Wow super❤❤
大変詳しい説明で良くわかりました 頑張れ故郷 糸魚川
知識が海馬に蓄積されました。ありがとう、ござますtncx
そこ清里じゃない。
"geo"はギリシャ語ΓΗ (GH)が語源
行きたいけど、新潟は…遠い…。
糸魚川ではジオパークの観光案内していただける方はいらしゃいますか?行きたいです‼️
案内してくださる方はいません。各ジオパークには詳しい看板が有ります。QRコードもあり参考にして下さい。
🦀の食べ方動画は大変ありがたいです!🙇🙏✨🎵 食べ方が分からないオイラでも何とか食べれそう🎵😋✌️
あー美味しそうです٩( *˙0˙*)۶
ここにも蟹がある。
地元でよく言う話ですが。 姫川の右岸(=アジアプレート)と左岸(北米プレート)で地震の際の揺れの大きさが違う、といわれます。右岸は巨大なアルプス山脈が乗っていて重いからあまり揺れない、というのが生活民の中での説です。
右岸と左岸逆になってませんか? 右岸北米プレート、左岸ユーラシアプレート
@@HopStepJunk ご指摘の通りですね。左右逆でした。ご指摘いただきありがとうございます。
母の実家が糸魚川の粟倉です。先日、姉と母とで数日間行って来ました。 楢山節考(姥捨山)のロケ地の市野々の山など景勝地を巡り満喫しました!
三和区紹介ありがとうございます(*´∀`*)
フォッサマグナ いずれは訪れたい場所です 動画を観させていただき、いいねとチャンネル登録をさせていただきました。 よろしければ私の動画もご確認ください。
結構すごい観光地のはずなのに観光客が少ない
是非に行ってみたいですね。親知らずっていうところは険しそうですが。
親不知は北陸道最大の難所。飛騨山脈の北端が日本海によって侵食されてできた断崖が、15kmにも渡って続いている。 越後国と越中国を往来するには、この断崖を海岸線に沿って進まねばならなかった。「親不知」という名称は、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができないほど険しい道だから、とされているが、じつは、もう一つの説がある。壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後で落人として暮らしていた。このことを聞きつけた奥方は、京都から越後を目指して、この難所に差しかかった。しかし、難所を越える際に、連れていた子どもが波にさらわれてしまう。 親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消え行く 以後、その子どもがさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったという。
とてもよくわかりました。ありがとうございます。_(_^_)_
ジオの声が意外ですねぇ。理想としてはジオマル=小桜エツコですかねぇ。
大変勉強になりました。懐かしい景色にも出会うことができました。
Sugoiiiiiii!!!!!!
Wow super❤❤
大変詳しい説明で良くわかりました 頑張れ故郷 糸魚川
知識が海馬に蓄積されました。ありがとう、ござますtncx
そこ清里じゃない。
"geo"はギリシャ語ΓΗ (GH)が語源
行きたいけど、新潟は…遠い…。
糸魚川ではジオパークの観光案内していただける方はいらしゃいますか?行きたいです‼️
案内してくださる方はいません。各ジオパークには詳しい看板が有ります。QRコードもあり参考にして下さい。
🦀の食べ方動画は大変ありがたいです!🙇🙏✨🎵 食べ方が分からないオイラでも何とか食べれそう🎵😋✌️
あー美味しそうです٩( *˙0˙*)۶
ここにも蟹がある。
地元でよく言う話ですが。 姫川の右岸(=アジアプレート)と左岸(北米プレート)で地震の際の揺れの大きさが違う、といわれます。右岸は巨大なアルプス山脈が乗っていて重いからあまり揺れない、というのが生活民の中での説です。
右岸と左岸逆になってませんか? 右岸北米プレート、左岸ユーラシアプレート
@@HopStepJunk ご指摘の通りですね。左右逆でした。ご指摘いただきありがとうございます。
母の実家が糸魚川の粟倉です。先日、姉と母とで数日間行って来ました。 楢山節考(姥捨山)のロケ地の市野々の山など景勝地を巡り満喫しました!
三和区紹介ありがとうございます(*´∀`*)
フォッサマグナ いずれは訪れたい場所です 動画を観させていただき、いいねとチャンネル登録をさせていただきました。 よろしければ私の動画もご確認ください。
結構すごい観光地のはずなのに観光客が少ない
是非に行ってみたいですね。親知らずっていうところは険しそうですが。
親不知は北陸道最大の難所。飛騨山脈の北端が日本海によって侵食されてできた断崖が、15kmにも渡って続いている。 越後国と越中国を往来するには、この断崖を海岸線に沿って進まねばならなかった。「親不知」という名称は、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができないほど険しい道だから、とされているが、じつは、もう一つの説がある。壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後で落人として暮らしていた。このことを聞きつけた奥方は、京都から越後を目指して、この難所に差しかかった。しかし、難所を越える際に、連れていた子どもが波にさらわれてしまう。 親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消え行く 以後、その子どもがさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったという。
とてもよくわかりました。ありがとうございます。_(_^_)_
ジオの声が意外ですねぇ。理想としてはジオマル=小桜エツコですかねぇ。
大変勉強になりました。懐かしい景色にも出会うことができました。
Sugoiiiiiii!!!!!!