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82年、東京に行った時に、この坂を上って、国分寺の球場まで歩いた。石垣の丸石に「君の口に似てる」という落書きがあった。大好きだったよ、清志郎。
今日たまらん坂に行ったんですけど、雪国で聴いていた自分はかなり重いバラードだと思ってたけど、こんな朗らかな、全部どうにかなりそうな街で生きてたんだなって感じました。そんな中生み出されたたまらん坂は、今はちょっと牧歌的に聴こえてきます。
かたやロックンローラー。かたやシャイな詩人。日本人はたしかにあなたに夢中でした。
中学生の頃からずっと聴いてた清志郎がいなくなって気がつけばもうこんなに時が経ったんだな。俺は今年、清志郎の歳を超えたよ。5年前に清志郎と同じ病気に罹患して余命宣告されたんだけど何とかかんとか今も頑張ってるよ。また辛くなったら見にくる。じゃあね。
オレは今も聞いている。清志郎いつもありがとうございます。
この曲で歌われている多摩蘭坂を登り切る手前の坂の途中の家のあった場所にはマンションが建っているそうですが、せめて歌碑くらい建ててあげてもいいんじゃないかなって思います
確かに多摩蘭坂からちょっと入った細い道の小綺麗なマンションになってました🎶住んでる方は、昔清志郎がここに住んでたなどとはご存知ないでしょう。辺りはすっかり変わってしまったのでしょうけど、「多摩蘭坂」の道標だけは変わらず時の移ろいを観てくれてます🎶
反骨のロッカーには歌碑なんて不要さ👶
多摩蘭坂を上ったちょっと先に家を買い、住んでいます。この清志郎が立ってる場所もよくわかります。歌詞の通りのまさに、多摩蘭坂を登り切る手前の坂の途中のあたりですね。今はずいぶん景色も変わっているけれど。この歌を聞くたび、大好きな清志郎を身近に感じます。
すみません、お尋ねします。多摩欄坂は、ジェイソンのある緩やかな坂のことですか?それとも歌碑のある短い急な坂の方のことを言うのでしょうか?未だにはっきりせずモヤモヤしています、、、。
清志郎の歌声を聞いてると自然と涙が溢れてくる。すごく優しい落ち着く声だ。
中学の頃、恋焦がれる人のことを想いながらこの歌を口ずさんでいました。大学進学で上京し初めて国立へ行ったとき、ここが多摩蘭坂の舞台なんだと感慨深く思ったことを記憶しています。政治色が強くなってから少しずつ離れてしまいましたが今でもあなたの歌声を聴くと心が締め付けられます。多くの感動をありがとう。そしてご冥福をお祈りいたします。
この動画急に見たくなります。清志郎が亡くなってずいぶん経つし、自分も歳を取ったけど、いつまでも私の中で清志郎は色褪せない存在だなーってしみじみ思います。
近くに住んでた元カノはまだこの近くに住んでるらしい素晴らしい曲だ
こんなに魅力的な人はいないよ😢
身一つとギター一本だけで人を感動させられるってすごいな
93年の夏の終わり、多摩蘭坂に行き、石垣にある清志郎へのメッセージの落書きを背景に、写真撮影したのが懐かしい思い出です。
令和3年5月2日やっと多摩蘭坂行けました。清志郎安らかに。
優しさと可愛さとかっこいいが混在していて、才能とセンスの塊が信じられないくらいある唯一無二の存在。この曲は小説だと思う。
何時も思うけれど、歌声もそうだけれどソロの時のギターがたまらなく無骨だけれど繊細で好きなんです。伝わる人いるかな〜
清志郎くらい、リズムが立ったギターを弾くミュージシャンはいませんね。清志郎のサイドギターは目立ちますからねw泉谷だったかな、清志郎はギターソロを弾かせても抜群のセンスがあるって言っていたのは。
何度見ても泣けるなぁいま生きててくれよなー
中1の冬はじめてこの曲で清志郎を知り、彼のいつも泣いているような声に心を奪われてからずっと彼の虜ですもうすぐ私も清志郎が天国に行ってしまった時の年齢に近づいてるけど心はあの時の中学生のまま。
この曲を初めて聞いたのが高校生の時。今は娘が大学生。時代は移っても心の中で色褪せない名曲です。キヨシローに感謝!ついでにあの頃の俺にも!
ガンバレ!パパ!
この声とともに、ちょっとした目線とか表情にも清志郎の優しい人柄を感じます。カヴァーズ、タイマーズとかでの「怒」の面も併せ持ってるが故の本当の慈愛を感じてしまうのは僕だけではないですよね
怒と穏 明と暗 誰しも併せ持つ要素を見事にエンタメに仕上げた アーティスト ミュージシャンと言う語彙を嫌いバンドマンと発した謙虚さ現在の糞みたいなミュージシャン気取りの連中には爪の垢を煎じて飲ませたいぜ!
唯一無二の存在です。やっぱり清志郎さんがいないと寂しい。
たとえどんなに様子が変わったとしてもここには清志郎の魂が生きている。そしてRCを愛するみんなの心がたどり着く場所であるに違いない。愛しています。(私は霊能者ではないですケド。宗教信仰者でもないですケド。)
一万回くらいオイラが観てるような気がする。🤔 今はもうない多摩蘭坂の石垣にみんな落書きしてた。あの落書きを見ると、なんとなくホッとした。たまらん坂が正式に多摩蘭坂という名称になった時、涙が出るほど嬉しかった。国立駅に降りて、坂を上がって、また下っての繰り返し。ずっと続いてる。
ええ!今はあの石垣無いんですか…。まさに落書きをした内の一人です。心のフィルムにあの石垣を焼き付けよう。こんな素敵な動画を観れたことだし。
@@Nakamura-Denden ないんですよ〜 寂しいですね。
@@easy1984rider 返信ありがとうございます!清志郎の命日の翌日に返信いただきなんだか嬉しいです。
今日は清志郎の命日。今日も私は多摩蘭坂を聴いて一緒に歌って泣いてしまう。
ミュージシャンの夢は諦めてしまいましたが、今でも清志郎に憧れて、ステージではマイクを左手に持っています。あと少し早く生まれて生で観てみたかったなあ。
TH-cam越しに拝見したいなあ、なんて言ってみます。笑イチ清志郎ファンの高校生より。
@@まちごろう わあご返信ありがとうございます!僕もRCを初めて聞いたのは高一の時でした!お恥ずかしながら今はこんなことをしています...th-cam.com/video/DB_RHK2Z5cI/w-d-xo.htmlもしよろしければ^ ^
動画見ました!!!めちゃくちゃ面白かったです!!笑笑
@@user-og1si1pd7f わーーーーーーーありがとうございます!!!!とても嬉しいです。これからも頑張ります!!!!!
清志郎が旅立ってから随分経つけど、何か大きな事が起こるたびに思うのは「この事を清志郎はどう歌うだろう?」そればかり。あれから信じられないような事件が一杯、一杯あったんだよ清志郎。まだまだ貴方の詩を聞きたかった。
今見ても、涙出てくる。やっぱりいいね、清志郎は。
大学に受かって、上京して、今は「多摩蘭坂を登りきる手前の坂の途中の家を借りて住んでる。」
国立と国分寺は立川に住んでた時いつも遊び行ってました。多摩地区は熱いすよね。今でも大好き。清志郎さんも、もちろん大好き。たまらんすよね。
なんかいまだにこの人が死んだことを信じられないんだよね
清志郎さんの生歌聴けなかったけど、もう7、8年前かもですが、多摩蘭坂いったよー、清志郎さん。国立も。シブい喫茶店があったなー。動画ありがとうございます。
優しい歌声グッと来る
この声がこの困難な時期にこそ聴きたいよ、清志郎。生きていたら明るい声で冗談言いながら皆んなを励ましてくれるんだろうな。。
こんなライブがあるなら朝から晩まで聞き続けます。
とにかく涙が止まんない。さよならもありがとうも、まだいえない。
‘81年武道館の多摩蘭坂もいいけど、こっちもまた格別。ギター1本弾き語りの清志郎も大好き。
27年前高校生んときに8ミリビデオ持ってたまらん坂行きました まだ石垣もありました いまだ清志が死んだの信じられないです
涙、涙、涙、何故か涙が・・あふれる涙がたまらないっすありがとうって感じです
とっても!とっても!貴重な、動画をありがとうございました!実在したんだって、ずっと見ていたい!
歌詞、素敵ですね。やなせたかし記念館に行き、2009年秋号・詩とファンタジーに記載されている歌詞とイラストを見て来ました。この様な詩集にも採用されている事が、嬉しいです。
名曲すぎるは
ほんとにいい曲
すごいパフォーマンスだ・・・
Hello! Nice upload! It's greatmusic video! Nice playing! |really like it! Very interesting!Thank you for sharing!
すげえ曲だな
でしょ!
@@RS80R はい、言葉に言い表せない曲とメッセージです
🎸弾きながらこう歌えたら。自分が♂️ならこうなりたいオジサン。私が最も出会いたいオジサン。
訃報を知った時、この曲が無性に聴きたくなってこの動画に辿りつきました。素晴らしい音楽を数多く聞かせてくれて本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。
アレンジも音も曲も歌もいいし、個性的なのがいいですね!!ほんと才能あるんですね!!!
大阪の万博公園にある国立民族学博物館に、この動画を永久保存してください。
心が震える…
自転車の二人のご婦人の会話、「どうする、見てく?」「見てこう。見てこう。」
素晴らしかったです。ありがとうございました。また、現場に行ってみます。
しんみりするけど本当にいい歌ですね。今は残念の一言しかないです
芸術的なメロディー…キヨシくんてやっぱりアーティストなんだなあ。
だめだ泣く・・
大好きだった。素晴らしい音楽をありがとう。
毎日この坂通っています。キヨシさん、ありがとう。
5/2はたまらん坂→ロージナ茶房のコンボがここ数年のルーティンになっちゃった清志郎さんの歌もっと聴きたかったよ
え!? え!?こんな映像があったんですか?!!!!!涙止まりません…多摩蘭坂も最高の名曲、後はシングルマンの曲たち、ヒッピーに捧ぐ、甲州街道はもう秋なのさ…音源が消えないで欲しい…
いい曲だ、詩もいい この人でしか歌えない歌だ
「わあ〜」
こんなに素晴らしくて切なくて素敵な曲だって気づくまで40年以上かかってしまって😮10代の頃はビートポップスがスゲーって😂思っててだけど大人になってどれもスゲーって‼️清志郎好きでよかったって😊
「ワ〜」だって😀むかしむかし日仏会館でRC見ました
多摩蘭坂の石垣、いきました😭😭😭
清志郎はやっぱり魅力的すぎだ。綺麗で優しい目だ。チャーミングで悪ふざけもできて、多面的で惹かれてしまう。心の中に自然にはいるこんでくる。もうこんな人は現れない。文学者でミュージシャン。繊細で不条理にな体制には攻撃を食らわせる。夢が叶うなら帰って来てほしい。愛してます清志郎。
また泣かされた。限りなく優しい人、
He always stands and sings for me!! Thanks, Kiyoshiro!!!
清志郎のインパクトと人の優しさが出てる曲が聴きたいぜ
この石垣が残ってるのがねいいよねこの坂の下の場所はお婆ちゃんが毎日掃除してくれてますありがたいよね
BLUEの曲アルバム以外で聞いたのはじめてだわ。
清志郎さん大好きです。
泣く良い曲最高!
割と地元から近い所なので今でも通る度にこの曲を思い出します。学生の頃、国立へ行くと清志郎さんも通っていたロージナ茶房でお茶をして、今は亡き国立楽器でレコードを見て、買わずに帰るっていう事をしていた。あの並木通りは今でも変わらない。
年月を経て多摩蘭坂で白昼これを歌う清志郎の心境はどんなものだろう?RCの曲の中でも特に鬼気迫るもの(絶望?)を感じさせるこの歌。映像ではサラリと歌っているが・・僕らは未だにいつも,ふと悲しくなった時,酒を飲み進めていって,ウォークマンでこの曲をリピートして吉祥寺駅で泣きながらゲロを吐いている。
吉祥寺あたりで、すっかり、酔いも、醒めちまったのかな…
名曲だなぁ
なんて、やさしい目をしているんだろう。。あったかいな~
この場にいたかった!
79年ごろから(ライブでバラードが その後エンジェルに変わるまで)、皆 多摩坂 聞きたくてライブに行ったんだった!本当に会場中がライブで聴きたくて、皆待っていたバラードで!学園祭、80'4/5日久保講堂、横浜教育会館、野音、武道館、みんなで一緒に歌って!
EIGHTJAMで特集やったから会いにきちゃったよ。やっぱりあなたは最高のロックン・ローラーで最高の詩人だ。
今生きてきたら清志郎はこんな世界をどんな感じに歌うのかな?
思春期の頃によく聴いた曲です^^ アルバムBLUEでしたか・・。違っていたらすみません^^;やさしくて包み込むようなとても不思議な感覚になりますね。清志郎さんの声は^^ ステキです。
キヨシロー、必ず帰ってコイよ!!
なんなんだ!この画像はどこから?すごい。っす。20年前に上京したとき多摩蘭坂探して行ったな~。
Such a nice song. I love it.
忘れそうになっていたことを、思い出させてくれた。あなたがこの世にいないなんて、ひどいよ。
結局ここへ戻ってくるヨ…
泣かせる。。
清志郎お誕生日おめでとうございます♪大好きです♡この歌も、清志郎も♡
ありがとう清志郎
rest in place ,forever
美大生時代、多摩蘭坂の近くのモルタルアパートに住んでいた。彼女を送ってサルビアの咲く道を歩いて多摩蘭坂を横切った。蜃気楼の様な思い出だ。
無口になったぼくは、ふさわしく暮らしてる
@rcsash このギターは SANTA CRUZ社のD-790というモデルだと思われます。非常に高価なギターです。
Such a true voice. Respect.
いつかあった【本当に好きな事には真剣になっていいんだよ】って言葉を大切にしています。
収集車のところが清志郎がこの映像で歌っている場所になるかと思います。現在はこの石垣も無くなりマンションになっているようです。
この曲聴きながら泣いています天国でもロックンローラーでいてくださいご冥福をお祈りいたします
雨が止んだら、自転車で行ってみようと思います。何気に良く通過してました。
奇跡のvoice誰もマネできないや…
82年、東京に行った時に、この坂を上って、国分寺の球場まで歩いた。石垣の丸石に「君の口に似てる」という落書きがあった。大好きだったよ、清志郎。
今日たまらん坂に行ったんですけど、
雪国で聴いていた自分はかなり重いバラードだと思ってたけど、こんな朗らかな、全部どうにかなりそうな街で生きてたんだなって感じました。そんな中生み出されたたまらん坂は、今はちょっと牧歌的に聴こえてきます。
かたやロックンローラー。
かたやシャイな詩人。
日本人はたしかにあなたに夢中でした。
中学生の頃からずっと聴いてた
清志郎がいなくなって
気がつけばもうこんなに時が経ったんだな。
俺は今年、清志郎の歳を超えたよ。
5年前に清志郎と同じ病気に罹患して
余命宣告されたんだけど
何とかかんとか今も頑張ってるよ。
また辛くなったら見にくる。じゃあね。
オレは今も聞いている。清志郎いつもありがとうございます。
この曲で歌われている多摩蘭坂を登り切る手前の坂の途中の家のあった場所にはマンションが建っているそうですが、
せめて歌碑くらい建ててあげてもいいんじゃないかなって思います
確かに多摩蘭坂からちょっと入った細い道の小綺麗なマンションになってました🎶住んでる方は、昔清志郎がここに住んでたなどとはご存知ないでしょう。辺りはすっかり変わってしまったのでしょうけど、「多摩蘭坂」の道標だけは変わらず時の移ろいを観てくれてます🎶
反骨のロッカーには歌碑なんて不要さ👶
多摩蘭坂を上ったちょっと先に家を買い、住んでいます。
この清志郎が立ってる場所もよくわかります。
歌詞の通りのまさに、多摩蘭坂を登り切る手前の坂の途中のあたりですね。今はずいぶん景色も変わっているけれど。
この歌を聞くたび、大好きな清志郎を身近に感じます。
すみません、お尋ねします。
多摩欄坂は、ジェイソンのある緩やかな坂のことですか?それとも歌碑のある短い急な坂の方のことを言うのでしょうか?
未だにはっきりせずモヤモヤしています、、、。
清志郎の歌声を聞いてると自然と涙が溢れてくる。すごく優しい落ち着く声だ。
中学の頃、恋焦がれる人のことを想いながらこの歌を口ずさんでいました。
大学進学で上京し初めて国立へ行ったとき、ここが多摩蘭坂の舞台なんだと感慨深く思ったことを記憶しています。
政治色が強くなってから少しずつ離れてしまいましたが今でもあなたの歌声を聴くと心が締め付けられます。
多くの感動をありがとう。そしてご冥福をお祈りいたします。
この動画急に見たくなります。
清志郎が亡くなってずいぶん経つし、自分も歳を取ったけど、いつまでも私の中で清志郎は色褪せない存在だなーってしみじみ思います。
近くに住んでた
元カノはまだこの近くに住んでるらしい
素晴らしい曲だ
こんなに魅力的な人はいないよ😢
身一つとギター一本だけで人を感動させられるってすごいな
93年の夏の終わり、多摩蘭坂に行き、石垣にある清志郎へのメッセージの落書きを背景に、写真撮影したのが懐かしい思い出です。
令和3年5月2日
やっと多摩蘭坂行けました。
清志郎安らかに。
優しさと可愛さとかっこいいが混在していて、才能とセンスの塊が信じられないくらいある唯一無二の存在。
この曲は小説だと思う。
何時も思うけれど、歌声もそうだけれどソロの時のギターがたまらなく無骨だけれど繊細で好きなんです。伝わる人いるかな〜
清志郎くらい、リズムが立ったギターを弾くミュージシャンはいませんね。
清志郎のサイドギターは目立ちますからねw
泉谷だったかな、清志郎はギターソロを弾かせても抜群のセンスがあるって言っていたのは。
何度見ても泣けるなぁ
いま生きててくれよなー
中1の冬はじめてこの曲で清志郎を知り、彼のいつも泣いているような声に心を奪われてからずっと彼の虜です
もうすぐ私も清志郎が天国に行ってしまった時の年齢に近づいてるけど心はあの時の中学生のまま。
この曲を初めて聞いたのが高校生の時。今は娘が大学生。
時代は移っても心の中で色褪せない名曲です。
キヨシローに感謝!ついでにあの頃の俺にも!
ガンバレ!パパ!
この声とともに、ちょっとした目線とか表情にも清志郎の優しい人柄を感じます。
カヴァーズ、タイマーズとかでの「怒」の面も併せ持ってるが故の本当の慈愛を感じてしまうのは僕だけではないですよね
怒と穏 明と暗 誰しも併せ持つ要素を見事にエンタメに仕上げた アーティスト ミュージシャンと言う語彙を嫌いバンドマンと発した謙虚さ
現在の糞みたいなミュージシャン気取りの連中には爪の垢を煎じて飲ませたいぜ!
唯一無二の存在です。やっぱり清志郎さんがいないと寂しい。
たとえどんなに様子が変わったとしてもここには清志郎の魂が生きている。
そしてRCを愛するみんなの心がたどり着く場所であるに違いない。
愛しています。
(私は霊能者ではないですケド。宗教信仰者でもないですケド。)
一万回くらいオイラが観てるような気がする。🤔 今はもうない多摩蘭坂の石垣にみんな落書きしてた。あの落書きを見ると、なんとなくホッとした。たまらん坂が正式に多摩蘭坂という名称になった時、涙が出るほど嬉しかった。国立駅に降りて、坂を上がって、また下っての繰り返し。ずっと続いてる。
ええ!今はあの石垣無いんですか…。まさに落書きをした内の一人です。
心のフィルムにあの石垣を焼き付けよう。こんな素敵な動画を観れたことだし。
@@Nakamura-Denden ないんですよ〜 寂しいですね。
@@easy1984rider 返信ありがとうございます!清志郎の命日の翌日に返信いただきなんだか嬉しいです。
今日は清志郎の命日。
今日も私は多摩蘭坂を聴いて一緒に歌って泣いてしまう。
ミュージシャンの夢は諦めてしまいましたが、今でも清志郎に憧れて、ステージではマイクを左手に持っています。あと少し早く生まれて生で観てみたかったなあ。
TH-cam越しに拝見したいなあ、なんて言ってみます。笑
イチ清志郎ファンの高校生より。
@@まちごろう わあご返信ありがとうございます!僕もRCを初めて聞いたのは高一の時でした!お恥ずかしながら今はこんなことをしています...
th-cam.com/video/DB_RHK2Z5cI/w-d-xo.html
もしよろしければ^ ^
動画見ました!!!めちゃくちゃ面白かったです!!笑笑
@@user-og1si1pd7f わーーーーーーーありがとうございます!!!!とても嬉しいです。これからも頑張ります!!!!!
清志郎が旅立ってから随分経つけど、何か大きな事が起こるたびに思うのは
「この事を清志郎はどう歌うだろう?」そればかり。あれから信じられないような事件が
一杯、一杯あったんだよ清志郎。まだまだ貴方の詩を聞きたかった。
今見ても、涙出てくる。
やっぱりいいね、清志郎は。
大学に受かって、上京して、今は「多摩蘭坂を登りきる手前の坂の途中の家を借りて住んでる。」
国立と国分寺は立川に住んでた時いつも遊び行ってました。
多摩地区は熱いすよね。今でも大好き。清志郎さんも、もちろん大好き。
たまらんすよね。
なんかいまだに
この人が死んだことを信じられないんだよね
清志郎さんの生歌聴けなかったけど、もう7、8年前かもですが、多摩蘭坂いったよー、清志郎さん。国立も。シブい喫茶店があったなー。
動画ありがとうございます。
優しい歌声
グッと来る
この声がこの困難な時期にこそ聴きたいよ、清志郎。
生きていたら明るい声で冗談言いながら皆んなを励ましてくれるんだろうな。。
こんなライブがあるなら朝から晩まで聞き続けます。
とにかく涙が止まんない。
さよならもありがとうも、まだ
いえない。
‘81年武道館の多摩蘭坂もいいけど、こっちもまた格別。
ギター1本弾き語りの清志郎も大好き。
27年前高校生んときに8ミリビデオ持ってたまらん坂行きました まだ石垣もありました いまだ清志が死んだの信じられないです
涙、涙、涙、何故か涙が・・あふれる涙が
たまらないっす
ありがとうって感じです
とっても!とっても!貴重な、動画をありがとうございました!
実在したんだって、ずっと見ていたい!
歌詞、素敵ですね。やなせたかし記念館に行き、2009年秋号・詩とファンタジーに記載されている歌詞とイラストを見て来ました。この様な詩集にも採用されている事が、嬉しいです。
名曲すぎるは
ほんとにいい曲
すごいパフォーマンスだ・・・
Hello! Nice upload! It's great
music video! Nice playing! |
really like it! Very interesting!
Thank you for sharing!
すげえ曲だな
でしょ!
@@RS80R はい、言葉に言い表せない曲とメッセージです
🎸弾きながらこう歌えたら。自分が♂️ならこうなりたいオジサン。私が最も出会いたいオジサン。
訃報を知った時、この曲が無性に聴きたくなって
この動画に辿りつきました。
素晴らしい音楽を数多く聞かせてくれて
本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りします。
アレンジも音も曲も歌もいいし、個性的なのがいいですね!!ほんと才能あるんですね!!!
大阪の万博公園にある国立民族学博物館に、
この動画を永久保存してください。
心が震える…
自転車の二人のご婦人の会話、「どうする、見てく?」「見てこう。見てこう。」
素晴らしかったです。ありがとうございました。また、現場に行ってみます。
しんみりするけど本当にいい歌ですね。
今は残念の一言しかないです
芸術的なメロディー…キヨシくんてやっぱりアーティストなんだなあ。
だめだ
泣く・・
大好きだった。
素晴らしい音楽をありがとう。
毎日この坂通っています。キヨシさん、ありがとう。
5/2はたまらん坂→ロージナ茶房のコンボがここ数年のルーティンになっちゃった
清志郎さんの歌もっと聴きたかったよ
え!? え!?
こんな映像があったんですか?!!!!!
涙止まりません…
多摩蘭坂も最高の名曲、後はシングルマンの曲たち、
ヒッピーに捧ぐ、甲州街道はもう秋なのさ…
音源が消えないで欲しい…
いい曲だ、詩もいい この人でしか歌えない歌だ
「わあ〜」
こんなに素晴らしくて切なくて素敵な曲だって
気づくまで40年以上かかってしまって😮
10代の頃はビートポップスがスゲーって😂思ってて
だけど大人になってどれもスゲーって‼️
清志郎好きでよかったって😊
「ワ〜」だって😀
むかしむかし日仏会館でRC見ました
多摩蘭坂の石垣、いきました😭😭😭
清志郎はやっぱり魅力的すぎだ。綺麗で優しい目だ。チャーミングで悪ふざけもできて、
多面的で惹かれてしまう。心の中に自然にはいるこんでくる。もうこんな人は現れない。
文学者でミュージシャン。繊細で不条理にな体制には攻撃を食らわせる。
夢が叶うなら帰って来てほしい。愛してます清志郎。
また泣かされた。限りなく優しい人、
He always stands and sings for me!! Thanks, Kiyoshiro!!!
清志郎のインパクトと人の優しさが出てる曲が聴きたいぜ
この石垣が残ってるのがねいいよね
この坂の下の場所はお婆ちゃんが毎日掃除してくれてます
ありがたいよね
BLUEの曲アルバム以外で聞いたのはじめてだわ。
清志郎さん大好きです。
泣く良い曲最高!
割と地元から近い所なので今でも通る度にこの曲を思い出します。
学生の頃、国立へ行くと清志郎さんも通っていたロージナ茶房でお茶をして、
今は亡き国立楽器でレコードを見て、買わずに帰るっていう事をしていた。
あの並木通りは今でも変わらない。
年月を経て多摩蘭坂で白昼これを歌う清志郎の心境はどんなものだろう?RCの曲の中でも特に鬼気迫るもの(絶望?)を感じさせるこの歌。映像ではサラリと歌っているが・・僕らは未だにいつも,ふと悲しくなった時,酒を飲み進めていって,ウォークマンでこの曲をリピートして吉祥寺駅で泣きながらゲロを吐いている。
吉祥寺あたりで、すっかり、酔いも、醒めちまったのかな…
名曲だなぁ
なんて、やさしい目をしているんだろう。。
あったかいな~
この場にいたかった!
79年ごろから(ライブでバラードが その後エンジェルに変わるまで)、
皆 多摩坂 聞きたくてライブに行ったんだった!本当に会場中がライブで聴きたくて、皆待っていたバラードで!学園祭、80'4/5日久保講堂、横浜教育会館、野音、武道館、みんなで一緒に歌って!
EIGHTJAMで特集やったから会いにきちゃったよ。
やっぱりあなたは最高のロックン・ローラーで最高の詩人だ。
今生きてきたら清志郎はこんな世界をどんな感じに歌うのかな?
思春期の頃によく聴いた曲です^^ アルバムBLUEでしたか・・。違っていたらすみません^^;
やさしくて包み込むようなとても不思議な感覚になりますね。清志郎さんの声は^^ ステキです。
キヨシロー、必ず帰ってコイよ!!
なんなんだ!この画像はどこから?
すごい。っす。
20年前に上京したとき多摩蘭坂探して行ったな~。
Such a nice song. I love it.
忘れそうになっていたことを、思い出させてくれた。
あなたがこの世にいないなんて、ひどいよ。
結局
ここへ戻ってくるヨ…
泣かせる。。
清志郎お誕生日おめでとうございます♪大好きです♡この歌も、清志郎も♡
ありがとう清志郎
rest in place ,forever
美大生時代、多摩蘭坂の近くのモルタルアパートに住んでいた。彼女を送ってサルビアの咲く道を歩いて多摩蘭坂を横切った。蜃気楼の様な思い出だ。
無口になったぼくは、ふさわしく暮らしてる
@rcsash
このギターは SANTA CRUZ社のD-790
というモデルだと思われます。
非常に高価なギターです。
Such a true voice. Respect.
いつかあった【本当に好きな事には真剣になっていいんだよ】って言葉を大切にしています。
収集車のところが清志郎がこの映像で歌っている場所になるかと思います。現在はこの石垣も無くなりマンションになっているようです。
この曲聴きながら泣いています
天国でもロックンローラーでいてください
ご冥福をお祈りいたします
雨が止んだら、自転車で行ってみようと思います。
何気に良く通過してました。
奇跡のvoice
誰もマネできないや…