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寺子屋カフェ
เข้าร่วมเมื่อ 6 พ.ย. 2020
大人が学びたいと思ったときに学べる場所を提供するのが「寺子屋カフェ」です。
本来「勉強」というのはとても<楽しい>ものです。でも、学生時代の意識が染み付いてしまって、「勉強は苦行」だと思っている人が多いようです。大人になって、自分が学びたいと思ったものを自発的に学び始めるとき、人は勉強の楽しさを知ります。
子供が「なぜ?」「どうして?」と大人に尋ねるように、「これは何だろう?」「このことについてもっと知りたい」という気持ちを大事にしましょう!
人間は本来、学び続けることで自らのスキルを高め成長していきます。
「勉強することの楽しさ」を知ったとき、あなたの前には素晴らしい景色が広がります。
一緒に勉強しましょう!
寺子屋カフェ主宰 船津明生
本来「勉強」というのはとても<楽しい>ものです。でも、学生時代の意識が染み付いてしまって、「勉強は苦行」だと思っている人が多いようです。大人になって、自分が学びたいと思ったものを自発的に学び始めるとき、人は勉強の楽しさを知ります。
子供が「なぜ?」「どうして?」と大人に尋ねるように、「これは何だろう?」「このことについてもっと知りたい」という気持ちを大事にしましょう!
人間は本来、学び続けることで自らのスキルを高め成長していきます。
「勉強することの楽しさ」を知ったとき、あなたの前には素晴らしい景色が広がります。
一緒に勉強しましょう!
寺子屋カフェ主宰 船津明生
明智光秀の乱③
小林先生の著書『伊賀越え』に基づいて本能寺の変を解説します!
天正10年(1582)6月2日未明に起こった「明智光秀の乱(本能寺の変)」の真相に迫るには、その時、堺にいた徳川家康がど のようなルートで本領・三河国岡崎へ帰還したのかがカギとなります。本書では、関連する物事をキーワードとして、時間を追っ てその真意をひもとくとともに、家康に随行していた甲斐国の武将・穴山梅雪が影武者となり、従者二百名も犠牲となった「伊 賀越え」が行われたことを立証していきます。津田宗及によって開かれた茶会の真意、光秀の盟友・長岡(細川)藤孝の思惑、 羽柴秀吉による策略など、奇術ともいえる、仕組まれた謎を解き明かします。
www.amazon.co.jp/伊賀越え-光秀はなぜ家康を討ち漏らしたのか-小林-正信/dp/4473045889
天正10年(1582)6月2日未明に起こった「明智光秀の乱(本能寺の変)」の真相に迫るには、その時、堺にいた徳川家康がど のようなルートで本領・三河国岡崎へ帰還したのかがカギとなります。本書では、関連する物事をキーワードとして、時間を追っ てその真意をひもとくとともに、家康に随行していた甲斐国の武将・穴山梅雪が影武者となり、従者二百名も犠牲となった「伊 賀越え」が行われたことを立証していきます。津田宗及によって開かれた茶会の真意、光秀の盟友・長岡(細川)藤孝の思惑、 羽柴秀吉による策略など、奇術ともいえる、仕組まれた謎を解き明かします。
www.amazon.co.jp/伊賀越え-光秀はなぜ家康を討ち漏らしたのか-小林-正信/dp/4473045889
มุมมอง: 96
วีดีโอ
明智光秀の乱②
มุมมอง 145วันที่ผ่านมา
「本能寺の変」として知られる、あの事件を解き明かすシリーズ! 『伊賀越え 光秀はなぜ家康を討ち漏らしたのか』や、『明智光秀の乱:天正十年六月政変織田政権の成立と崩壊』などの著者である、小林正信先生をお招きして、なぜ明智光秀は本能寺で織田信長を殺したのかの謎に迫ります!いよいよ佳境に入る五回シリーズの第二弾!
明智光秀の乱①
มุมมอง 19421 วันที่ผ่านมา
「明智光秀の乱」、いよいよ始まります。一般的には「本能寺の変」として知られる、あの事件を解き明かすシリーズ! 『伊賀越え 光秀はなぜ家康を討ち漏らしたのか』や、『明智光秀の乱:天正十年六月政変織田政権の成立と崩壊』などの著者である、小林正信先生をお招きして、なぜ明智光秀は本能寺で織田信長を殺したのかの謎に迫ります!まずはその概要を解説する五回シリーズの第一弾!
橘曙覧『独楽吟』から7首、朗読と解説。
มุมมอง 220ปีที่แล้ว
たのしみは 珍しき書 人にかり 始め一ひら ひろげたる時 たのしみは 空暖かに うち晴れし 春秋の日に 出でありく時 たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時 たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時 たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき たのしみは 好き筆をえて 先づ水に ひたしねぶりて 試みるとき たのしみは ほしかりし物 銭ぶくろ うちかたぶけて かひえたるとき
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第16回、なぜ武士階級が消滅してしまったのかの2回目です。
มุมมอง 81ปีที่แล้ว
なぜ武士はいなくなってしまったのか、今回は、幕末の大政奉還、版籍奉還、四民平等、廃藩置県、国民皆学までを簡単に振り返り、徴兵令:明治6年、廃刀令:明治9年、西南の役:明治10年までの話をしました。 次回はいよいよ武士の経済基盤を根底から覆した「秩禄処分」の話です。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第15回、なぜ武士階級が消滅してしまったのか、順番に説明します!
มุมมอง 41ปีที่แล้ว
なぜ武士はいなくなってしまったのか、幕末の大政奉還:慶應三(1867)年から始まって、版籍奉還:明治二(1869)年、四民平等:明治三(1870)年、廃藩置県:明治四(1871)年、国民皆学:明治五(1872)年までを簡単にお話ししました〜!
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第14回、なぜ武士階級が消滅してしまったのか、その予告編です。
มุมมอง 1142 ปีที่แล้ว
まず幕府の権威が失墜してしまうきっかけは何だったのか。そして、幕府崩壊への過程を少しお話しして、武士がいなくなる明治に入ってからの施策いろいろ(廃刀令、断髪令、廃藩置県、版籍奉還、秩禄処分など)についての予告編です。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第13回、いよいよ幕末の話が始まります。
มุมมอง 1762 ปีที่แล้ว
世界でも珍しい、260年余りも続いた長期政権も徐々に崩壊の兆しが見えてきます。武士は幕末にかけてどのように変容していったのか。また、武器についての話(火縄銃とエンフィールド銃)や、薩摩の示現流の話なども。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第12回「武士は江戸時代、幕末にかけてどう変わっていったのか」
มุมมอง 932 ปีที่แล้ว
江戸時代の武士の実態、その貧しさ、見栄っ張りでプライドだけは高くて威張り散らし、庶民から嫌われていた武士、そんなお話や、幕末にかけてだんだんヤバくなっていく武士の話をしました。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第11回「武士は江戸時代になってどう変わっていったのか」
มุมมอง 292 ปีที่แล้ว
前回の復習から、朱子学、天下普請、当時の江戸の様子、そして武士の特色として欠かせない「男色(ホモセクシュアル)」、さらに「 本奴」と「町奴」との戦いについて話しました。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第10回「武士の有り余るパワーを秀吉や家康はどう殺いでいったのか」
มุมมอง 232 ปีที่แล้ว
天下を取るために利用した大名たちのパワーを、その闘争心を、秀吉や家康はどのように削っていったのか。戦国時代の「下剋上」を止めるために彼らはどのような手段を取ったのか、そんな話です。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第9回「秀吉がやったこと、織豊時代の武士の変化」
มุมมอง 672 ปีที่แล้ว
秀吉が天下統一のためにやったこと、3つ。武士が徐々に行政官僚としての役割を担うようになったこと、などなど。カバー写真は、その行政官僚としての武士の典型例、石田三成の肖像画です。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第8回「面白い本たくさんあります、その1」
มุมมอง 332 ปีที่แล้ว
平家がなぜ権力を握ったのか(なぜフナツが平家びいきなのか)、室町時代はどんな時代だったのか、農民出身からなぜ武士になれたのか、賤が岳七本槍について、信長の小姓は黒人だった!などなど、武士についてよくわかる面白い本のご紹介。その1。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第7回「日本中世における傭兵、雑兵たちによる掠奪、人身売買について」
มุมมอง 482 ปีที่แล้ว
戦に慣れていない農民がなぜ従軍したのか、戦につきものの掠奪、さらに世界的な人身売買について語りました〜!
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第6回「織田信長はなぜ天下を取れたか」
มุมมอง 332 ปีที่แล้ว
いろんなところで話した内容もあるので、お聞き及びの内容もあるかとは思いますが、織田信長が行ったことをいくつか説明しました。サムネイルは安土城でございます。
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第5回「戦国大名、今川・北条・大友」
มุมมอง 412 ปีที่แล้ว
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第5回「戦国大名、今川・北条・大友」
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第4回「源平の争乱と鎌倉・室町幕府」
มุมมอง 362 ปีที่แล้ว
「武士」や「武士道」についてもっと知ってみよう!第4回「源平の争乱と鎌倉・室町幕府」
織田政権は6月2日に崩壊山崎の戦いで室町幕府は滅亡、小林正信、著、論文、なぜ本能寺の変は解明されないのか。追申、山崎の戦いで最後まで臣従し戦ったのは名門政所執事の家系、伊勢貞興、諏訪盛直、御牧兼顕等、2000名であります。
岐阜県と熊本県の郷土史家は安国寺系図、三宅系図がある事を知っていた。三宅氏は秀吉の家臣寺沢氏に仕え後に細川氏に仕えたことから熊本に系図が残る。そこでは進士晴舎の系譜としています。小林正信、著、論文、なぜ本能寺の変は解明されないのか。より追申、寺沢氏と妻木氏は婚姻関係があります。安国禅寺系図には進士藤延が明智光秀也とハッキリ書かれいます。安国禅寺開山の梵徹和尚は明智氏とされています。明智風呂で有名な京都臨済宗妙心寺の塔頭に住した玄林和尚も明智氏とされています。
明智光秀の系図の一つである明智氏一族宮城家相伝系図書、には光秀実は妹婿進士山岸勘解由左衛門尉信周之次男也、として光秀はもとは進士としています。進士氏が歴史から消え明智氏が登場する構図ある。進士晴舎の子は進士作左衛門は奉公衆ではなく光秀の家臣。明智光秀は美作守の子で義輝側近の奉公衆進士藤延か?小林正信、著、論文、なぜ、本能寺の変は解明されないのか。より。追申、南北朝時美濃国内南朝方山岸光義は北朝方土岐頼遠、頼康等に敗れ後、土岐氏に属します。
織田政権の自滅と光秀の反乱を予期出来た人物は誰か。安国寺恵瓊、小早川隆景、史料、三鬼清一郎氏、論文、の三人だけか?明智光秀の内情を知り尽くす盟友細川藤孝、織田政権の内情を知り尽くす羽柴秀吉との連携。光秀を最初に裏切った人物は細川藤孝。秀吉に最初に臣従した人物は細川藤孝。細川藤孝が梯子を外し、家康を逃亡させる。家康は反転攻撃するので光秀は東部に軍勢を割かなければならない。家康が光秀を討つ前に秀吉は光秀を討たなければならない。秀吉は小早川隆景と安国寺恵瓊と単独講話。事実上の同盟。秀吉の織田家乗っ取りは、光秀の乱と同時に始まる。織田政権は6月2日に崩壊。山崎の戦いで室町幕府は滅亡。織田、足利新旧武家政権が相殺されて天皇と関白が一体化する体制が形成される。秀吉の体制は実態として建武の新政に続く王政復古ではないのか?小林正信、論文、なぜ、本能寺の変は解明されないのか。より
母方の姓である妻木を名乗ることになったとしても、奉公衆として復帰するということならば紛うことなき奉公衆の家柄として本性の明智姓を名乗らなければならないことになります。そこにはやはり上洛を果たして天下を統治するすることになった美濃国主としての信長の意向が強く働いたと考えられます。美濃国主は長らく土岐氏であり、これに次ぐ名門一族が土岐明智氏であるは当時も広く知られており、斎藤氏を放逐した美濃国主織田信長が土岐明智氏を引き連れて上洛してきたことは光秀が信長の家臣であり重臣であるという心証を広く天下に印象づけたことになります。小林正信、著、明智光秀の乱、里文出版、より
菅沼氏と妻木氏は双方共に明智氏であるので、系統からすれば光秀は本来明智氏とは関係がないことになりますが、光秀の妹が妻木氏であったということは、同時に光秀も妻木氏であったということになります。何らかの事情で父方の姓が名乗れない場合は、この頃には有りがちの話しとして、光秀は菅沼氏と同じく母方の姓を名乗ったことになります。小林正信、著、光秀とは何者だったか?里文出版より