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慈光寺 慈元チャンネル
เข้าร่วมเมื่อ 15 มี.ค. 2011
明日ありと思う心の仇桜ー今日できることは今日する。
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
という親鸞聖人が9歳の時に詠まれたと伝えられる歌の紹介です。
今の時代は余裕があるのか、スマホ触ったり、どうでもいい動画をみたりして
本当に大事なことは先延ばし、後回ししてしまいます。
また、これが片付いたら、卒業したら、仕事辞めたらとそのうち、そのうちと
言っている間に大事な命をかけている時間は過ぎ去ってしまいます。
いつまで生きていられるかわからないといって、不安で生きたり、自暴自棄に
なるわけではなく、元気に命がある間に何ができるのか、自分は何をしたいのかを
考え続けて、動いていきたいですね。
という親鸞聖人が9歳の時に詠まれたと伝えられる歌の紹介です。
今の時代は余裕があるのか、スマホ触ったり、どうでもいい動画をみたりして
本当に大事なことは先延ばし、後回ししてしまいます。
また、これが片付いたら、卒業したら、仕事辞めたらとそのうち、そのうちと
言っている間に大事な命をかけている時間は過ぎ去ってしまいます。
いつまで生きていられるかわからないといって、不安で生きたり、自暴自棄に
なるわけではなく、元気に命がある間に何ができるのか、自分は何をしたいのかを
考え続けて、動いていきたいですね。
มุมมอง: 133
วีดีโอ
自分が一番愛おしくていいですか?
มุมมอง 89ปีที่แล้ว
釈尊(お釈迦さま)に自分が一番愛おしくていいですか?という質問を投げかけた王様のお話です。 自分が一番好きというとわがままになってしまうかもという恐れがあります。確かに勘違いして執着や自分が正しいと思うことを押し付ける人になってしまうかもしれません。 ただ自分自身を愛おしむことは、自己中心的な自己愛ではなく、自己と他者とのつながりを大切にすることへとつながっていきます。 自分を大切にするからこそ、家族、同僚、ご縁のある人々も大切にすることができる。試行錯誤しながらも自分に慈悲や思いやりを与えると、感謝の心と共に周りの人にも慈悲や思いやりを発揮する事ができる。 私はなかなか自分で出来ていますと言えない状態ではありますが、自他共に幸せになるように歩んでいけたらいいなと思っています。
『汝は十二時に使われ。老僧は十二時を使い得たり』
มุมมอง 286ปีที่แล้ว
『汝は十二時に使われ。老僧は十二時を使い得たり』 中国の唐時代にいらっしゃった趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師の言葉です。 趙州禅師が お弟子さんに1日をどのような心を持って過ごしたら良いのですか?と問われたのに答える言葉です。 あなたは一日中時間に使われていて、振り回されているけれど、私は時間を使いこなしていますよ、主体的にその時その時を生ききっていますよということでしょうか。 忙しい中でも、目の前のことでなく過去の後悔や未来への不安を考えてしまう。 そして、受動的に状況に流されてただただ忙しい日々を過ごしてしまう。 限りある時間、命を使って1日をどう過ごすのか、真剣に日々選択して、 今なすべきことを成す。 使い得たりと言える時間を少しずつでも増やしていきたいです。
そのかごを水につけよ
มุมมอง 802 ปีที่แล้ว
浄土真宗本願寺中高の祖、蓮如上人の 「その籠を水につけよ、 わが身をば法にひてて おくべき」というお言葉からです。 このエピソードを聞いた時に思ったことなどをしゃべらせてもらっていますが もし興味を持たれたら、解説された本や記事などを調べていただければと思います。 長い間、勉強していて身にならない悔しさがあるものの、怠け心など自分で ひっかかりを作ってしまっている毎日。 つまらないことにこだわらず素直にこつこつと進んでいく大事さを思います。
物に感謝をする
มุมมอง 752 ปีที่แล้ว
9月4日は供養の日と最近制定されたということを聞きました。 お盆はご先祖様や生きとし生けるものの感謝をする良い機会でしたが、 物に対しての感謝も忘れてはいけないなあ、忘れがちだなと思います。 物、服、家具、家、乗り物、ありとあらゆる物に24時間囲まれて お世話になっています。 そのような事には気づかず、気づいてもすぐ忘れてしまい、 いい加減に扱っても、文句も言わずに働いてもらっている物の数々。 ずっとありがとうと言い続けることはできないですが、折に触れて 立ち止まり、心の中で感謝を伝える。 そうすると大事に物と触れ合うことができて、自分にとっても物に とってもお互いを活かしあうことができるのではないでしょうか。
お家でする送り火と迎え火ーお盆
มุมมอง 8762 ปีที่แล้ว
8月13日にご先祖様、故人の方を家にお迎えするために迎え火、16日にお見送りするために送り火をする風習が日本ではあります。動画では13日の夕方、16日の夜と言っていますが、ご家族の方が集まったりする兼ね合いで時間がずれたりしてもご先祖様に怒られるということはないでしょう。 皆様でお迎えしてお見送りする気持ち、「感謝のあらわれとしてこの灯りを目印に帰ってきたください」「いつも見守っていただきありがとうございます。」と祈る気持ちが大事です。 お盆の間は亡くなられた方のお話を皆でしたり、故人がみんなどうしているのかなと見られているおつもりで過ごしていただくのもいいかなと思います。
合掌のススメ
มุมมอง 1053 ปีที่แล้ว
手と手をあわせるということは、縄文時代の合掌土偶の出土からもわかるように、 何千年も前から行われていた行動です。 神仏、ご先祖様にお参りする時やご飯をいただく時、畏敬の念と感謝を持って 合掌します。インドやタイなどの国々でも相手に対する敬意をこめて挨拶のときに 合掌されます。 手と手のひらをあわせて、合掌すると 怒りや欲などがおさまり、心が穏やかになります。 また自然と感謝や当たり前というおごりの気持ちが薄れていくように思います。 忙しい中、時にはゆっくりと手と手をあわせて、ありがとうございましたと 感謝する時間を持つことができれば、それは幸せなことではないでしょうか。
施す者は天に生れ、受くる者は獄に入る
มุมมอง 643 ปีที่แล้ว
施す者は天に生れ、受くる者は獄に入る この言葉は 前回の動画でお話させていただいた 願文にのっている 生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪とならん」の後に書かれている言葉です。 伝教大師は、19歳の時に書かれた願文で わたしはこのような決意のもとに比叡山に入り、このような姿勢で修行に精進しますという決意を表されています。 この言葉もご自身に対する叱咤激励で地獄に落ちるぞとかおどしの文句ではありません。 なので、意味としては 「この世にあって布施という良い行為をした人は来世にあっては天界に生まれる。しかし、布施を受けた人が受けるに相応しい人でなければ死んだときに地獄に堕ちてしまうだろうと」なりますが、 伝教大師が、私は修行をして自分を磨いて人の役にたてるようになります。 そして自分が布施を受けるのに相応しい人間だろうか そうでなかったら地獄に行く覚悟であると表明されてい...
生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪とならん
มุมมอง 333 ปีที่แล้ว
伝教大師は、願文という600字足らずの文章を19歳の時に書かれました。 この願文で 「わたしはこのような決意のもとに比叡山に入り、このような姿勢で修行に精進します」 という事を述べられています。 「生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪とならん」 という言葉を 他の人に言えば脅しのようになるかもしれませんが、自分の決意の現れとして 自分を鼓舞する意味もあるのかなと思います。 良い事をできたらしたいなと思っても、起こすのが難しいのが善心、 保っていくのも難しいもの。 いろいろなご縁とおかげを持って、 生きている今の人生の中で、怠けそうになる自分の心を鼓舞する 言葉として、参考になるかと思い紹介させていただきました。
元三大師みくじーおみくじについて
มุมมอง 3353 ปีที่แล้ว
日本のおみくじの元祖といわれている元三大師御籤から おみくじの捉え方についてです。 初詣や観光などで気軽におみくじをひくのもいいですが、 せっかくの機会などで、丁寧にお参りして、悩みや気になることなどを神仏からのお言葉として 自分の生活に活かしていただけたらなと思います。 今年の運勢みたいな思いでひいても気づきがある場合もありますが、 具体的にこういうことをしようと思いますが、どうでしょうかと思って 引くほうが真剣度が増し、身になります。 今はおみくじで悩みの解決のヒントを頂くというようなことは少ないかもしれませんが、 江戸時代などでは多くの方が頼られていたもようです。 元三大師みくじは将来を予言するものでも、運勢がどうこうとか 自分の決意を後押しするために引くものではありません。 悩んで悩んで自分では決めかねる時に、観音様や元三大師様に決めていただくと...
お盆 施餓鬼会の由来其の二 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』
มุมมอง 3374 ปีที่แล้ว
お盆 施餓鬼会の由来其の二 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』
身の引き締まるお話をありがとうございます。とてもわかりやすいお話で深い気づきとなりました!
心穏やかになるお話をありがとうございます。周りにあるものに感謝し、置かれた環境、すべてに感謝し1日一生でありがとうで今日もお休みします。楽しい動画です⭐︎
忘れられがちな大切な考え方だと思います!わかりやすくお話いただき、ありがとうございます!
とても大切なことを、分かりやすく教えて頂きありがとうございます。 車に乗る際に毎度"私の前と後ろと右と左を開けてください""今日もよろしくね"ありがとうと祈ってますが、包丁触る前やシャワーにも優しい気持ちでいつもありがとうって関わらせて頂きます^_^愛しくなりそうですね⭐︎心温かくなるお話ありがとうございます
南無大師遍照金剛🙏
合掌は様々深い意味合いあるそうな 合掌にパワーが宿るいい智恵が生まれると説くのは大変良い学びになりました まさに、 説くを 徳とし伝授 ありがとうございます 合掌🙏
御神籤は、 てんじゅく~戸隠神社~比叡山へ伝わり 日本の社寺に伝承されたとは深い話し 合掌🙏
南無元三慈恵大師常住金剛🙏
仏教ペーペーの私にとっては、全て天上の方々。せめて菩薩様の足下くらいには、死ぬまでに行き着きたいです、、、
期待日本的佛教可以進化成以戒律為最勝(出家僧人不再娶妻生子的陋習啊)🤨🤨🤨南無阿彌陀佛
物にも命が宿る、とても共感出来ます。 作ってくださった方の心、使う自分の気持ちがそのものに宿るのでしょうか?いろいろな物にも普通に話しかけて、変なヤツと思われたりします💦 特に、使われなくなった廃墟、線路、様々な道具など、特に不思議な感情を受け止めて、思わず立ち止まって話しをすること、よくあります。 物質も感情も全て、宇宙ができた時から存在するエネルギーですね。粗末に扱ったりしないよう、改めて反省いたしました。 ありがとうございました。
コメントいただきありがとうございます。 いろいろなところからメッセージを受け取られてお話されるとか素晴らしいですね。 私も急に立ち止まったりしたりして変な動きをしている様な気もします。^ー^ しかし、あわてていたりすると物をぞんざいに扱っていたなあと思い返すこともあり、丁寧に日々触れ合っていきたいなと思い、自戒をこめてお話させていただきました。
こんばんは。
こんにちは、見ていただいてありがとうございます
大変勉強になり、次におみくじを引くときは、違う心持ちでと思いました。凶こそ、ポジティブに捉えて持ち帰りたいですね。ありがとうございました😊
来ていただきありがとうございます^ー^
すっごく素敵な言葉ですね!! 私は今年中学校を卒業するので、後輩にこの言葉をプレゼントしたいと思います!!✨ 素晴らしい動画をありがとうございます!
そんな風に言っていただいてうれしいです。ありがとうございます☆
鈴木大拙の考える自由は、liberty (~からの自由)とは随分異なるものです。freedom という訳語とも異なります。freedom には「創設」という意味があります。 ちなみに、政治的改革はまずleberty からfreedomへと進みます。肘を外に曲げようとする、あるいはそうしたいと願うのはlibertyに近いでしょう。肘は外に曲がらないのが自然(じねん)なのです。ありのままをありのままに認める。これが東洋的自由でしょう。「松は松であり、竹は竹である」こと、これこそ自由の真骨頂です。
教えていただきありがとうございます。
奇をてらわない、実にオーソドックスな 動画作りは、素晴らしいと思います。
「武士は食わねど高楊枝」も我慢なのか否か? 古来日本の上流社会が最も重視してきた精神 なんですが・・・。
今の言葉の使い方だと、我慢と忍耐の境目がよくわからないところですね。 武士は食わねど高楊枝は、無私の奉仕や誠実な生き方、辛いことがあっても、気品高く生きていこうという武士の気概のように感じられます。
有難うございました。 しばらく痩我慢(福沢) してみます。@@jigen5
わかりやすくて、とても勉強になりました。 仏教を毎日の生活に落とし込むことができそうです^ ^ 早速やってみたいことがたくさんありました! ありがとうございます。
コメント頂きありがとうございます。 お言葉いただき嬉しいです^ー^
「山登り」に惹かれて拝聴させていただきました。 Only oneの自分の山に登る修行、素敵な表現ですね。心にしみました。
ありがとうございます。山登りが趣味なのもあってか、良い言葉だなあと思って紹介させていただきました。
平生が臨終ー「出る息の後に、再び入る息が来ると約束されるものではない」ーとは よく言ったものですね。
「出る息の後に、再び入る息が来ると約束されるものではない」確かに、呼吸は大事でありがたいことなのに、すぐ忘れてしまい、怠ける方に流れてしまいがちです。時にふれて思い出したい言葉です。
白隠善師の養生?の本買ってみました。毎日脱力の時間を作っています。快適です。
コメントありがとうございます。白隠禅師の夜船閑話とかの本でしょうか。白隠禅師は書やお話もたくさん残されていて、今の私達にもいろいろな事を教えていただいているなあと思います。
そうです、そんな感じの本です!@@jigen5
餓鬼道に堕ちた人に餓鬼「の方」という 呼称を用いるのは 多分 この住職だけ ではないかと思います。餓鬼の方も この僧ならばと救いを求めてくることでしょう。 私もこれから 地獄の方 畜生の方 修羅の方と呼ぶことにします。
ありがとうございます。 餓鬼界にいらっしゃる方は、執着や貪り、怒りの心に引きずられてなられた方と言われています。 自分を振り返りまして、思い出して後悔すること、貪瞋痴、くよくよする事などもいろいろあり、こういう状況にならないように精進しなさいと言われているような気がいたします。
Protection from Evil... ! 貪りの気持ち、本能に従わないで、ケーキを切るときも、自分だけ大きく切らないように、、、怒り、執着心、Oh no!! 気をつけます!!貪りの気持ちは際限がない、、いろいろなお布施について、人のためになるように考える、、 煩悩はあるから、それをコントールするように、、Thank you for your sermon!!
ありがとうございます。sermonというのは説法とかの事なんですね、初めて知りました。
いつもありがとうございます。
見ていただきありがとうございます。
自分で自分の事に気づくことは大変難しいですね。客観的に自分を把握することは難しいですね。 ありがとうございます。合掌
ありがとうございます。色眼鏡もありますし、自分で自分の事に気づくのは難しいですね、いろいろ工夫するのと、言い合える友人というのが大事だなと最近特に思います。