、丁寧な状況説明と聞き手を楽しませようとするサービス精神旺盛な方だと推測します。
僕は天草上島に住んでる18歳ですぜひ天草に遊びに来てください
久しぶりに本物の鹿児島弁を聴きました。母と祖母の会話時、祖母はこんな感じの喋り方でした。
私の父方のばあちゃん、末吉町住まいでしたが正にこの喋り方でした。近所のおばちゃんと井戸端会議してるのを聴いても殆ど分かりませんでした
@@house2884 まさに!子供の頃、祖母宅へ行くと過疎化が進んでいる田舎では子供は大事にされるので近所の人が集まって来るのですが、会話内容が全然わからないという…🥲 母との会話では祖母はきっと加減していたんでしょうね。
@@nikochan03603 タイトルよく見たら私が生まれた年(笑)最近は標準語で話す事が多いのでしょうけど、理解が難しいとは言えこうした地方の話し言葉が消えていくのは寂しい気がします当時はちんぷんかんぷんでしたが、今改めて聴くとほのぼのとした、どこか懐かしい気持ちにもなります。歳をとった証拠なのかも知れませんね…
きいてて、いい気持ちになりますよね~~。。なつかしい気持ちになります。心地よいカライモ標準語です。
昔、鹿児島に出張に来た他県の人が、エレベーターで二人組が外国語をしゃべっていたのを聞き『鹿児島って国際都市なんだな』と思ったら外国語じゃなくて鹿児島弁だったって話を思い出した。
鹿児島出身のワシでもオッサンの早口な鹿児島弁→韓国語かな?オバハン達の井戸端鹿児島弁→ニワトリかな?ってなる事あったわ
じいちゃんの喋り方と全く同じで理解出来ることにびっくりしたじいちゃん長生きして欲しいなあ〜
昭和初期のおやじの貴重な語りですね~~~👍。
鹿児島弁はホント難しい…同じ九州でもかなり濃い…
一説によると、鎌倉時代の日本語が残っているらしいですよ。
餅と味噌であります、焼酎は持っておりません、ここだけ標準語なのも面白い軍隊でのあります口調は方言による差をなくすために作られたという話を実感できる
軍隊の話し方のところだけ聞き取れるの、やっぱりあのアリマスみたいな話し方は出身地の話し方の違いを吸収する効果があったんだなとよくわかる
言葉が通じなかったら、戦場での命令系統大混乱になりますから。
夫が鹿児島出身です。帰省時におばあちゃまが一生懸命話して下さるのですが、99%聞き取れずひたすら笑顔で乗り切ります。申し訳ない!
一生懸命笑顔で聞いてあげるあなたも偉い✨✨
@@sorarikucha さん優しい言葉、ありがとうございます😊
新しい言語習ってまだ語彙力少ない状態でリスニング聴いてる時みたいな気分
目を瞑れば数年前に他界したじっちゃんが喋ってるみたいで、懐かしさと悲しさが混ざって感情不明…
婆ぁちゃんが鹿児島北部なんで、鹿児島弁を聞くとものすごい郷愁にかられますねなんとなく理解できます独特のリズム感が心地ちいい
谷山市が鹿児島市に併合される頃ですね。鹿児島出身なので、これは鹿児島弁としては標準語に近い方なのでわかりやすいです。鹿児島県内でも田舎に行くとさらに方言がきつくて難易度が高くなりますね。
これまだ分かりやすい方ですよね
このコメントで絶望した
枕崎市や指宿市あたりのお年寄りはは本当に何言ってるか分かりません。
頴娃とかは別枠としても、大隅半島、薩摩半島でも違うしほんとむずいよね。祖母から聞いたんだけど桜島も地域によって違うらしい
そういや、都城の80くらいの親戚、子供のころ遊びに行ったら何言ってるかわからなくて親の通訳が必要だった。
話が鹿児島らしくて良いね
宮脇咲良に見えた、、名前
こういうのは本当に貴重な録音しかも話の内容があったかいw
その通りだと思います。。聴いてて。心地よくなります。😄
全く聞き取れない。なんだか嬉しくなる。
鹿児島の資料館行った時に、黒電話が置いてあって受話器を取ると鹿児島弁で子供達に武士とは如何なるものかみたいな教訓を説いている録音が聞けるんだけど、もう最初から最後までわからなすぎて逆に笑えてきた。真面目な声音で滔々と教えを授けているのがまたツボで。
海外在住の鹿児島県民です。10年くらい前、介護の手伝いをしに田舎のばあちゃん家(げ)に行った時よく話の相手をしてたのですがまさにこの感じです!今は日本の反対側で生活をしていますが、異国の部屋が一気にこのかごんま弁に染められて何だか癒やされました。ありがとうございます。祖母はもうすぐ100歳です。コロナが収束したらなる早で帰国して、祖母に会いたい。おばあちゃん、ながいっしっくいやんせーっ!
10年近くいたからか全部画面無し聞き取れるの、少し嬉しい
鹿児島県民です、、ほとんどわかります!!因みに地名も現在もある地名なので、よくわかります!!笑最後のページの「そうじゃない」のところは、「用はなか(用はない)」かも?って思いました!
宮崎県民ですが、ほとんど分かります。しかし、宮崎弁とはやはり違いますね。うちは母方の祖父母(90歳超え)が山越えの地域(宮崎市内から40分くらい)に住んでいるんですがこの話し方(薩摩弁)をしますね。同じ宮崎でも100年前は薩摩藩の影響を強く受けていた場所とそうでない所があるのかなー?面白いですね。
@@AS-yc9wt 島津の勢力が強かった時代には、宮崎の一部も統治していたという話を、定かかはわからないですが、聞いたことがあります!その時に言語が交わったかもしれないですね、あくまで推測ですが…!面白いですよね!!私の祖母も90過ぎて、まだ元気にしてます!ASさんのお祖母様も、これからもお元気でありますように!😊
そうだと思います。同じ意見です。「ゆじゃなか」お前にはもう用事は無いだと、思います。
@@はたわ-f3t そう聞こえますよね!ありがとうございます!
@@AS-yc9wt 都城あたりはもともと薩摩藩やろ?
戦時中に鹿児島弁で通信したら敵が誰も解読できなかった話すき
こんなご時世、帰省もなかなか叶わず、懐かしい故郷の言葉が身に沁みます。最後、画面の文字では「じゃなか」となっているけど、話されている言葉は「ゆじゃなか」=「用事はなか」、つまり焼酎を持ってないなら用はないから行け行け、と言うやりとりに聞こえますね。
慣れてくるとそこそこ聞き取れるあたり、違う言語ではなく、あくまでも方言だと言うのが分かりますね
え!これ本当にその地域の人は字幕なしで聞き取れるの?!凄い
広島出身だけどあんまり違和感なくすっと入ってきた。東北の方は無理だけど九州の方言なら聞き取れる。
鹿児島県民です、ここまでコテコテの鹿児島弁は喋れないですが、聞き取れて意味もわかります笑笑
聞き取れるけど絶対に喋れない笑
ぢのしな、てげな、わかいもんど。
こんな、感じですね~~。。この、おやじさんは、、まだ、丁寧な鹿児島弁だと思います。
博多弁にどことなく雰囲気似てるんで、聴いていると聞き取れるところが多いです。鹿児島弁て何度も繰り返して聴くと、何を話しているかわかるようになりますね。博多弁も40年前に亡くなった婆ちゃんの喋りとかもこんな感じだから、今の福岡の若者は聞き取れないと思います。
おばあちゃんちにいったときの、親戚の集まりの会話でしかなくてめちゃくちゃ面白い
ないいれちょっか!ち祖父母が使ってたこの話法が懐かしい力の入れ方、勢い、鹿児島らしさがでてると思う
鹿児島弁と言えばこの話が好きです。太平洋戦争末期アメリカ軍に日本軍の暗号はほぼ全て解読されておりました。なので、鹿児島県出身の兵隊達は鹿児島弁を平文で打ち始めました。すると、アメリカ軍は新しい暗号だと思い一生懸命解読しましたが出来ませんでした。鹿児島県出身の捕虜が方言だよと言ったことにより解読されましたがほぼ同時期に戦争は終わりました。なので、鹿児島弁はアメリカ軍でも解読出来ない暗号として有名です。
暗号風の平文w
あれだな。米軍がアメリカ先住民の言葉でやり取りしたって話と通じるものがあるな。
亡き祖父母の家が鹿屋で、両親も鹿屋育ちでした。子供の頃、盆正月に鹿児島へ帰省したときに、まるで祖父母が両親と会話をしてるみたいでとても懐かしく感じました。会話の内容は半分も理解出来ませんが、現在離れて住んでる老いた両親にこれを聞かせてあげたいですね。
貴重な、語り方ですね~~。。。見習いたいです。これが、昭和初代のおやじですね~
鹿屋市産まれ育ちです。今You Tubeなどで鹿児島弁を話す若い子の投稿が多いですが、やはりこういう細かいディテールの鹿児島弁、文化や生活の背景が浮かぶのと、やはり親〜祖母祖父世代の話し方ですね。文字ではなく、口語の細かいニュアンス。貴重な動画ありがとうございます。
母の実家が鹿屋でした。帰省した時は、桜デパートやタイヨー、商店街のおもちゃ屋さんによく行ってました。大好きな祖父母が居たからか、鹿児島には幸せな思い出しかないです。鹿児島弁を聞くと心が和みます。
俺の爺婆が鹿屋生まれなんじゃけど、めっちゃ聞き覚えのあるイントネーションだった
薩英戦争でイギリスと話がつうじなかったという逸話もうなずける。
これわかる人、めっちゃかっこいい😭英語の方がわかる。関西人だけど、九州行くのも大好きだし、今まで会った九州生まれの人は面白くて情が熱くて好き!鹿児島行きたい!!
是非是非〜 by鹿児島県民
おじゃったもんせ
いっでん、おじゃったもんせ。かごいめ
面白い小話でした 鹿児島人なので普通に聞き取れました
鹿児島県民です、祖父母が亡くなってからというもの鹿児島弁を聞く機会がめっきり減ってしまって、今回とても懐かしく感じられました。
聴いてて。。心地よくなるような、とおちゃんの語りですね~
60年代の老人なのにあんま訛ってないなさすが鹿児島市は都会だな
悲しいかな、字幕見なくても、全部わかってしまい、その通り喋れる自分が悲しい(笑)アップされた方に感謝、感謝です。
東京育ちの姶良町と蒲生町のハーフだけど、夏休みに帰省したあの頃を思い出す。懐かしい。何言ってるか分からんが。
姶良市(町)と蒲生町のハーフというところで笑った。何言ってるか分からんが、ってところで若い人だなと分かりました。(笑)
@@yasuyukinishi1353 94年生まれ。今年で27才です。
@@ryohei1119 私の孫みたいなものですな。そりゃあわからないですよね。
現代の鹿児島県民もわかるってのがすごい
同じ九州だけど、なんとなく分かる…
固有で特別な存在の方言にめっちゃ憧れがあるんだよな。方言ネイティブになりたかった…
めちゃめちゃ貴重な資料ですね。若い人の間では方言を話す人も減っていると聞きますが、今後の学術の発展にも大いに貢献する資料と思います。感動です。
今、鹿児島の人がこれを聞いて、どれくらい理解できるのだろう?
母親は大阪出身で、言葉自体は話しませんが父や祖父母や周りの話を聞いて育った者としては文章を見なくても意外とわかりますよ🙋♂️これも、自慢とか否定ではなく、あくまで個人的に人生の楽しみが増えてるなと思う次第ですけどねwwww方便のラジオ体操とかは、その地方の人にとってはめっちゃツボです🤣
@@interior.design.justice 大阪弁となんの関係が?
@@interior.design.justice 大阪出身だけど鹿児島弁がわかるってこと?
@@interior.design.justice さんご丁寧な返信、ありがとうございます。お母さまは理解されるのですね。方言によるラジオ体操、楽しそうです😄
ほぼわかる。この人の訛り、語彙は比較的マイルド。頴娃弁というラスボスが存在する。
じいちゃんばあちゃんの話してる言葉と同じだから、だいたいわかる(20代前半 鹿児島市出身)
すご
県民なら九割の人が分かると思う。
懐かしい。。。両親と祖父祖母、親戚、近所のおばちゃんたちとの会話が正にこんな感じの話し方でした。鴨池には昔練兵場とか軍の飛行場があって戦後もしばらく鹿児島空港として使われたんですよね。
ギリギリ聞き取れる、なんかうれしい
父が録音にも出てくる谷山に、小さい頃家族で住んでました。その家に私も小さいころ何度か連れて行ってもらいました。鹿児島弁を聞いていると、亡くなった祖父母、叔父叔母、今は連絡取らなくなった従兄弟たちと毎夏過ごした日々を思い出します。お昼寝をしてると、親戚が居間で楽しそうに話しているのを聞きながらウトウトしている気分です^_^
昔、おばあちゃん家でおばあちゃんとおばあちゃんの知り合いの婆さんが話をし始めた時はもう何言ってるのか全然話が分からなかった事があり、それを思い出しました🤔
西郷さんも大久保さんもこうやって話してたと思うと胸が熱い。
母のルーツが鹿児島でとても懐かしく聴きました。
45歳、ずっと鹿児島市民の男です。25歳で初めて関東に旅行に行った時にコンビニでセブンスター(タバコ)を買う際に聞き取って貰えず3回言い直しました。32歳で香川旅行にて、夕食を食べた店でプレミアムモルツを注文するのに5回イントネーションを代えたのに伝わらず指差し注文した事を思い出しました。次の日香川市内のうどん屋で、うどんの汁が自分の服に飛んでしまった際に出た一言で店中の人の視線が集まったのも良い思い出です。その時自分から出た一言は(ん)にゃ、ちょ、しもたでした。
字幕違うって言ってる人いるけど、字幕付けたのうp主じゃなくて国立国語研究所の学者だぞ…。
戦後20年も経っててこれか。その地方の中でも田舎か、中心かで言語は変わるとはいえ訛り凄いな
佐賀県民だけど80代〜のお婆ちゃん達のイントネーションに似てる。けと言葉が所々違うから半分くらいしか分からない笑鹿児島のイントネーションは九州でも色濃いからなぁw
父が鹿児島県の出身なのですが父方の親せきと父が電話でしゃべっているのを聞いてサッパリ解らなかった子供の頃が思い出されました。
今から10年以上前に、鹿児島の温泉旅館に行きました。そこは宿泊客は殆どおらず(当日も宿泊客は私1人だけでした)、地元の人が多く来られる温泉でした。見た感じ90歳前後のお爺さんが2人が、湯船につかって話しておられました。訪れたのが春だったので、タケノコの話をしていることは何となく分かりましたが、殆ど聞き取れませんでした。旅館の方に「湯船で90歳前後の人が話されていて、何を話しておられるのか、殆ど分かりませんでした」と話すと、「私らも高齢者同士の会話は、さっぱり分からない所がある」と言っておられました。こういう方言が消えていくのは、寂しいものがあります。
UP、まこちあいがともさげもす。18歳まで鹿児島県(大隅半島)で育ちました。上京して40年以上。今でも実家の母や弟と話すときは、このレベルの鹿児島弁で話しています。できるだけ方言文化を大事にしようと思っています。
国分出身50代で東京に35年住んでます。国分の年寄りはまだこのレベルですw
津軽弁よりはるかに分かりやすいけどそれでも字幕がないと聞き取れないですね
米軍が無線を傍受したけど、鹿児島弁が独特すぎて日系アメリカ人でもさっぱり分からない。ってエピソード好き
鹿児島弁と津軽弁、同じ日本人でも違いが有り過ぎて、外国語と変わらないw正直、鹿児島弁の方がまだ聴き取れるなw
西日本生活が長い津軽弁話者だけど、これは所々外国語に聞こえるわ…
実際問題、参勤交代で江戸に行った時は、通訳(通事)がいたそうですよね。
津軽弁話者は、標準語ではなされてもアクセントがすごいから何言ってるか分からないことがある
津軽弁はズーズー弁と呼ばれて大体1週間から1ヶ月いれば言っていることは大体分かるようになります。本物の鹿児島弁はその津軽弁よりも難しいです。島語(大島や奄美大島など)はもっと難しいですよ。私が選ぶ日本一難しい方言は沖縄弁です。隣接する各島に行くと沖縄の人でも分からなくなるそうです。二番目はアイヌ語です。沖縄弁とアイヌ弁は日本語じゃないですよ。(笑) でも50~60年前と比べると本当のご当地弁を使える方がめっきり減ってきましたね。
現代柔侠伝というマンガで、鹿児島弁と津軽弁のケンカというシーンがあって笑った
10歳まで鹿児島いたんだけど、不思議なもので、喋れはしないが未だに聞き取れはするんだよな
前、日本語学習歴五年の日本語通訳やってる外国人に「これ日本語検定一級の2021年版ヒヤリング」と言って鹿児島弁聞かせたら、頭ひねって汗滴しながら必死に聞こうとしてて面白かった。
性格わりー
嘘くさー
ひでえなw
鹿児島のオジサン達の話はとにかく「そつ」=焼酎が出てくる
ちょっとノイズとかで聞き取りにくかったり知らない単語も少しあったけど、概ね聞き取れました!祖父母や親戚を思い出すような話し方で帰りたくなったな…
言葉もそうだろうけど、多分現代人だとこのエピソードがそこまで笑えるエピソードとして扱われないと思うんだよね感覚の違いというのか、そういった事も垣間見えて面白い
話し手と聞き手が笑うタイミングが独特で不思議な話に聞こえてましたが、なるほどそういう事なんですね。恐らく内容は話されている方のご家族の事だと思うんですが、そういった事なら気心が知れる分尚更語り草になるんでしょうね。
リスニング自体は字幕なしでもなんとなくわかるけど、笑えるポイントがよくわからんかった…。え?ここ笑うポイント?みたいな
「お酒をこっそり持ち込もうとしたら、兵隊が知り合いだったからすぐバレた。その兵隊も、酒を持ってきているなら一緒に呑もうと思って問いただしていた。」現代人でも普通に笑えね?
おじいちゃんがしてくれる昔話として普通に面白い🤣
方言は国抜け出来なくさせる為ってのが良く分かる動画でした。
それもあるかもしれませんが、逆に隔絶されてるからこそ自然発生的に生まれるというのもあるんじゃないでしょうか。
普通のお爺ちゃんたちの会話って感じですね。これはまだ若い世代でも聞き取れるのでは!?
あの奇公子がこんな訛りの早口は確かに聞き取れないw
水俣弁ってこんなに鹿児島弁に似てたんだあ…とちょっと感動すら覚えるじさんたちのぎゃんしてしゃべんなるとよ…まっこて懐かしかよ
ちゃんと理解は出来ないんだけど、ばあちゃんたちが話してるときこんな感じだったなぁって懐かしくなった笑
熊本転勤3年目だけどついにある程度聞き取れるようになってしまった九州に染まってるなあ
戦中は暗号文として使用していたとの噂も聞いたことがあります。ドラマや映画、漫画などのフィクションは、かなり現代語に近づけて聞き取りやすくしてあるんですねー。貴重な資料ありがとうございます!
え、結構面白い話やったとけど…笑なんか、爺ちゃん‼︎って感じで好き
婆ちゃんがこのレベルで訛ってるから全て理解できてしまう笑笑
古代日本語の発音を再現した動画に紛れてても信じてしまいそう
ばあちゃんが僕がいない時はこんな感じで話してる笑
ゆっくり話してくれれば、同じ九州人同士ですので、可成り理解出来ます。ラティーノ件の人がイタリアン、フレンチ、スパニッシュそしてポルトギースで使われる共通語が数多く有るので、他国語を聞き取れるのが早いなと似ています。私は福岡県と大分県の両親から産まれた北九州市民でした。
お婆ちゃんが鹿児島の人だけど、大体理解できるのおもろい
博多っ子ワイ「同じ九州弁やけん余裕やろ」鹿児島爺ちゃん「위대한 김정은 장군 만세」ワイ「」
母が鹿児島で千葉育ちだけど普通に理解できる
「リョーイチ」が「ジョイッ」になるの、不思議。rがjになるのですね。「らっきょう」が「だっきゅ」になったり、「何事よ?」「ないごっじょ?」になったり、鹿児島弁は子音が変わることがありますよね。
横着もんの太田良一さんが酒飲み友達をだまくらかして焼酎を分取ろうとするお話ですね笑
字幕2種類ついてるのに、どっちを読んでも音声についていけないwwえ!?いまどこらへんまですすんでるの!?ってなる息子さんが、とか兵隊は、とか餅、とか名詞しかわからない・・・
ひらがなと漢字混じりで、字幕作ってみました。上げてありますので、良かったら、見てみてください。これなら、ついて行けると思います。
よかった。自分だけじゃなくてw
九州他県ですが、わかりますね。こちらは比較的ソフトな鹿児島弁ですかね?昔知り合った鹿児島県人はもっとうねるような抑揚が印象的で、九州でもまったく違うんだなという記憶でしたが、これを聞くとそうでもないなぁ。
これって、80歳以上とかじゃなくても鹿児島育ちなら普通にわかるんですか?すごいです。。。80年代後半に横浜から鹿児島大学に進学した従姉が、「何言ってるかわからないのが怖くて街に出られない。デパートとかはまだ良いけど、近所の八百屋とか魚屋のお婆ちゃんとかおじちゃんは本当に何言ってるかわからない。怖い」と言ってた気持ちがわかります。全然わからない。
西郷さんや大久保さんもこういうふうに話していたんだろうな。
高校の修学旅行で広島の宮島(厳島神社)に渡る際、汽船場で作業されている人同士の会話が、全く解らなかった事を思い出しました。
あたや、52歳やっどん全部わかっど!懐かしどなぁ~昔ゃみんなこげな話し方やったどなぁ~
母が鹿児島県出身、私も一時期種子島にいたけど、ここまで話が判らなかった思い出はないなぁ。
割と話の中身もほのぼのトークで良いですね。
ばあちゃんが鹿児島出身、熊本に嫁に行って、たまあにこのくらいの方言出てしまって誰もわからないときあります笑。そのばあちゃんと話してたからか1/3くらいわかります笑(大阪出身)
先週鹿児島行ったけど、イントネーションはまじでこんな感じだったなあ流石に言葉使いは普通だったけど
1:04 鴨池…まさに私たちが今現在住んでいるところ…不思議な感覚…
津軽弁っぽくて聞き取れそうな気がするのに「あ、やっぱわからんw」ってなる(当方津軽弁スピーカーです)
言語マニアにはたまらない資料
標準語を考案した上田万年をご存知ですか。それまで公儀隠密などはとても苦労したそうです。上田万年のドラマがあった記憶が有ります。
いまもこんな喋りの年寄りいますが頷くしかできません、、、生粋のかごんまべんには敵わない
10歳まで鹿児島にいました。
永遠に忘れていくんだろうと思ってた言葉達が甦りました。
亡くなったじいちゃんがいつもこうして話してました。
本当に貴重な資料。ありがとうございます。
いま何才ですか?
@@sugiurabonvoy446
40歳です^^じいちゃんが昭和2年生まれでした。トーンとかがそっくりで。懐かしかったです。
僕も10歳まで居ました、でも鹿児島弁は殆ど理解できる
@@sugiurabonvoy446 49歳 僕等の頃がほんとのゆとり世代なんじゃないかと思う、周り黄鼻垂らしてる様な子供ばっかりだった、勉強もそこそこで良かったし、人も今みたいにギスギスした人は居なかったし、皆んな活気に溢れていて活々していた。鹿屋の町もサクラデパートがある頃は街に人が溢れていた、墓参りに帰るたびに錆びれて行く鹿屋の町に寂しさを感じます😢
やばw自分も十歳の時まで居ました
徳川慶喜が「一生懸命喋っているが、何を言っているかちっとも判らん。ただ、ふんふんと頷くしか出来ない」と語っておられた言葉(^_^;)
戦争中も東北で「なにいってるかわかんねぇから斬ったわ」って記録あったしなー
そうなんだwwwwww
@@Dテリ 当時の切りあいって、まさか…そのレベルだったり?
鍔あたっただけで切り合いになるから歩く場所右ってなったって聞いたことあるけど…(/ー ̄;)
@@kyokok7134 うーんkyoukoさんの意思を汲み取れなくて悪いのですが、戊辰は新兵器持った西軍が撃って撃って討ちまくり、ではなく幕府側も十分な分の砲を持っていたり、新撰組も銃器の訓練を戦争前から行っていたというケースが多いです。ただ白兵戦は絶え間なく続き、会津では少年兵が槍を振り回して捕獲やむ無く射殺といったケースがありました。接近戦がなくても当時は捕虜や病院の扱いが残酷だったために外人医師が「やっぱサムライ野蛮。官軍も名ばかり」とディスったりしてます
参考資料は戦争の日本史、敗者の日本史シリーズから幕末を取り上げた巻、あとは最近出てる佐幕系の本からです、読むと飽きないのでオススメ。
@@Dテリ
教えてくださりありがとうございます(*^^*)
歴史を見てると現代だとその程度で?と思うことも多くて
当時はそれが当たり前と思っていても不思議だなと。意志疎通ができなくて敵に見えることもあるのかと思ったものですから…f(^ー^;
オススメ見てみますね(*^^*)
戊辰戦争のとき薩摩人と会津人で言葉が通じなかったというのも頷ける。
獅子の時代っすね
大山巌と捨松が結婚するとき、言葉が通じなかったので、フランス語で話したという話は有名ですね。
@@圭田村-o4f 教養の塊エピソードだ
話が通じないから芝居や狂言の言葉使いで話したんだっけ
今でも分からないし
クセが強すぎる。
所々は聞いてなんとなく理解できるがふとした瞬間に全く分からなくなって妙な感じだ
国語の小説とかで話ぼけーって聞いてなくてぼやっとしてた時に慌てて目で追ってた時に「ここだ」って気づく時みたい
前に日本の総理が要人との密談で『会話は人工衛星で盗聴されている』という理由で、ずっと鹿児島弁で話してたそうな😭
「もし自分が外国人で、初めて日本語を聞いたらどんな感じなんだろう」という永遠に叶わない体験を叶えてくれた感がある。日本語って多様で面白いな〜。
他国に10年もいたらそういう感覚になれますよ。その気になれば(現地に溶け込もうとすれば)一年も経たずに日本語単語がいくつも思い出せなくなり、三年で現地語と母語が同じ強さで喉を出ていこうとするのでそこでつかえて何も発せない言語障害状態になり、五年で現地語で思考するようになり、10年で地蔵とか瓦屋根とか門松とか気持ち悪いと思うようになる、日本人の顔の見分けが細かくはつかないようになる(地域ごとの顔の漠然とした特徴には敏感になります。東日本の顔は平らで西日本は起伏が大きいなとか)。
日本にいても意識し続ければある程度そういう感覚になれます。日本語のテレビや動画を絶対見ない。どうせ必要なニュースなんてほとんどの人にとっては他国のニュースサイトの日本に関するニュース程度の量で足りるんだし。野球の試合の結果とか芸能ニュースとか全然必要ない、それらを断てば世間がいかに洗脳誘導されてるかも強く思い知らされるでしょう。日本語も必要最低限にしか目にしない、街歩いてて日本語看板読まない。どれか他の言語一つに集中する。いくつもの言語に少しずつ接しててもダメです。どれか一つに絞らないと心や頭の中の母語を中和できません。俺も帰国直後数年間は感覚が日本に戻ると折角他国で得た感覚を忘れてしまうので、できるだけ何も見ないようにしました。買い物に行っても他の日本人客の顔も見ない。店内の日本語もなるべく読まない。和食も可能な限り避ける。通りすがる人の話が聞こえてきてもそれを理解しようとしない。
言語を意識するのは難しいけど形にできる五官の中では味覚が最も意識的に変えやすいです。自炊して塩を絶対使わない、外食中食でも少しでもしょっぱいと思うものは避ける、日本人の味覚に合わせて作られてる国産のレトルトや加工食品やカップ麺は極力食べない、むしろ日本で全然流行ってない他国の加工食品ばかりを食べるようにする、薄味で物足りないと思うものだけを意図的に5年も食べ続ければ、熱帯とか岩塩もとれない離島の山の上の民族みたいな味覚に近づけます。煎餅や東日本の醤油出汁の醤油の濃さやラーメン屋のラーメンのしょっぱさが吐きそうなくらい気持ち悪く感じるまで続けないとだめ。みんな短期海外旅行すると三日目には和食が恋しいとか言い出すのは和食中毒だからです。酒タバコ博打辞めるのに三日目とか一週間目とか一か月目とかにどうしてもやりたくなる波が襲ってくるけど、それを乗り越える度に断つのが苦にならなくなってくるのと同じ。それらをし続けていた状態を、それらをしていない長い期間を設けて中和する訳です。誰でもおふくろの味が最高だけど、それを変えるにはおふくろの味より強い味覚を刷り込めばいい。和食にはどう頑張ってもありつけない国地域に移住すればスパルタ式に最短で現地の味覚になる、和食が嫌いになります。
自分は日本では関東と沖縄には住んだ事があるので(もっと色々住んだけど九州から東西に近い場所はその二か所)この動画を聞いた印象は確かにその二か所の中間だなって感じました。これも味覚で言えば北海道から18きっぷなり下道自走で時間かけて鹿児島まで、そこからフェリーで南西諸島をゆっくり渡り、台湾も北から南へ全ての市区町村回るくらいの密度で食べ歩いてフィリピンなり大陸まで行ったら、距離に比例して味つけが少しずつ変わっていくのが手に取るように分かります。反対に赤道あたりから船で少しずつ北上すると島一つ経る度に陽の力が弱まって海が濃くなっていく細かい違いも感じられます。10キロも違ったらかなり違う。言語も他の全ての文化も本来そうだった筈だけど国境敷かれて以後そこを境に大きく変わってしまったので特にその影響を強く受けてる都市部の若者の話を聞いててもどこの人か判断するのは難しくなりました。
@@meroppa1 流石にそこまで自分を追い込んでまで体感したくはないわ。どんな拷問だよ
@@meroppa1 長い。3行で
@@meroppa1 すまん、なんか狂気を感じる w w
@@notinuse1885 経験豊富な
私を
褒めて
祖父が明治33年生まれ、天草上島出身。私自身は63歳、岡山出身です。
字幕なし・スピーカーで聴きましたが、場面が目に浮かぶお話でした。
話し手の武元さん、丁寧な状況説明と聞き手を楽しませようとするサービス精神旺盛な方だと推測します。
僕は天草上島に住んでる18歳です
ぜひ天草に遊びに来てください
久しぶりに本物の鹿児島弁を聴きました。母と祖母の会話時、祖母はこんな感じの喋り方でした。
私の父方のばあちゃん、末吉町住まいでしたが正にこの喋り方でした。
近所のおばちゃんと井戸端会議してるのを聴いても殆ど分かりませんでした
@@house2884 まさに!子供の頃、祖母宅へ行くと過疎化が進んでいる田舎では子供は大事にされるので近所の人が集まって来るのですが、会話内容が全然わからないという…🥲 母との会話では祖母はきっと加減していたんでしょうね。
@@nikochan03603 タイトルよく見たら私が生まれた年(笑)
最近は標準語で話す事が多いのでしょうけど、理解が難しいとは言えこうした地方の話し言葉が消えていくのは寂しい気がします
当時はちんぷんかんぷんでしたが、今改めて聴くとほのぼのとした、どこか懐かしい気持ちにもなります。
歳をとった証拠なのかも知れませんね…
きいてて、いい気持ちになりますよね~~。。なつかしい気持ちになります。
心地よいカライモ標準語です。
昔、鹿児島に出張に来た他県の人が、エレベーターで二人組が外国語をしゃべっていたのを聞き
『鹿児島って国際都市なんだな』と思ったら外国語じゃなくて鹿児島弁だったって話を思い出した。
鹿児島出身のワシでも
オッサンの早口な鹿児島弁→韓国語かな?
オバハン達の井戸端鹿児島弁→ニワトリかな?
ってなる事あったわ
じいちゃんの喋り方と全く同じで理解出来ることにびっくりした
じいちゃん長生きして欲しいなあ〜
昭和初期のおやじの貴重な語りですね~~~👍。
鹿児島弁はホント難しい…同じ九州でもかなり濃い…
一説によると、鎌倉時代の日本語が残っているらしいですよ。
餅と味噌であります、焼酎は持っておりません、ここだけ標準語なのも面白い
軍隊でのあります口調は方言による差をなくすために作られたという話を実感できる
軍隊の話し方のところだけ聞き取れるの、やっぱりあのアリマスみたいな話し方は出身地の話し方の違いを吸収する効果があったんだなとよくわかる
言葉が通じなかったら、戦場での命令系統大混乱になりますから。
夫が鹿児島出身です。帰省時におばあちゃまが一生懸命話して下さるのですが、99%聞き取れずひたすら笑顔で乗り切ります。申し訳ない!
一生懸命笑顔で聞いてあげるあなたも偉い✨✨
@@sorarikucha さん
優しい言葉、ありがとうございます😊
新しい言語習ってまだ語彙力少ない状態でリスニング聴いてる時みたいな気分
目を瞑れば数年前に他界したじっちゃんが喋ってるみたいで、懐かしさと悲しさが混ざって感情不明…
婆ぁちゃんが鹿児島北部なんで、鹿児島弁を聞くとものすごい郷愁にかられますね
なんとなく理解できます
独特のリズム感が心地ちいい
谷山市が鹿児島市に併合される頃ですね。
鹿児島出身なので、これは鹿児島弁としては標準語に近い方なのでわかりやすいです。
鹿児島県内でも田舎に行くとさらに方言がきつくて難易度が高くなりますね。
これまだ分かりやすい方ですよね
このコメントで絶望した
枕崎市や指宿市あたりのお年寄りはは本当に何言ってるか分かりません。
頴娃とかは別枠としても、大隅半島、薩摩半島でも違うしほんとむずいよね。祖母から聞いたんだけど桜島も地域によって違うらしい
そういや、都城の80くらいの親戚、子供のころ遊びに行ったら何言ってるかわからなくて親の通訳が必要だった。
話が鹿児島らしくて良いね
宮脇咲良に見えた、、名前
こういうのは本当に貴重な録音
しかも話の内容があったかいw
その通りだと思います。。聴いてて。心地よくなります。😄
全く聞き取れない。なんだか嬉しくなる。
鹿児島の資料館行った時に、黒電話が置いてあって受話器を取ると鹿児島弁で子供達に武士とは如何なるものかみたいな教訓を説いている録音が聞けるんだけど、もう最初から最後までわからなすぎて逆に笑えてきた。
真面目な声音で滔々と教えを授けているのがまたツボで。
海外在住の鹿児島県民です。
10年くらい前、介護の手伝いをしに田舎のばあちゃん家(げ)に行った時よく話の相手をしてたのですがまさにこの感じです!
今は日本の反対側で生活をしていますが、異国の部屋が一気にこのかごんま弁に染められて何だか癒やされました。
ありがとうございます。祖母はもうすぐ100歳です。コロナが収束したらなる早で帰国して、祖母に会いたい。
おばあちゃん、ながいっしっくいやんせーっ!
10年近くいたからか全部画面無し聞き取れるの、少し嬉しい
鹿児島県民です、、ほとんどわかります!!
因みに地名も現在もある地名なので、よくわかります!!笑
最後のページの「そうじゃない」のところは、「用はなか(用はない)」かも?って思いました!
宮崎県民ですが、ほとんど分かります。しかし、宮崎弁とはやはり違いますね。
うちは母方の祖父母(90歳超え)が山越えの地域(宮崎市内から40分くらい)に住んでいるんですがこの話し方(薩摩弁)をしますね。
同じ宮崎でも100年前は薩摩藩の影響を強く受けていた場所とそうでない所があるのかなー?面白いですね。
@@AS-yc9wt
島津の勢力が強かった時代には、宮崎の一部も統治していたという話を、定かかはわからないですが、聞いたことがあります!その時に言語が交わったかもしれないですね、
あくまで推測ですが…!
面白いですよね!!
私の祖母も90過ぎて、まだ元気にしてます!ASさんのお祖母様も、これからもお元気でありますように!😊
そうだと思います。同じ意見です。
「ゆじゃなか」
お前にはもう用事は無い
だと、思います。
@@はたわ-f3t
そう聞こえますよね!ありがとうございます!
@@AS-yc9wt 都城あたりはもともと薩摩藩やろ?
戦時中に鹿児島弁で通信したら敵が誰も解読できなかった話すき
こんなご時世、帰省もなかなか叶わず、懐かしい故郷の言葉が身に沁みます。
最後、画面の文字では「じゃなか」となっているけど、話されている言葉は「ゆじゃなか」=「用事はなか」、つまり焼酎を持ってないなら用はないから行け行け、と言うやりとりに聞こえますね。
慣れてくるとそこそこ聞き取れるあたり、違う言語ではなく、あくまでも方言だと言うのが分かりますね
え!これ本当にその地域の人は字幕なしで聞き取れるの?!凄い
広島出身だけどあんまり違和感なくすっと入ってきた。東北の方は無理だけど九州の方言なら聞き取れる。
鹿児島県民です、ここまでコテコテの鹿児島弁は喋れないですが、聞き取れて意味もわかります笑笑
聞き取れるけど絶対に喋れない笑
ぢのしな、てげな、わかいもんど。
こんな、感じですね~~。。この、おやじさんは、、まだ、丁寧な鹿児島弁だと思います。
博多弁にどことなく雰囲気似てるんで、聴いていると聞き取れるところが多いです。
鹿児島弁て何度も繰り返して聴くと、何を話しているかわかるようになりますね。
博多弁も40年前に亡くなった婆ちゃんの喋りとかもこんな感じだから、今の福岡の若者は聞き取れないと思います。
おばあちゃんちにいったときの、親戚の集まりの会話でしかなくてめちゃくちゃ面白い
ないいれちょっか!ち
祖父母が使ってたこの話法が懐かしい
力の入れ方、勢い、鹿児島らしさがでてると思う
鹿児島弁と言えばこの話が好きです。
太平洋戦争末期アメリカ軍に日本軍の暗号はほぼ全て解読されておりました。
なので、鹿児島県出身の兵隊達は鹿児島弁を平文で打ち始めました。すると、アメリカ軍は新しい暗号だと思い一生懸命解読しましたが出来ませんでした。
鹿児島県出身の捕虜が方言だよと言ったことにより解読されましたがほぼ同時期に戦争は終わりました。なので、鹿児島弁はアメリカ軍でも解読出来ない暗号として有名です。
暗号風の平文w
あれだな。米軍がアメリカ先住民の言葉でやり取りしたって話と通じるものがあるな。
亡き祖父母の家が鹿屋で、両親も鹿屋育ちでした。
子供の頃、盆正月に鹿児島へ帰省したときに、まるで祖父母が両親と会話をしてるみたいでとても懐かしく感じました。
会話の内容は半分も理解出来ませんが、現在離れて住んでる老いた両親にこれを聞かせてあげたいですね。
貴重な、語り方ですね~~。。。見習いたいです。これが、昭和初代のおやじですね~
鹿屋市産まれ育ちです。
今You Tubeなどで鹿児島弁を話す若い子の投稿が多いですが、やはりこういう細かいディテールの鹿児島弁、文化や生活の背景が浮かぶのと、やはり親〜祖母祖父世代の話し方ですね。
文字ではなく、口語の細かいニュアンス。
貴重な動画ありがとうございます。
母の実家が鹿屋でした。帰省した時は、桜デパートやタイヨー、商店街のおもちゃ屋さんによく行ってました。大好きな祖父母が居たからか、鹿児島には幸せな思い出しかないです。鹿児島弁を聞くと心が和みます。
俺の爺婆が鹿屋生まれなんじゃけど、めっちゃ聞き覚えのあるイントネーションだった
薩英戦争でイギリスと話がつうじなかったという逸話もうなずける。
これわかる人、めっちゃかっこいい😭英語の方がわかる。関西人だけど、九州行くのも大好きだし、今まで会った九州生まれの人は面白くて情が熱くて好き!鹿児島行きたい!!
是非是非〜 by鹿児島県民
おじゃったもんせ
いっでん、おじゃったもんせ。かごいめ
面白い小話でした 鹿児島人なので普通に聞き取れました
鹿児島県民です、祖父母が亡くなってからというもの鹿児島弁を聞く機会がめっきり減ってしまって、今回とても懐かしく感じられました。
聴いてて。。心地よくなるような、とおちゃんの語りですね~
60年代の老人なのにあんま訛ってないな
さすが鹿児島市は都会だな
悲しいかな、字幕見なくても、全部わかってしまい、その通り喋れる自分が悲しい(笑)
アップされた方に感謝、感謝です。
東京育ちの姶良町と蒲生町のハーフだけど、夏休みに帰省したあの頃を思い出す。
懐かしい。
何言ってるか分からんが。
姶良市(町)と蒲生町のハーフというところで笑った。
何言ってるか分からんが、ってところで若い人だなと分かりました。(笑)
@@yasuyukinishi1353 94年生まれ。今年で27才です。
@@ryohei1119
私の孫みたいなものですな。
そりゃあわからないですよね。
現代の鹿児島県民もわかるってのがすごい
同じ九州だけど、なんとなく分かる…
固有で特別な存在の方言にめっちゃ憧れがあるんだよな。方言ネイティブになりたかった…
めちゃめちゃ貴重な資料ですね。若い人の間では方言を話す人も減っていると聞きますが、今後の学術の発展にも大いに貢献する資料と思います。感動です。
今、鹿児島の人がこれを聞いて、どれくらい理解できるのだろう?
母親は大阪出身で、言葉自体は話しませんが父や祖父母や周りの話を聞いて育った者としては文章を見なくても意外とわかりますよ🙋♂️
これも、自慢とか否定ではなく、あくまで個人的に人生の楽しみが増えてるなと思う次第ですけどねwwww
方便のラジオ体操とかは、その地方の人にとってはめっちゃツボです🤣
@@interior.design.justice 大阪弁となんの関係が?
@@interior.design.justice 大阪出身だけど鹿児島弁がわかるってこと?
@@interior.design.justice さん
ご丁寧な返信、ありがとうございます。
お母さまは理解されるのですね。方言によるラジオ体操、楽しそうです😄
ほぼわかる。
この人の訛り、語彙は比較的マイルド。
頴娃弁というラスボスが存在する。
じいちゃんばあちゃんの話してる言葉と同じだから、だいたいわかる(20代前半 鹿児島市出身)
すご
県民なら九割の人が分かると思う。
懐かしい。。。両親と祖父祖母、親戚、近所のおばちゃんたちとの会話が正にこんな感じの話し方でした。鴨池には昔練兵場とか軍の飛行場があって戦後もしばらく鹿児島空港として使われたんですよね。
ギリギリ聞き取れる、なんかうれしい
父が録音にも出てくる谷山に、小さい頃家族で住んでました。その家に私も小さいころ何度か連れて行ってもらいました。鹿児島弁を聞いていると、亡くなった祖父母、叔父叔母、今は連絡取らなくなった従兄弟たちと毎夏過ごした日々を思い出します。お昼寝をしてると、親戚が居間で楽しそうに話しているのを聞きながらウトウトしている気分です^_^
昔、おばあちゃん家で
おばあちゃんとおばあちゃんの知り合いの婆さんが話をし始めた時は
もう何言ってるのか全然話が分からなかった事があり、それを思い出しました🤔
西郷さんも大久保さんもこうやって話してたと思うと胸が熱い。
母のルーツが鹿児島でとても懐かしく聴きました。
45歳、ずっと鹿児島市民の男です。
25歳で初めて関東に旅行に行った時にコンビニでセブンスター(タバコ)を買う際に聞き取って貰えず3回言い直しました。
32歳で香川旅行にて、夕食を食べた店でプレミアムモルツを注文するのに5回イントネーションを代えたのに伝わらず指差し注文した事を思い出しました。
次の日香川市内のうどん屋で、うどんの汁が自分の服に飛んでしまった際に出た一言で店中の人の視線が集まったのも良い思い出です。
その時自分から出た一言は
(ん)にゃ、ちょ、しもた
でした。
字幕違うって言ってる人いるけど、字幕付けたのうp主じゃなくて国立国語研究所の学者だぞ…。
戦後20年も経っててこれか。
その地方の中でも田舎か、中心かで言語は変わるとはいえ訛り凄いな
佐賀県民だけど80代〜のお婆ちゃん達のイントネーションに似てる。けと言葉が所々違うから半分くらいしか分からない笑
鹿児島のイントネーションは九州でも色濃いからなぁw
父が鹿児島県の出身なのですが父方の親せきと父が電話でしゃべっているのを聞いてサッパリ解らなかった子供の頃が思い出されました。
今から10年以上前に、鹿児島の温泉旅館に行きました。
そこは宿泊客は殆どおらず(当日も宿泊客は私1人だけでした)、地元の人が多く来られる温泉でした。
見た感じ90歳前後のお爺さんが2人が、湯船につかって話しておられました。
訪れたのが春だったので、タケノコの話をしていることは何となく分かりましたが、殆ど聞き取れませんでした。
旅館の方に「湯船で90歳前後の人が話されていて、何を話しておられるのか、殆ど分かりませんでした」と話すと、「私らも高齢者同士の会話は、さっぱり分からない所がある」と言っておられました。
こういう方言が消えていくのは、寂しいものがあります。
UP、まこちあいがともさげもす。18歳まで鹿児島県(大隅半島)で育ちました。上京して40年以上。今でも実家の母や弟と話すときは、このレベルの鹿児島弁で話しています。できるだけ方言文化を大事にしようと思っています。
国分出身50代で東京に35年住んでます。国分の年寄りはまだこのレベルですw
津軽弁よりはるかに分かりやすいけどそれでも字幕がないと聞き取れないですね
米軍が無線を傍受したけど、鹿児島弁が独特すぎて日系アメリカ人でもさっぱり分からない。ってエピソード好き
鹿児島弁と津軽弁、同じ日本人でも違いが有り過ぎて、外国語と変わらないw
正直、鹿児島弁の方がまだ聴き取れるなw
西日本生活が長い津軽弁話者だけど、これは所々外国語に聞こえるわ…
実際問題、参勤交代で江戸に行った時は、通訳(通事)がいたそうですよね。
津軽弁話者は、標準語ではなされてもアクセントがすごいから何言ってるか分からないことがある
津軽弁はズーズー弁と呼ばれて大体1週間から1ヶ月いれば言っていることは大体分かるようになります。
本物の鹿児島弁はその津軽弁よりも難しいです。島語(大島や奄美大島など)はもっと難しいですよ。
私が選ぶ日本一難しい方言は沖縄弁です。隣接する各島に行くと沖縄の人でも分からなくなるそうです。
二番目はアイヌ語です。沖縄弁とアイヌ弁は日本語じゃないですよ。(笑) でも50~60年前と比べると本当のご当地弁を使える方がめっきり減ってきましたね。
現代柔侠伝というマンガで、鹿児島弁と津軽弁のケンカというシーンがあって笑った
10歳まで鹿児島いたんだけど、
不思議なもので、喋れはしないが未だに聞き取れはするんだよな
前、日本語学習歴五年の日本語通訳やってる外国人に「これ日本語検定一級の2021年版ヒヤリング」と言って鹿児島弁聞かせたら、頭ひねって汗滴しながら必死に聞こうとしてて面白かった。
性格わりー
嘘くさー
ひでえなw
鹿児島のオジサン達の話はとにかく「そつ」=焼酎が出てくる
ちょっとノイズとかで聞き取りにくかったり知らない単語も少しあったけど、概ね聞き取れました!
祖父母や親戚を思い出すような話し方で帰りたくなったな…
言葉もそうだろうけど、多分現代人だとこのエピソードがそこまで笑えるエピソードとして扱われないと思うんだよね
感覚の違いというのか、そういった事も垣間見えて面白い
話し手と聞き手が笑うタイミングが独特で不思議な話に聞こえてましたが、なるほどそういう事なんですね。
恐らく内容は話されている方のご家族の事だと思うんですが、そういった事なら気心が知れる分尚更語り草になるんでしょうね。
リスニング自体は字幕なしでもなんとなくわかるけど、笑えるポイントがよくわからんかった…。え?ここ笑うポイント?みたいな
「お酒をこっそり持ち込もうとしたら、兵隊が知り合いだったからすぐバレた。その兵隊も、酒を持ってきているなら一緒に呑もうと思って問いただしていた。」現代人でも普通に笑えね?
おじいちゃんがしてくれる昔話として普通に面白い🤣
方言は国抜け出来なくさせる為ってのが良く分かる動画でした。
それもあるかもしれませんが、逆に隔絶されてるからこそ自然発生的に生まれるというのもあるんじゃないでしょうか。
普通のお爺ちゃんたちの会話って感じですね。
これはまだ若い世代でも聞き取れるのでは!?
あの奇公子がこんな訛りの早口は確かに聞き取れないw
水俣弁ってこんなに鹿児島弁に似てたんだあ…とちょっと感動すら覚える
じさんたちのぎゃんしてしゃべんなるとよ…まっこて懐かしかよ
ちゃんと理解は出来ないんだけど、ばあちゃんたちが話してるときこんな感じだったなぁって懐かしくなった笑
熊本転勤3年目だけどついにある程度聞き取れるようになってしまった
九州に染まってるなあ
戦中は暗号文として使用していたとの噂も聞いたことがあります。ドラマや映画、漫画などのフィクションは、かなり現代語に近づけて聞き取りやすくしてあるんですねー。
貴重な資料ありがとうございます!
え、結構面白い話やったとけど…笑
なんか、爺ちゃん‼︎って感じで好き
婆ちゃんがこのレベルで訛ってるから全て理解できてしまう笑笑
古代日本語の発音を再現した動画に紛れてても信じてしまいそう
ばあちゃんが僕がいない時はこんな感じで話してる笑
ゆっくり話してくれれば、同じ九州人同士ですので、可成り理解出来ます。ラティーノ件の人がイタリアン、フレンチ、スパニッシュそしてポルトギースで使われる共通語が数多く有るので、他国語を聞き取れるのが早いなと似ています。私は福岡県と大分県の両親から産まれた北九州市民でした。
お婆ちゃんが鹿児島の人だけど、大体理解できるのおもろい
博多っ子ワイ
「同じ九州弁やけん余裕やろ」
鹿児島爺ちゃん
「위대한 김정은 장군 만세」
ワイ「」
母が鹿児島で千葉育ちだけど普通に理解できる
「リョーイチ」が「ジョイッ」になるの、不思議。rがjになるのですね。
「らっきょう」が「だっきゅ」になったり、「何事よ?」「ないごっじょ?」になったり、鹿児島弁は子音が変わることがありますよね。
横着もんの太田良一さんが酒飲み友達をだまくらかして焼酎を分取ろうとするお話ですね笑
字幕2種類ついてるのに、どっちを読んでも音声についていけないww
え!?いまどこらへんまですすんでるの!?ってなる
息子さんが、とか兵隊は、とか餅、とか名詞しかわからない・・・
ひらがなと漢字混じりで、字幕作ってみました。上げてありますので、良かったら、見てみてください。これなら、ついて行けると思います。
よかった。自分だけじゃなくてw
九州他県ですが、わかりますね。こちらは比較的ソフトな鹿児島弁ですかね?
昔知り合った鹿児島県人はもっとうねるような抑揚が印象的で、九州でもまったく違うんだなという記憶でしたが、これを聞くとそうでもないなぁ。
これって、80歳以上とかじゃなくても鹿児島育ちなら普通にわかるんですか?すごいです。。。80年代後半に横浜から鹿児島大学に進学した従姉が、「何言ってるかわからないのが怖くて街に出られない。デパートとかはまだ良いけど、近所の八百屋とか魚屋のお婆ちゃんとかおじちゃんは本当に何言ってるかわからない。怖い」と言ってた気持ちがわかります。全然わからない。
西郷さんや大久保さんもこういうふうに話していたんだろうな。
高校の修学旅行で広島の宮島(厳島神社)に渡る際、汽船場で作業されている人同士の会話が、全く解らなかった事を思い出しました。
あたや、52歳やっどん全部わかっど!懐かしどなぁ~昔ゃみんなこげな話し方やったどなぁ~
母が鹿児島県出身、私も一時期種子島にいたけど、ここまで話が判らなかった思い出はないなぁ。
割と話の中身もほのぼのトークで良いですね。
ばあちゃんが鹿児島出身、熊本に嫁に行って、たまあにこのくらいの方言出てしまって誰もわからないときあります笑。
そのばあちゃんと話してたからか1/3くらいわかります笑(大阪出身)
先週鹿児島行ったけど、イントネーションはまじでこんな感じだったなあ
流石に言葉使いは普通だったけど
1:04 鴨池…まさに私たちが今現在住んでいるところ…不思議な感覚…
津軽弁っぽくて聞き取れそうな気がするのに
「あ、やっぱわからんw」ってなる
(当方津軽弁スピーカーです)
言語マニアにはたまらない資料
標準語を考案した上田万年をご存知ですか。それまで公儀隠密などはとても苦労したそうです。上田万年のドラマがあった記憶が有ります。
いまもこんな喋りの年寄りいますが頷くしかできません、、、
生粋のかごんまべんには敵わない