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Ted Hidaka - Voice Narrations and Readings | 日髙徹郎
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 21 มี.ค. 2007
Tetsuro Hidaka(日髙徹郎)=Ted Hidakaです。
TH-camチャンネル開設は2007年3月。
投稿デビューは2009年の正月、デジカメでビデオスケッチを始めたのがきっかけでした。
2011年からはビデオカメラも加えました。
この年から自分の朗読音声をアップするようになり、古今の文学作品、
夏目漱石(Natsume Soseki)の草枕(Kusamakura)などの朗読投稿がメインとなっています。
国語のお勉強でも随分多くの学生さんがお見えになっておりますので、ちゃんとお応えできるよう頑張ります。
今後は朗読だけではなく趣味の謡曲も加えて行きたいと思います。
これからの自分にとって、カメラとマイクが一体化したスマートフォンは、有力な投稿ツールとなってきます。
スマートフォンの音質や画質や機能が飛躍的に向上している昨今ですから、
表情や息づかいなど細かいところにも気を配らなければなりませんね。
心地よく、楽しく、時にしみじみとお聴きいただけますよう、より丁寧に声の表現に磨きをかけていきたいと考えます。
動画や音声はみなさまの貴重なお時間を頂戴するものですから。
また、デビュー当初に始めたビデオスケッチや、子供の頃に親しんだハーモニカ、早朝散歩なども交えて、
楽しく無理なく続けたいと思います。
2022年10月、78歳の秋
#朗読
#日髙徹郎
#読みがたり
#文学作品
TH-camチャンネル開設は2007年3月。
投稿デビューは2009年の正月、デジカメでビデオスケッチを始めたのがきっかけでした。
2011年からはビデオカメラも加えました。
この年から自分の朗読音声をアップするようになり、古今の文学作品、
夏目漱石(Natsume Soseki)の草枕(Kusamakura)などの朗読投稿がメインとなっています。
国語のお勉強でも随分多くの学生さんがお見えになっておりますので、ちゃんとお応えできるよう頑張ります。
今後は朗読だけではなく趣味の謡曲も加えて行きたいと思います。
これからの自分にとって、カメラとマイクが一体化したスマートフォンは、有力な投稿ツールとなってきます。
スマートフォンの音質や画質や機能が飛躍的に向上している昨今ですから、
表情や息づかいなど細かいところにも気を配らなければなりませんね。
心地よく、楽しく、時にしみじみとお聴きいただけますよう、より丁寧に声の表現に磨きをかけていきたいと考えます。
動画や音声はみなさまの貴重なお時間を頂戴するものですから。
また、デビュー当初に始めたビデオスケッチや、子供の頃に親しんだハーモニカ、早朝散歩なども交えて、
楽しく無理なく続けたいと思います。
2022年10月、78歳の秋
#朗読
#日髙徹郎
#読みがたり
#文学作品
源氏物語朗読「桐壷」第十六段(完)
元服後の源氏はもう藤壺の御殿の御簾(みす)の中へは入れていただけなかった。琴や笛の音(ね)の中にその方がお弾(ひ)きになる物の声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって宮中の宿直(とのい)ばかりが好きだった。五、六日御所にいて、二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催したり、一所懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壺を源氏の宿直所にお与えになって、御息所(みやすどころ)に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。更衣の家のほうは修理(しゅり)の役所、内匠寮(たくみりょう)などへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。もとから築山(つきやま)のあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って始終歎息(たんそく)をしていた。
光(ひかる)の君という名は前に鴻臚館(こうろかん)へ来た高麗人(こまうど)が、源氏の美貌(びぼう)と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。
朗読:日髙徹郎 Ted Hidaka
#紫式部 #源氏物語 #桐壺 #与謝野晶子 #光る君へ #朗読
光(ひかる)の君という名は前に鴻臚館(こうろかん)へ来た高麗人(こまうど)が、源氏の美貌(びぼう)と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。
朗読:日髙徹郎 Ted Hidaka
#紫式部 #源氏物語 #桐壺 #与謝野晶子 #光る君へ #朗読
มุมมอง: 18
วีดีโอ
源氏物語朗読「桐壷」第十五段
มุมมอง 262 ชั่วโมงที่ผ่านมา
その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされたのである。高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったから、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の御同胞であったから、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の御愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢力は比較にならぬほど気押(けお)されていた。左大臣は何人かの妻妾(さいしょう)から生まれた子供を幾人も持っていた。内親王腹のは今蔵人(くろうど)少将であって年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに劣らず右大臣から大事な婿君として...
源氏物語朗読「桐壷」第十四段
มุมมอง 342 ชั่วโมงที่ผ่านมา
源氏の君の美しい童形(どうぎょう)をいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二の歳(とし)に元服をおさせになることになった。その式の準備も何も帝御自身でお指図(さしず)になった。前に東宮の御元服の式を紫宸殿(ししんでん)であげられた時の派手(はで)やかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴(きょうえん)の仕度(したく)を内蔵寮(くらりょう)、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。 清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子(いす)がすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろう...
源氏物語朗読「桐壷」第十三段
มุมมอง 257 ชั่วโมงที่ผ่านมา
源氏の君――まだ源姓にはなっておられない皇子であるが、やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く。――はいつも帝のおそばをお離れしないのであるから、自然どの女御の御殿へも従って行く。帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壺(ふじつぼ)であって、お供して源氏のしばしば行く御殿は藤壺である。宮もお馴(な)れになって隠れてばかりはおいでにならなかった。どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないのであるから、皆それぞれの美を備えた人たちであったが、もう皆だいぶ年がいっていた。その中へ若いお美しい藤壺の宮が出現されてその方は非常に恥ずかしがってなるべく顔を見せぬようにとなすっても、自然に源氏の君が見ることになる場合もあった。母の更衣は面影も覚えていないが、よく似ておいでになると典侍が言ったので、子供心に母に似た人として恋しく、いつも藤壺へ行きたくなって、あの方と親しくなりたいという望...
源氏物語朗読「桐壷」第十二段
มุมมอง 1207 ชั่วโมงที่ผ่านมา
年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみをお忘れになることができなかった。慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを後宮へ召されることもあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望をお味わいになっただけである。そうしたころ、先帝――帝(みかど)の従兄(いとこ)あるいは叔父君(おじぎみ)――の第四の内親王でお美しいことをだれも言う方で、母君のお后(きさき)が大事にしておいでになる方のことを、帝のおそばに奉仕している典侍(ないしのすけ)は先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、帝へお話しした。 「お亡(かく)れになりました御息所(みやすどころ)の御容貌(ようぼう)に似た方を、三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、后の宮様の内...
源氏物語朗読「桐壷」第十一段
มุมมอง 309 ชั่วโมงที่ผ่านมา
その時分に高麗人(こまうど)が来朝した中に、上手(じょうず)な人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院のお誡(いまし)めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁(うだいべん)の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館(こうろかん)へおやりになった。 相人は不審そうに頭(こうべ)をたびたび傾けた。 「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」 と言った。弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人はもう日本の旅が終わろうとする期(ご)に臨んで珍しい高貴の相を持つ人に逢(あ)ったことは、今さら...
源氏物語朗読「桐壷」第十段
มุมมอง 399 ชั่วโมงที่ผ่านมา
それから若宮はもう宮中にばかりおいでになることになった。七歳の時に書初(ふみはじ)めの式が行なわれて学問をお始めになったが、皇子の類のない聡明(そうめい)さに帝はお驚きになることが多かった。 「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという点だけででもかわいがっておやりなさい」 と帝はお言いになって、弘徽殿へ昼間おいでになる時もいっしょにおつれになったりしてそのまま御簾(みす)の中にまでもお入れになった。どんな強さ一方の武士だっても仇敵(きゅうてき)だってもこの人を見ては笑(え)みが自然にわくであろうと思われる美しい少童(しょうどう)でおありになったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫宮をお二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子のほうがおきれいであった。姫宮がたもお隠れにならないで賢い遊び相手としてお扱いになった。学問はもとより...
源氏物語朗読「桐壷」第九段
มุมมอง 16612 ชั่วโมงที่ผ่านมา
幾月かののちに第二の皇子が宮中へおはいりになった。ごくお小さい時ですらこの世のものとはお見えにならぬ御美貌の備わった方であったが、今はまたいっそう輝くほどのものに見えた。その翌年立太子のことがあった。帝の思召(おぼしめ)しは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、まただれもが肯定しないことであるのを悟っておいでになって、かえってその地位は若宮の前途を危険にするものであるとお思いになって、御心中をだれにもお洩(も)らしにならなかった。東宮におなりになったのは第一親王である。この結果を見て、あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間も言い、弘徽殿(こきでん)の女御(にょご)も安心した。その時から宮の外祖母の未亡人は落胆して更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないと言って一心に御仏(みほとけ)の来迎(らいごう)を求めて、とうとう亡(な)くなった。帝はまた若宮が...
源氏物語朗読「桐壷」第八段
มุมมอง 4212 ชั่วโมงที่ผ่านมา
御所へ帰った命婦は、まだ宵(よい)のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃(ようきひ)の恋を題材にした白楽天の長恨歌(ちょうごんか)を、亭子院(ていしいん)が絵にあそばして、伊勢(いせ)や貫之(つらゆき)に歌をお詠(よ)ませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那(しな)のでも、愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言(だいなごん)家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。 もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。こうした仰せ...
源氏物語朗読「桐壷」第七段
มุมมอง 8212 ชั่วโมงที่ผ่านมา
野分(のわき)ふうに風が出て肌寒(はださむ)の覚えられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人がお思われになって、靫負(ゆげい)の命婦(みょうぶ)という人を使いとしてお出しになった。夕月夜の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前にこうした月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せた。またそんな夜に詠(よ)む歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。 命婦は故大納言(だいなごん)家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那(せつな)からもう言いようのない寂しさが味わわれた。未亡人の家であるが、一人娘のために住居(すまい)の外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのであるが、子を失った女主人(お...
源氏物語朗読「桐壷」第五・六段
มุมมอง 5916 ชั่วโมงที่ผ่านมา
どんなに惜しい人でも遺骸(いがい)は遺骸として扱われねばならぬ、葬儀が行なわれることになって、母の未亡人は遺骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って愛宕(おたぎ)の野にいかめしく設けられた式場へ着いた時の未亡人の心はどんなに悲しかったであろう。 「死んだ人を見ながら、やはり生きている人のように思われてならない私の迷いをさますために行く必要があります」 と賢そうに言っていたが、車から落ちてしまいそうに泣くので、こんなことになるのを恐れていたと女房たちは思った。 宮中からお使いが葬場へ来た。更衣に三位(さんみ)を贈られたのである。勅使がその宣命(せんみょう)を読んだ時ほど未亡人にとって悲しいことはなかった。三位は女御(にょご)に相当する位階である。生きていた日に女御とも言わせなかったことが帝(みかど)には残り多く思召されて贈位...
源氏物語朗読「桐壷」第四段
มุมมอง 6716 ชั่วโมงที่ผ่านมา
その年の夏のことである。御息所(みやすどころ)――皇子女(おうじじょ)の生母になった更衣はこう呼ばれるのである――はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、帝はそれほどお驚きにならずに、 「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」 と言っておいでになるうちにしだいに悪くなって、そうなってからほんの五、六日のうちに病は重体になった。母の未亡人は泣く泣くお暇を願って帰宅させることにした。こんな場合にはまたどんな呪詛(じゅそ)が行なわれるかもしれない、皇子にまで禍(わざわ)いを及ぼしてはとの心づかいから、皇子だけを宮中にとどめて、目だたぬように御息所だけが退出するのであった。この上留めることは不可能であると帝は思召して、更衣が出かけて行くところを見送ることのできぬ御尊貴の御身の物足...
源氏物語朗読「桐壷」第二・三段
มุมมอง 7521 ชั่วโมงที่ผ่านมา
前生(ぜんしょう)の縁が深かったか、またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。寵姫を母とした御子(みこ)を早く御覧になりたい思召(おぼしめ)しから、正規の日数が立つとすぐに更衣母子(おやこ)を宮中へお招きになった。小皇子(しょうおうじ)はいかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、重い外戚(がいせき)が背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌(びぼう)にならぶことがおできにならぬため、それは皇家(おうけ)の長子として大事にあそばされ、これは御自身の愛子(あいし)として非常に大事がっておいでになった。更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった。ただお愛しになるあまりに、その人自身は最高の貴女(きじょ)と言ってよいほどのりっぱな...
源氏物語朗読「桐壷」第一段
มุมมอง 10221 ชั่วโมงที่ผ่านมา
どの天皇様の御代(みよ)であったか、女御(にょご)とか更衣(こうい)とかいわれる後宮(こうきゅう)がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵(あいちょう)を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃(たの)む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬(しっと)の焔(ほのお)を燃やさないわけもなかった。夜の御殿(おとど)の宿直所(とのいどころ)から退(さが)る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜(くちお)しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝(みかど)はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならな...
源氏物語原文朗読「桐壷」第一段
มุมมอง 9021 ชั่วโมงที่ผ่านมา
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより 下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ あかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。 上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼み...
私が山月記を読む時に頭の中で聞こえている声そのものです。
最高です‼️ありがとうございます😊
ありがとうございます
年重ね味わえる名作集、拝聴楽しんでおります🎉🎉有難う御座います。在英50年素晴らしい日本文学に、英訳など可能では無いと思う日本語での繊細な表現事象に日本人で良かったとの思いです❤❤❤
草枕 高野聖 吉野葛 奥の細道 昔の小説はいい 武蔵野もいい
名著を、取り上げて、有難う😉👍️🎶御座います❗️
こういう読み方大好きだ。 時代劇のような、語り部のような古い言葉。 物語の空気を思わせる低い声。 でも気持ちが乗っているから怖いだけとは違う。楽しさがある。 それがたまらなく幸せで、聴けてよかったと思わせてくれる。 ありがたい。
読書が、叶わなく、朗読で、充実感、涙が出ます。感涙😅
I've found this channel for the first time sir and your videos are so calming and soothing keep it up❤👌🇯🇵💪.
山月記、素晴らしい朗読有難うございました。
外郎売の科白、全く知りませんでした。勉強になり有難うございましたま。プロの方はさすがですね。
おはようございます。 朝の散歩は気持ちがいいですね🚶 今日の一歩が人類の一歩になればいいですね。
いい声、滑舌も良くて聴きやすいです。
ありがとう
夏目漱石様の草枕大ファンです。朗読声もわかりやすくとても気持ち良く拝聴しております。今後ともよろしくお願い申し上げ致します。楽しみにしておりますからね。有難う御座いました。🎉🎉🎉😢
いつもありがとうございます🙇
前半後半共に寝る前に聴いています。 心がとても穏やかになります。 ありがとうございます。 『草枕』は漱石の作品で一番好きですが、朗読になると、新たな魅力に気づきます。 これからも少しずつ聴きます。
3:27 その声は我が友、李朝氏ではないか
何度も聞いています。中学生の頃、この作品を知って、すごく印象に残っていて今30歳過ぎですが何度もふと寝る前に聞きます! 何度も同じ事繰り返します。好きなことを繰り返すのは良いことですね。
いつも味わい深い朗読をありがとうございます。 「一つ家に一人寝て観る草に月」ですが芭蕉の奥の細道を踏まえているのでしたら「ひとつや」と読んだ方がよいのではないでしょうか?
その李徴氏は、友が声ではないか
ブルカニロ博士編。マニアックですね。
あー、心と耳が綺麗に掃除して、体はお風呂で洗われた。この馬鹿げた下品な現代、汚らしい情報雑音ばかり、、夏目漱石と宮沢賢治さえあれば、他に言うことなし、、 ありがたい朗読 しかし、明治の方が戦争で今より理不尽な世の中だったかも知れない、、 命さえあれば、情報雑音なんて、うっちゃっておけば良い^_^ 意味ない非人情の令和にこそ、漱石の調べあり
い
アトレってなんですか?
A,rigatou
夏の真昼だった。
日高さん素晴らしい小川未明ありがとうございます。
メロス 走る距離と時間で 速度計算すると 普通に走る速度より かなり遅い速度になると なので 走れメロスじゃなく もっと走れよメロス
一 0:15〜30:40 二 30:40〜
ありがとうございます❤️
15:11
日高さんのお声のファンになって随分と経ちます。広島駅から八丁堀の会社までのマイストリートビュー動画や、「くるくる…」とおっしゃられながらカメラを回して街の風景を撮られていた動画、朝のお散歩風景などなど何度も繰り返し見ては癒されております。もちろん朗読も素晴らしく、お歳を重ねられてさらに深みと味わいが増してこられたような。私のような若輩者が偉そうなことを言いましたが、とにかくこれからもひっそりと聴き続けさせていただきたいと願っております。お身体大切にこれからもご活躍くださいね。
にゃんこ可愛い 雑談動画好き。朗読動画も好きだけどted hidakaの言葉も聴きたい
いいですね、こういうの✨
中原中やが作詞中原中やは若くしてなくなる
嫌な感じがなく落ち着いた声で淡々とそれでいて聞きやすくストレスのない話始め、すごく好きです
中学だったか、高校だったかで「山月記」を習ったときに、どうせ変身するならトラじゃなくパンダだったらよかったのに・・・とおもったことを思い出したw
画面タイトルを間違えました。正確には"SANGETSUKI-14"です。
元気で良いですね‼︎
朗読がとても上手ですね‼︎
とてもいい声です👍✨
迫力あって好き
た
素晴らしい声ですね
本日、母とゆっくりと観覧させて戴きました。 隠岐民謡、高梨先生のお三味線に川口先生の篠笛がピタッと合わさりお見事でした。 朗読とコーラスのコラボも素晴らしく涙を誘いました。 これだけの大作であれば、いつの日か、高梨先生をもう一度、東広島市に招いて生演奏で上映を観覧してみたいものですね。 この度は誠に胸を打つ素晴らしい影絵劇場を見せて頂きまして誠にありがとう御座いました😊
ゆっくりご覧くださりありがとうございました。これからも頑張ります。お母様にもよろしくお伝えください。
03:27 自分用
よく聴いています。
この作品は有名ですが、漱石さんの他の作品とは違うと思いますが、ジャンルは何ですかね?何方か御教授下さい!
クローデットモレル