子供達が多いのは夏休みだからかな? 相良から浜岡とキャンプしながら抜けたことあり。 さよなら列車は大奮発の5連ですかあ。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 現在と異なり、当時の静波海水浴場は大賑わいだったのでしょうね。 当方はさよなら列車を見送れなかった世代ですが、 廃止後も東海道線藤枝駅東方にあった東海道線を越える大きな築堤と 藤枝駅の構内で物置として余生を送っていた駿沿線の有蓋貨車は記憶に残っています。
レールのある路線バスですねー。 大井川橋梁はよく流されたとか。復旧大変でしたろう。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 近年はハイエースなどのコミュニティバスもありますし、 軽便鉄道も利用者の需要があれば省資源で良いものかと思いますが、 車社会では採算が合わないのでしょうね。 大井川橋梁はあの長さで木橋だったのが凄いですよね。
貴重な映像をありがとうございます。軽便ファンのバイブル。 今では跡形もなくなってしまったけれど。。。。。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 廃止後半世紀以上経てしまいましたが、今も現役の橋やトンネル、待合室が復元された駅もありますし、 軌道跡を自転車通学の学生さんが利用していますので、地元の方々にとって駿遠線はまだまだ身近な存在です。
凄い貴重な映像ですね。しかもカラーで、新横須賀駅横にある旅館が今でもありますね。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 当時の旅館が今も現存しているとは知りませんでした。 是非見に行こうと思います。
静浜鉄道
コメントありがとうございます。
実家は旧榛原町の山の手(高尾山の麓)にあり、当時小学生なので、 風の便りに鉄道があることは知っていたが、見ることすらなかった。 廃線後、2~3年もしない内に、 貧しい農家?の実家で、360ccの中古乗用車が足となった。 (俗に言うモータリゼーションが、都会の藤枝や沿線各地に押し寄せたのかも?) 流石に、 歴史ある駿遠線も時代の波(海が近いから波)に押されて、バトンタッチしたのでしょう。😅
コメント頂きまして、ありがとうございます。 自動車産業の発展により生活は便利になりましたが、 それまで人々の生活を支えてきた駿遠線がひっそり消えていった事を いつまでも記憶に留めていたいものですね。 我が家にも昔360ccの中古車があり家族4人で乗っていましたが、 今見ると大変小さくてよく走ったものだと驚きます。
復活してるありがとうございます
ありがとうございます。著作権に問題があったと思われる音楽を消去しました。
大型車で袋井市へ配送に行きますが、途中何か所か廃線跡や築堤、軌道跡ならではの緩やかな勾配、結構遺構が残ってますね。昔に思いをはせながら、ゆっくり走るのも乙なもんです。そっかー軽便だったんだぁ。
コメントありがとうございます。廃線から半世紀以上経た現在も遺構が現存するのは、地元の方々の駿遠線への愛があってこそなのだと思います。
むかしおいらが小学4年に龍山村から 神戸に引っ越して来て 小学5年の夏友達と遠州神戸から相良まで遊びに行ったことを思い出します かなり親から叱れました
懐かしく楽しい思い出のコメントをありがとうございます。 子供の頃は隣の駅まででも列車に乗るのが嬉しかったですね。 天竜二俣にもかつて光明鉄道があったそうですね。
静岡鉄道が2なくなってる
コメントありがとうございます。BGMの著作権に問題があり削除されたようですが、気づきませんでした。 一部の音声を削除しましたらブロックが解除されましたので、無音部分をご容赦頂けますと幸いです。
乗らなかった事が悔やまれる。
コメントをありがとうございます。当方も廃止後の世代なので乗れませんでしたが、 駿遠線をよく利用したという多くの方より懐かしいお話を伺っています。
時々夢にも出てきます。
コメントをありがとうございます。 今よりも不便で皆一生懸命だった時代であったからこそ、 いつまでも忘れらない記憶になっているのかもしれませんね。
素晴しく貴重な映像を有り難う御座います。私が幼少期の1960年代初頭から、正に袋井から横須賀までこの軽便に乗って家族で父の田舎に毎年夏に帰省していました。袋井から軽便に乗り込んだ時の車内の床のワックスの匂い、そして床下から聞こえるゴロゴロとしたエンジン音、そして何かワクワクした気持ちを今でも鮮明に覚えています。そして新横須賀で駅から出ると暑い夏の日差しと多くの人がいて賑やかだった事、今でもその情景がよみがえります。東京からの道中を含めて、田舎らしい田舎の思い出を有り難うと、今は天国のオヤジに言いたい。
コメントをありがとうございます。 この動画を投稿し何よりも嬉しいのは、 当時駿遠線を利用された方より貴重なお話を伺える事です。 実際に乗られた方のお話こそ、何よりも大変貴重な資料であると感じます。
駿遠線は静鉄バス秋葉中遠線のルーツになった軽便鉄道だと感じます。
コメントをありがとうございます。 袋井駅では廃止後暫くの間は駿遠線と秋葉線の駅舎や跨線橋などが バスの発着場としてそのまま残っていましたね。
ひらがなでかけないとか
コメントをありがとうございます。
閑散路線とは思えないのですが、結果的に大井川橋梁の架け替えができなかったことが引き金になり、廃止になってしまったんですよね。 ただ架け替えができたとしても、その後のモータリゼーションに抗うことまでは無理だったかもしれませんが。
コメントをありがとうございます。 橋の脆さが廃止の原因の一つになったのは残念ですが、 当時あの木造橋で安全に運行し続けた駿遠線は素晴らしかったと思います。 モータリゼーションの発展は、功罪半ばであると今も感じます。
現在で言えば、「(徐行や強化されているとは言え、)蓬莱橋の上を満員電車が走っていた」という状況。 あと、 降りた乗客が、電車の前を横切るのが通例であったり、兎に角、 ゆったりした時代だったんですね。(当時は当たり前なので、気付かず。) 更に、 大井川と言えば、現在よりかなり北側を流れていたルートを、 行政の力で現在の位置まで移動させた(結果、志太郡の拡張と榛原郡の縮小)…と、聞いています。
7:57 この漏斗(じょうご)みたいなものは何ですか?
コメントをありがとうございます。 申しわけありませんが、当方はどのような目的の装備かわかりません。 ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示頂けますと幸いです。
静岡鉄道といえば電車のイメージですが、この路線は非電化路線で気動車が走っていたのですね…。
コメントをありがとうございます。当初は人車や蒸気機関車もあったようですが、 最終的にはトルクコンバーター制御の気動車になったようですね。 動画の中には手動変速の気動車も写っています。
今、昔の面影を感じるのは、榛原町駅跡の静鉄バスの榛原車庫、バス停名は「静波海岸入口」新相良駅跡にいった静鉄バスの相良営業所は移転したし、新藤枝駅跡の静鉄バスの藤枝駅北口のバスターミナルは再開発でなくなったし
コメントをありがとうございます。 廃止から半世紀以上経た現在も残る駿遠線の遺構を知る方の情報は、 大変貴重であると思います。
大井川の橋が木製から永久の鉄橋にかけかえができて、JRや静鉄静岡清水線と同じ線路幅に改軌して、相良駅まで残っていたら、天浜線のようになっていたかもしれない。 新藤枝駅は駅ビルになって、一階は駅と鉄道施設、二階以上は店舗とマンションに。 東名高速を走る、静鉄バスの特急静岡相良線や駿遠線の代替バスになった、藤枝相良線も今とは違ったかも、自家用車が普及して、バスの藤枝相良線(昔は御前崎や堀野新田まで言っていたので、藤枝御前崎線)の準急バスも廃止され、今は、一時間に1本になってしまったし、住吉経由が廃止された。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 駿遠線廃止当時は高度成長期真っ只中で、 バスやマイカーの勢いに抗えなかった事が悔やまれますね。 鉄道の運営は大変なのか、今や静岡鉄道も不動産や流通がメインの会社のようです。
この映像は本当に素晴らしい。電車だけでなく昭和のあの頃の懐かしい生活が生き生きと捉えられている。
コメントをありがとうございます。不便だけれども温かい昭和の時代がとても懐かしいですね。
きれいで長時間記録されていて素晴らしかったです。 ありがとうございました。
コメントをありがとうございます。 編集などの知識が無い為、 3つに分割されて見にくくて申し訳ございません。
もし駿遠線が廃線せず今でも健在なら大井川鉄道のような存在になっていただろうな。
コメントをありがとうございます。 高度成長期に貴重な社会資本が使い捨てにされた事は悔やまれますね。 長期的に見れば、軽便なものは負担が少なく維持しやすかったと思います。
2に続いて貴重な映像、そして思い出の彼方に去り行くさよなら運転の映像を UP頂きありがとうございます。 とある私鉄のさよなら列車でお客さんを満載した列車を見た従業員の方々が 「今更こんなに乗っても手遅れだ・・・」と悔し涙を流していたという記述を 読んで、その言葉が今でも胸に棘となって刺さっています。 恐らく駿遠線のさよなら列車の乗務員の方々も同じような無念の思いだったの でしょうか・・・?
多くのコメントを頂きまして、ありがとうございます。 利用者減により止むを得ず廃線という結末を迎える際に ”最後だから記念に乗っておこう”と殺到されても、心中は複雑ですよね。 同級生のお父様が駿遠線に勤務しておられましたが、 廃線後は静鉄が経営するホテルへ異動されました。 鉄道マンとしての誇りもあったでしょうから、 さぞかし無念だったのだろうと思います。
1に続いて貴重な映像をUP頂きありがとうございます。 大井川の鉄橋での森林鉄道のティンバートレッスルみたいな鉄橋を時速10~20kmで ハラハラしながら渡る姿を見れてよかったです。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 一部の学生さんや子供達は面白がっていたかもしれませんが、 運転手さんと多くの乗客の方々はさぞ緊張したのでしょうね。 少し前までは橋脚の痕跡が道路橋から見えましたが、 残念ながら近年はほぼ無くなりつつあります。
静岡鉄道駿遠線の現役,しかもカラーの貴重な映像をUP頂きありがとうございます。 1967年は新袋井~新三俣間が廃止された頃ですね。 「蒙古の戦車」が実際に走る映像を拝見できてうれしく思います。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。徐々に路線を縮小し全廃になったと聞いています。 当方は現役時代を知らない世代ですが、映像の昭和の風景を懐かしんでいます。
昭和の高度経済成長期の時代の風景がよく反映されている映像です。あの当時は、日に日に生活がよくなってゆく!という感じの時代でした。静岡鉄道駿遠線の開発の目玉の一つであった海水浴場への海水浴客の映像もありますね。大井川の橋は木造です(10:20)。走行中にドアが開いており箱乗りもしています。平和で豊かな時代でした。二度と戻ってこない時代のとても貴重で懐かしい映像です。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。物資の乏しい時代でしたが、今ほど急かされていない良さもありましたし、人工物が少ない背景の自然の美しさも今となっては懐かしいですね。
よくこんな映像残っていたなと思います。珠玉の映像です。感動します!静岡鉄道駿遠線は鉄道好きからしてみれば忘れることのできない著名な長大軽便鉄道です。大正時代には大井川の橋の区間を人車軌道(人力で運行)として仮開業したこともありました。まさに子供のころ夢見た空想の世界をそのまま現実に蘇(よみがえ)らせたような鉄道だったからです。 また、蒸気機関車をディーゼル機関車に改造して使っていたという奇想天外なゲテモノまでいました。この動画の8:40あたりにも映っています。軽便鉄道では例外的な大きさと出力の190馬力のディーゼル機関車DD501というゲテモノを1965年に自社新造するなどの独特の動きもありました。駿遠線の気動車の大半は総括制御のできない機械式気動車だったため、各気動車車両に運転士が乗務して、警笛を合図に運転操作を行うという代物でした。そして大井川の橋は木造でもありました。 鉄道好きの中には多くのゲテモノ好きの人がいますが、私もその一人です。ここで言うゲテモノとは変った車両のことです。つまり珍車のことです。特に移動機(小型のディーゼル機関車など)のようなものを指してゲテモノと言う場合が多いかもしれません。静岡鉄道駿遠線は国内でも稀な珍車や変わった物事の宝庫のような鉄道でもあったのです。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 物資が乏しい時代に当時の方々はこの鉄道の建設から運営まで本当に多大な努力をされたのだろうなぁと、この記録映像から感じます。 DD501は軽便鉄道としては本格的な大型機関車でしたが、廃線後直ぐに解体されてエンジンは漁船へ転用搭載されたそうですね。 駿遠線の車両は蒸気機関車一台しか現存していないのが大変悔やまれます。頚城鉄道などは篤志家の方のご努力で貴重な車両が多く残りましたね。
昭和のころ、こうした軽便鉄道があちこちにありました。しかしモータリゼーションの進歩や、速度や利便性を求める時代の要請に答えられず、多くの軽便鉄道は消滅してゆきました。鉄道好きからしてみれば悲しい側面のある時代でもありました。 静岡鉄道駿遠線は昭和45年に廃止になりました。同じく762㎜軌間の鉄道は現在、三岐鉄道北勢線(三重県桑名市~いなべ市)と、四日市あすなろう鉄道の内部線(うつべせん)、八王子線(三重県四日市市)、黒部峡谷鉄道本線(富山県黒部市)の3社4路線のみが残るだけになってしまいました。軽便鉄道の最盛期には300路線以上が日本国内にありました(軌間は様々)。軽便鉄道は旅客需要等の少ない地方の田園地帯には適切でした。 しかし、このころの交通事情の最大の変化の特徴は、道路交通が飛躍的に進歩したことでした。当時まではなんでもかんでも鉄道輸送に依存していました。ところがこのころから、貨物輸送はトラック輸送へ、旅客輸送はバスやマイカーへと移っていったのでした。軽便鉄道が過ぎ行く時代の流れにあらがうことはできなかったのです。
コメントをありがとうございます。 戦後は全国の軽便鉄道が多くの人々の暮らしを支えてくれたのだと思いますが、当時の方がこのような映像を残して下さったおかげで モータリゼーションの発達とともに忘却の彼方へ消えていってしまったこの小さな功労者を思い出させてくれますね。
幼稚園の時に乗りました
当方は乗車体験がありませんが、当時乗られた方よりコメントを頂きまして、大変嬉しく思います。
物凄い乗車率。どの駅でも人が必ずいて、乗り降りもそれなり。 車何てすごい贅沢品だった時代だろうけど‥あと大井川の橋脚が開放的過ぎるww
コメントをありがとうございます。大井川通過時にデッキにいた学生さんは凄いですよね。
のゆ
???コメントをありがとうございます。
昔利用した大井川駅の映像を今観れるとは! 感激!軽便と呼んで利用していた。
当時実際に乗車された経験をお持ちの方よりコメントを頂きまして、ありがとうございます。
中学生の時、新藤枝駅から大井川まで乗った。懐かしいですねえ!
軽便の全盛期でも、カラーだと比較的最近の動画に見えますね。それにしても新幹線や高速との交差がシュール。
あの時代の映像としては綺麗ですね。当時撮影して下さった方には本当に感謝したいと思います。
生まれ故郷を走っていた軽便! 当時はあまりにも当たり前の生活の中の一つでしたが、 今見るとその重要性、貴重性をしみじみと痛感します。 たとえ短距離でも再現する事を夢見て毎回ジャンボ宝くじを買ってます。 もし宝くじが当たったら復活に向け是非皆さんのお助け下さい!!
コメント頂きまして、ありがとうございます。藤枝に残る唯一の現存車両を整備して動態保存出来ると良いですよね。
なんだか貴重な所蔵映像をありが投稿ざいます。
コメント頂きまして、ありがとうございます。このような時代があった事を、次の世代に伝えていきたいですね。
幼少の頃、これに乗って父母に連れられ静波に海水浴に行ったのを思いだします。
実際に乗車された経験をお持ちの方よりコメントを頂きまして、ありがとうございます。
この映像は凄すぎる。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 当時撮影して下さった方に感謝したいですね。
10:07 あたりから流れているBGMが、曲名はわからないのですが、そうとう前のANAの機内安全ビデオと同じなのがやわらかいかんじでいいですね! 11:15 の荷台がなんともかわいいサイズ。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 客貨混合列車はある意味理にかなっているのかもしれませんね。
動画を借ります
駿遠線および中遠地方の歴史伝承に活用して頂けますとと幸いです。
静岡市の育ちで。エミナースの辺りが起点と聞きました、何処が駅跡だと探した事が有ります。150号を走れば痕跡が無いかキョロキョロ(危ない)、貴重な映像に感謝します、有料でも観たかったくらいです。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 一部の区間では今も当時の面影を色濃く残していて懐かしいですね。
駿遠線、ぜひ復活してほしいです
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 駿遠線の復活は当方も夢見ております。
懐かしい、よく線路で遊んでました。 大井川渡るのは恐怖でした。 終点が静波海岸で当時は海水浴が盛んで賑わっていたのを思い出します。
実際に乗られた方より大変貴重なコメントを頂きまして、ありがとうございます。 当時利用された方や平成生まれの若い方に見て頂きたくて、この動画を投稿させて頂きました。
この時代はコロナ感染が無い時代
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 今と比較すれば不便で貧しい時代でしたが、 殺伐とした雰囲気はあまり感じませんでしたね。
作られた時代も技術も構造も違う…塗分け線のそろわぬ凸凹編成…そして何より愛らしい小さな車体!!……あぁたまらない!!実にたまらない!!……ところどころに入る人々の姿も相まって、まるで当時の空気感まで伝わるよう……本当に素晴らしい動画ですね。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 現代と比べていろいろ不便な時代でしたが、良い事もありましたよね。 今駿遠線のホームに立つと、こんなに小さかったのか、、と驚きます。
4:20 すごい!昔の小堤山トンネル初めて見ました。 5:07 この看板今も残されていますね!今度、今現在の看板をもっとしっかり見てみたいと思います。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 小堤山トンネルは今も地元の方々が利用されていますね。 当時の看板は、手書きの書体が味わい深いですね。
この鉄道の沿線に住んでいるものです。ぜひこれに一度は乗ってみたかったです。とても貴重な映像をありがとうございます。今まで特に気にしていなかったのですが、ところどころに看板などの名残があるので気にしてみたいと思います。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 地元にお住まいでしたら、乗車経験をお持ちの方がご近所にいらっしゃるでしょうし、 色々な興味深い思い出話を伺えるのではないかと思います。 藤枝市郷土博物館にも、唯一現存する機関車や駿遠線関連の資料が展示されていますね。
軽便鉄道に乗った事は有りませんが、自分の幼い頃のほのぼのとした風景か蘇りました…(*⌒▽⌒*)
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 現在も営業運転中の四日市あすなろう鉄道は、 電車による運行ながら、軽便鉄道の雰囲気を残していると思います。
さよなら運行時は、3両・4両・5両の編成で運行していました。(静鉄駿遠線のみ)
コメントを頂きまして、ありがとうございました。 さよなら列車の運行から、いつの間にか半世紀近くも経ってしまったのですね。
子供達が多いのは夏休みだからかな? 相良から浜岡とキャンプしながら抜けたことあり。 さよなら列車は大奮発の5連ですかあ。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 現在と異なり、当時の静波海水浴場は大賑わいだったのでしょうね。 当方はさよなら列車を見送れなかった世代ですが、 廃止後も東海道線藤枝駅東方にあった東海道線を越える大きな築堤と 藤枝駅の構内で物置として余生を送っていた駿沿線の有蓋貨車は記憶に残っています。
レールのある路線バスですねー。 大井川橋梁はよく流されたとか。復旧大変でしたろう。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 近年はハイエースなどのコミュニティバスもありますし、 軽便鉄道も利用者の需要があれば省資源で良いものかと思いますが、 車社会では採算が合わないのでしょうね。 大井川橋梁はあの長さで木橋だったのが凄いですよね。
貴重な映像をありがとうございます。軽便ファンのバイブル。 今では跡形もなくなってしまったけれど。。。。。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 廃止後半世紀以上経てしまいましたが、今も現役の橋やトンネル、待合室が復元された駅もありますし、 軌道跡を自転車通学の学生さんが利用していますので、地元の方々にとって駿遠線はまだまだ身近な存在です。
凄い貴重な映像ですね。しかもカラーで、新横須賀駅横にある旅館が今でもありますね。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 当時の旅館が今も現存しているとは知りませんでした。 是非見に行こうと思います。
静浜鉄道
コメントありがとうございます。
実家は旧榛原町の山の手(高尾山の麓)にあり、当時小学生なので、 風の便りに鉄道があることは知っていたが、見ることすらなかった。 廃線後、2~3年もしない内に、 貧しい農家?の実家で、360ccの中古乗用車が足となった。 (俗に言うモータリゼーションが、都会の藤枝や沿線各地に押し寄せたのかも?) 流石に、 歴史ある駿遠線も時代の波(海が近いから波)に押されて、バトンタッチしたのでしょう。😅
コメント頂きまして、ありがとうございます。 自動車産業の発展により生活は便利になりましたが、 それまで人々の生活を支えてきた駿遠線がひっそり消えていった事を いつまでも記憶に留めていたいものですね。 我が家にも昔360ccの中古車があり家族4人で乗っていましたが、 今見ると大変小さくてよく走ったものだと驚きます。
復活してるありがとうございます
ありがとうございます。著作権に問題があったと思われる音楽を消去しました。
大型車で袋井市へ配送に行きますが、途中何か所か廃線跡や築堤、軌道跡ならではの緩やかな勾配、結構遺構が残ってますね。昔に思いをはせながら、ゆっくり走るのも乙なもんです。そっかー軽便だったんだぁ。
コメントありがとうございます。廃線から半世紀以上経た現在も遺構が現存するのは、地元の方々の駿遠線への愛があってこそなのだと思います。
むかしおいらが小学4年に龍山村から 神戸に引っ越して来て 小学5年の夏友達と遠州神戸から相良まで遊びに行ったことを思い出します かなり親から叱れました
懐かしく楽しい思い出のコメントをありがとうございます。 子供の頃は隣の駅まででも列車に乗るのが嬉しかったですね。 天竜二俣にもかつて光明鉄道があったそうですね。
静岡鉄道が2なくなってる
コメントありがとうございます。BGMの著作権に問題があり削除されたようですが、気づきませんでした。 一部の音声を削除しましたらブロックが解除されましたので、無音部分をご容赦頂けますと幸いです。
乗らなかった事が悔やまれる。
コメントをありがとうございます。当方も廃止後の世代なので乗れませんでしたが、 駿遠線をよく利用したという多くの方より懐かしいお話を伺っています。
時々夢にも出てきます。
コメントをありがとうございます。 今よりも不便で皆一生懸命だった時代であったからこそ、 いつまでも忘れらない記憶になっているのかもしれませんね。
素晴しく貴重な映像を有り難う御座います。私が幼少期の1960年代初頭から、正に袋井から横須賀までこの軽便に乗って家族で父の田舎に毎年夏に帰省していました。袋井から軽便に乗り込んだ時の車内の床のワックスの匂い、そして床下から聞こえるゴロゴロとしたエンジン音、そして何かワクワクした気持ちを今でも鮮明に覚えています。そして新横須賀で駅から出ると暑い夏の日差しと多くの人がいて賑やかだった事、今でもその情景がよみがえります。東京からの道中を含めて、田舎らしい田舎の思い出を有り難うと、今は天国のオヤジに言いたい。
コメントをありがとうございます。 この動画を投稿し何よりも嬉しいのは、 当時駿遠線を利用された方より貴重なお話を伺える事です。 実際に乗られた方のお話こそ、何よりも大変貴重な資料であると感じます。
駿遠線は静鉄バス秋葉中遠線のルーツになった軽便鉄道だと感じます。
コメントをありがとうございます。 袋井駅では廃止後暫くの間は駿遠線と秋葉線の駅舎や跨線橋などが バスの発着場としてそのまま残っていましたね。
ひらがなでかけないとか
コメントをありがとうございます。
閑散路線とは思えないのですが、結果的に大井川橋梁の架け替えができなかったことが引き金になり、廃止になってしまったんですよね。 ただ架け替えができたとしても、その後のモータリゼーションに抗うことまでは無理だったかもしれませんが。
コメントをありがとうございます。 橋の脆さが廃止の原因の一つになったのは残念ですが、 当時あの木造橋で安全に運行し続けた駿遠線は素晴らしかったと思います。 モータリゼーションの発展は、功罪半ばであると今も感じます。
現在で言えば、「(徐行や強化されているとは言え、)蓬莱橋の上を満員電車が走っていた」という状況。 あと、 降りた乗客が、電車の前を横切るのが通例であったり、兎に角、 ゆったりした時代だったんですね。(当時は当たり前なので、気付かず。) 更に、 大井川と言えば、現在よりかなり北側を流れていたルートを、 行政の力で現在の位置まで移動させた(結果、志太郡の拡張と榛原郡の縮小)…と、聞いています。
7:57 この漏斗(じょうご)みたいなものは何ですか?
コメントをありがとうございます。 申しわけありませんが、当方はどのような目的の装備かわかりません。 ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示頂けますと幸いです。
静岡鉄道といえば電車のイメージですが、この路線は非電化路線で気動車が走っていたのですね…。
コメントをありがとうございます。当初は人車や蒸気機関車もあったようですが、 最終的にはトルクコンバーター制御の気動車になったようですね。 動画の中には手動変速の気動車も写っています。
今、昔の面影を感じるのは、榛原町駅跡の静鉄バスの榛原車庫、バス停名は「静波海岸入口」新相良駅跡にいった静鉄バスの相良営業所は移転したし、新藤枝駅跡の静鉄バスの藤枝駅北口のバスターミナルは再開発でなくなったし
コメントをありがとうございます。 廃止から半世紀以上経た現在も残る駿遠線の遺構を知る方の情報は、 大変貴重であると思います。
大井川の橋が木製から永久の鉄橋にかけかえができて、JRや静鉄静岡清水線と同じ線路幅に改軌して、相良駅まで残っていたら、天浜線のようになっていたかもしれない。 新藤枝駅は駅ビルになって、一階は駅と鉄道施設、二階以上は店舗とマンションに。 東名高速を走る、静鉄バスの特急静岡相良線や駿遠線の代替バスになった、藤枝相良線も今とは違ったかも、自家用車が普及して、バスの藤枝相良線(昔は御前崎や堀野新田まで言っていたので、藤枝御前崎線)の準急バスも廃止され、今は、一時間に1本になってしまったし、住吉経由が廃止された。
コメント頂きまして、ありがとうございます。 駿遠線廃止当時は高度成長期真っ只中で、 バスやマイカーの勢いに抗えなかった事が悔やまれますね。 鉄道の運営は大変なのか、今や静岡鉄道も不動産や流通がメインの会社のようです。
この映像は本当に素晴らしい。電車だけでなく昭和のあの頃の懐かしい生活が生き生きと捉えられている。
コメントをありがとうございます。不便だけれども温かい昭和の時代がとても懐かしいですね。
きれいで長時間記録されていて素晴らしかったです。 ありがとうございました。
コメントをありがとうございます。 編集などの知識が無い為、 3つに分割されて見にくくて申し訳ございません。
もし駿遠線が廃線せず今でも健在なら大井川鉄道のような存在になっていただろうな。
コメントをありがとうございます。 高度成長期に貴重な社会資本が使い捨てにされた事は悔やまれますね。 長期的に見れば、軽便なものは負担が少なく維持しやすかったと思います。
2に続いて貴重な映像、そして思い出の彼方に去り行くさよなら運転の映像を UP頂きありがとうございます。 とある私鉄のさよなら列車でお客さんを満載した列車を見た従業員の方々が 「今更こんなに乗っても手遅れだ・・・」と悔し涙を流していたという記述を 読んで、その言葉が今でも胸に棘となって刺さっています。 恐らく駿遠線のさよなら列車の乗務員の方々も同じような無念の思いだったの でしょうか・・・?
多くのコメントを頂きまして、ありがとうございます。 利用者減により止むを得ず廃線という結末を迎える際に ”最後だから記念に乗っておこう”と殺到されても、心中は複雑ですよね。 同級生のお父様が駿遠線に勤務しておられましたが、 廃線後は静鉄が経営するホテルへ異動されました。 鉄道マンとしての誇りもあったでしょうから、 さぞかし無念だったのだろうと思います。
1に続いて貴重な映像をUP頂きありがとうございます。 大井川の鉄橋での森林鉄道のティンバートレッスルみたいな鉄橋を時速10~20kmで ハラハラしながら渡る姿を見れてよかったです。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 一部の学生さんや子供達は面白がっていたかもしれませんが、 運転手さんと多くの乗客の方々はさぞ緊張したのでしょうね。 少し前までは橋脚の痕跡が道路橋から見えましたが、 残念ながら近年はほぼ無くなりつつあります。
静岡鉄道駿遠線の現役,しかもカラーの貴重な映像をUP頂きありがとうございます。 1967年は新袋井~新三俣間が廃止された頃ですね。 「蒙古の戦車」が実際に走る映像を拝見できてうれしく思います。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。徐々に路線を縮小し全廃になったと聞いています。 当方は現役時代を知らない世代ですが、映像の昭和の風景を懐かしんでいます。
昭和の高度経済成長期の時代の風景がよく反映されている映像です。あの当時は、日に日に生活がよくなってゆく!という感じの時代でした。静岡鉄道駿遠線の開発の目玉の一つであった海水浴場への海水浴客の映像もありますね。大井川の橋は木造です(10:20)。走行中にドアが開いており箱乗りもしています。平和で豊かな時代でした。二度と戻ってこない時代のとても貴重で懐かしい映像です。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。物資の乏しい時代でしたが、今ほど急かされていない良さもありましたし、人工物が少ない背景の自然の美しさも今となっては懐かしいですね。
よくこんな映像残っていたなと思います。珠玉の映像です。感動します!静岡鉄道駿遠線は鉄道好きからしてみれば忘れることのできない著名な長大軽便鉄道です。大正時代には大井川の橋の区間を人車軌道(人力で運行)として仮開業したこともありました。まさに子供のころ夢見た空想の世界をそのまま現実に蘇(よみがえ)らせたような鉄道だったからです。 また、蒸気機関車をディーゼル機関車に改造して使っていたという奇想天外なゲテモノまでいました。この動画の8:40あたりにも映っています。軽便鉄道では例外的な大きさと出力の190馬力のディーゼル機関車DD501というゲテモノを1965年に自社新造するなどの独特の動きもありました。駿遠線の気動車の大半は総括制御のできない機械式気動車だったため、各気動車車両に運転士が乗務して、警笛を合図に運転操作を行うという代物でした。そして大井川の橋は木造でもありました。 鉄道好きの中には多くのゲテモノ好きの人がいますが、私もその一人です。ここで言うゲテモノとは変った車両のことです。つまり珍車のことです。特に移動機(小型のディーゼル機関車など)のようなものを指してゲテモノと言う場合が多いかもしれません。静岡鉄道駿遠線は国内でも稀な珍車や変わった物事の宝庫のような鉄道でもあったのです。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 物資が乏しい時代に当時の方々はこの鉄道の建設から運営まで本当に多大な努力をされたのだろうなぁと、この記録映像から感じます。 DD501は軽便鉄道としては本格的な大型機関車でしたが、廃線後直ぐに解体されてエンジンは漁船へ転用搭載されたそうですね。 駿遠線の車両は蒸気機関車一台しか現存していないのが大変悔やまれます。頚城鉄道などは篤志家の方のご努力で貴重な車両が多く残りましたね。
昭和のころ、こうした軽便鉄道があちこちにありました。しかしモータリゼーションの進歩や、速度や利便性を求める時代の要請に答えられず、多くの軽便鉄道は消滅してゆきました。鉄道好きからしてみれば悲しい側面のある時代でもありました。 静岡鉄道駿遠線は昭和45年に廃止になりました。同じく762㎜軌間の鉄道は現在、三岐鉄道北勢線(三重県桑名市~いなべ市)と、四日市あすなろう鉄道の内部線(うつべせん)、八王子線(三重県四日市市)、黒部峡谷鉄道本線(富山県黒部市)の3社4路線のみが残るだけになってしまいました。軽便鉄道の最盛期には300路線以上が日本国内にありました(軌間は様々)。軽便鉄道は旅客需要等の少ない地方の田園地帯には適切でした。 しかし、このころの交通事情の最大の変化の特徴は、道路交通が飛躍的に進歩したことでした。当時まではなんでもかんでも鉄道輸送に依存していました。ところがこのころから、貨物輸送はトラック輸送へ、旅客輸送はバスやマイカーへと移っていったのでした。軽便鉄道が過ぎ行く時代の流れにあらがうことはできなかったのです。
コメントをありがとうございます。 戦後は全国の軽便鉄道が多くの人々の暮らしを支えてくれたのだと思いますが、当時の方がこのような映像を残して下さったおかげで モータリゼーションの発達とともに忘却の彼方へ消えていってしまったこの小さな功労者を思い出させてくれますね。
幼稚園の時に乗りました
当方は乗車体験がありませんが、当時乗られた方よりコメントを頂きまして、大変嬉しく思います。
物凄い乗車率。どの駅でも人が必ずいて、乗り降りもそれなり。 車何てすごい贅沢品だった時代だろうけど‥あと大井川の橋脚が開放的過ぎるww
コメントをありがとうございます。大井川通過時にデッキにいた学生さんは凄いですよね。
のゆ
???コメントをありがとうございます。
昔利用した大井川駅の映像を今観れるとは! 感激!軽便と呼んで利用していた。
当時実際に乗車された経験をお持ちの方よりコメントを頂きまして、ありがとうございます。
中学生の時、新藤枝駅から大井川まで乗った。懐かしいですねえ!
当時実際に乗車された経験をお持ちの方よりコメントを頂きまして、ありがとうございます。
軽便の全盛期でも、カラーだと比較的最近の動画に見えますね。それにしても新幹線や高速との交差がシュール。
あの時代の映像としては綺麗ですね。当時撮影して下さった方には本当に感謝したいと思います。
生まれ故郷を走っていた軽便! 当時はあまりにも当たり前の生活の中の一つでしたが、 今見るとその重要性、貴重性をしみじみと痛感します。 たとえ短距離でも再現する事を夢見て毎回ジャンボ宝くじを買ってます。 もし宝くじが当たったら復活に向け是非皆さんのお助け下さい!!
コメント頂きまして、ありがとうございます。藤枝に残る唯一の現存車両を整備して動態保存出来ると良いですよね。
なんだか貴重な所蔵映像をありが投稿ざいます。
コメント頂きまして、ありがとうございます。このような時代があった事を、次の世代に伝えていきたいですね。
幼少の頃、これに乗って父母に連れられ静波に海水浴に行ったのを思いだします。
実際に乗車された経験をお持ちの方よりコメントを頂きまして、ありがとうございます。
この映像は凄すぎる。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 当時撮影して下さった方に感謝したいですね。
10:07 あたりから流れているBGMが、曲名はわからないのですが、そうとう前のANAの機内安全ビデオと同じなのがやわらかいかんじでいいですね! 11:15 の荷台がなんともかわいいサイズ。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 客貨混合列車はある意味理にかなっているのかもしれませんね。
動画を借ります
駿遠線および中遠地方の歴史伝承に活用して頂けますとと幸いです。
静岡市の育ちで。エミナースの辺りが起点と聞きました、何処が駅跡だと探した事が有ります。150号を走れば痕跡が無いかキョロキョロ(危ない)、貴重な映像に感謝します、有料でも観たかったくらいです。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 一部の区間では今も当時の面影を色濃く残していて懐かしいですね。
駿遠線、ぜひ復活してほしいです
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 駿遠線の復活は当方も夢見ております。
懐かしい、よく線路で遊んでました。 大井川渡るのは恐怖でした。 終点が静波海岸で当時は海水浴が盛んで賑わっていたのを思い出します。
実際に乗られた方より大変貴重なコメントを頂きまして、ありがとうございます。 当時利用された方や平成生まれの若い方に見て頂きたくて、この動画を投稿させて頂きました。
この時代はコロナ感染が無い時代
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 今と比較すれば不便で貧しい時代でしたが、 殺伐とした雰囲気はあまり感じませんでしたね。
作られた時代も技術も構造も違う…塗分け線のそろわぬ凸凹編成…そして何より愛らしい小さな車体!!……あぁたまらない!!実にたまらない!!……ところどころに入る人々の姿も相まって、まるで当時の空気感まで伝わるよう……本当に素晴らしい動画ですね。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 現代と比べていろいろ不便な時代でしたが、良い事もありましたよね。 今駿遠線のホームに立つと、こんなに小さかったのか、、と驚きます。
4:20 すごい!昔の小堤山トンネル初めて見ました。 5:07 この看板今も残されていますね!今度、今現在の看板をもっとしっかり見てみたいと思います。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 小堤山トンネルは今も地元の方々が利用されていますね。 当時の看板は、手書きの書体が味わい深いですね。
この鉄道の沿線に住んでいるものです。ぜひこれに一度は乗ってみたかったです。とても貴重な映像をありがとうございます。今まで特に気にしていなかったのですが、ところどころに看板などの名残があるので気にしてみたいと思います。
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 地元にお住まいでしたら、乗車経験をお持ちの方がご近所にいらっしゃるでしょうし、 色々な興味深い思い出話を伺えるのではないかと思います。 藤枝市郷土博物館にも、唯一現存する機関車や駿遠線関連の資料が展示されていますね。
軽便鉄道に乗った事は有りませんが、自分の幼い頃のほのぼのとした風景か蘇りました…(*⌒▽⌒*)
コメントを頂きまして、ありがとうございます。 現在も営業運転中の四日市あすなろう鉄道は、 電車による運行ながら、軽便鉄道の雰囲気を残していると思います。
さよなら運行時は、3両・4両・5両の編成で運行していました。(静鉄駿遠線のみ)
コメントを頂きまして、ありがとうございました。 さよなら列車の運行から、いつの間にか半世紀近くも経ってしまったのですね。