- 72
- 181 741
日本神話の神様に逢いにいくch.
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 13 ธ.ค. 2020
ホツマツタヱと繋がる神社巡りをしています。
最近では、研究者の先生方のサイトを参考にさせていただきながら、ホツマツタヱの原文を自分なりに解釈することに挑戦して原稿を作っています。
私の理解力が至らず、間違った表現もあるかもしれませんし、映像制作も不慣れで見苦しい点もあるかと思いますが、神社の雰囲気とホツマツタヱの世界を感じていただけると幸いです。
伊勢乃志摩子のブログ
xn--qoqp7gl6ozre.com/
最近では、研究者の先生方のサイトを参考にさせていただきながら、ホツマツタヱの原文を自分なりに解釈することに挑戦して原稿を作っています。
私の理解力が至らず、間違った表現もあるかもしれませんし、映像制作も不慣れで見苦しい点もあるかと思いますが、神社の雰囲気とホツマツタヱの世界を感じていただけると幸いです。
伊勢乃志摩子のブログ
xn--qoqp7gl6ozre.com/
ホツマツタヱ最終章 40綾 熱田神 世を辞む文
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話
◉目次
0:00 ヤマトタケ君は木曽路から尾張へ
0:51 伊吹山 荒ぶる神
1:35 尾津で一本の松の木
3:21 我が世を辞むの歌 「熱田宣り」
4:44 白い鳥(シライトリ)
5:20 兄はヲヲウス諱モチヒト 弟はコウス諱ハナヒコ
5:40 長ける(タケル)の名前
6:24 御子の名 后の名
5:59 ミヤズ姫と謳い合う
9:45 神送り
15:11 ヤマトタケはソサノヲの転生
18:17 鹿島神楽の獅子舞
18:54 「神代のホツマの道」の四十文
ホツマツタヱは天地開闢から東の国作りから大和の国へ代々受け継がれる天皇の国作りの物語 命からがら守ったホツマツタヱが 滋賀県の高島にある日吉神社で見つかったという奇跡 勉強を重ねるごとに ヲシテ文字は縄文時代の神代文字ではなく タブーだった史実を来世に伝えるための暗号だったのでは?と思えてなりません。 私の動画は 見辛い点も、至らない点も多くありますが 最終章まで辿り着くことができました。 そして旅先で沢山の素敵な神社、景色に出会えました。 今、ホッと胸を撫で下ろしています。
🌟お勉強させていただき ありがとうございました🙏
◉ほつまつたゑ 解読ガイド
gejirin.com/
◉朝倉未魁の超訳ホツマツタヱ
hotsuma.anyone.jp/mikai/
◉池田 満の定本〔ホツマツタエ〕―日本書紀・古事記との対比
amzn.asia/d/9rL01KR
◉はじめてのホツマツタヱ 地の巻
amzn.asia/d/5TVYpmr
◉ホツマツタヱってなに?【CGS いときょう 縄文ホツマツタヱの旅 第1回】
th-cam.com/video/R2B2Sf5c_IU/w-d-xo.htmlsi=rj9zkyjPADgXUqen
◉ホツマツタヱ基本講座その1 日本人は必見‼︎ 縄文からのメッセージすごいぞ!ホツマツタヱ
th-cam.com/video/A_CA0CGWz0A/w-d-xo.htmlsi=-zFaDexZXT-O--li
◉NAVI彦さん
th-cam.com/video/Bs5Irh-qPvU/w-d-xo.htmlsi=4Mdoa5OAqqvKWLRl
◉ミカヅキさん(3KAZUKI)
th-cam.com/video/xEHBgJLXops/w-d-xo.htmlsi=op5grjkusAJeZet3
◉目次
0:00 ヤマトタケ君は木曽路から尾張へ
0:51 伊吹山 荒ぶる神
1:35 尾津で一本の松の木
3:21 我が世を辞むの歌 「熱田宣り」
4:44 白い鳥(シライトリ)
5:20 兄はヲヲウス諱モチヒト 弟はコウス諱ハナヒコ
5:40 長ける(タケル)の名前
6:24 御子の名 后の名
5:59 ミヤズ姫と謳い合う
9:45 神送り
15:11 ヤマトタケはソサノヲの転生
18:17 鹿島神楽の獅子舞
18:54 「神代のホツマの道」の四十文
ホツマツタヱは天地開闢から東の国作りから大和の国へ代々受け継がれる天皇の国作りの物語 命からがら守ったホツマツタヱが 滋賀県の高島にある日吉神社で見つかったという奇跡 勉強を重ねるごとに ヲシテ文字は縄文時代の神代文字ではなく タブーだった史実を来世に伝えるための暗号だったのでは?と思えてなりません。 私の動画は 見辛い点も、至らない点も多くありますが 最終章まで辿り着くことができました。 そして旅先で沢山の素敵な神社、景色に出会えました。 今、ホッと胸を撫で下ろしています。
🌟お勉強させていただき ありがとうございました🙏
◉ほつまつたゑ 解読ガイド
gejirin.com/
◉朝倉未魁の超訳ホツマツタヱ
hotsuma.anyone.jp/mikai/
◉池田 満の定本〔ホツマツタエ〕―日本書紀・古事記との対比
amzn.asia/d/9rL01KR
◉はじめてのホツマツタヱ 地の巻
amzn.asia/d/5TVYpmr
◉ホツマツタヱってなに?【CGS いときょう 縄文ホツマツタヱの旅 第1回】
th-cam.com/video/R2B2Sf5c_IU/w-d-xo.htmlsi=rj9zkyjPADgXUqen
◉ホツマツタヱ基本講座その1 日本人は必見‼︎ 縄文からのメッセージすごいぞ!ホツマツタヱ
th-cam.com/video/A_CA0CGWz0A/w-d-xo.htmlsi=-zFaDexZXT-O--li
◉NAVI彦さん
th-cam.com/video/Bs5Irh-qPvU/w-d-xo.htmlsi=4Mdoa5OAqqvKWLRl
◉ミカヅキさん(3KAZUKI)
th-cam.com/video/xEHBgJLXops/w-d-xo.htmlsi=op5grjkusAJeZet3
มุมมอง: 309
วีดีโอ
ホツマツタヱ39綾 ホツマ討ち 連歌の文
มุมมอง 1972 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話 今回の動画の酒折宮は、3月末のまだ桜が咲いていた日の映像です。その時は無性に惹かれて連歌が刻まれた石碑を撮影していたのですが、なんと全く同じ内容の歌が39文にあり 。いつも導かれるように行動し、何も考えず導かれるように撮っていますが、その歌を見て感動しました。 本来、原稿を作ってからお参りするのですが、今回は原稿が後になっています。 いよいよ最終章の40文を作っていますが、熱田神宮ももう撮影済みです。さてどんな動画になるのか、是非チャンネル登録をしていただけると幸いです。どうぞ宜しくお願いいたします。 ◉目次 0:00 纏向の日代の御代四十年六月サウヱ (アスズ827年) 1:14 ヤマトタケ 父の景行天皇から矛を授かる 3:00ヤマト姫はから叢雲の剣を授かる 4:38 ヤマトタケ 剣で草を薙ぐ 6:18 オトタチバナ姫 11:29 酒折の宮 12...
ホツマツタヱ38綾 日代の代 熊襲討つ文
มุมมอง 1172 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話 ◉目次 0:00 ヤマトヲシロワケ 景行天皇 即位の儀式 0:38 臼の端で餅花を作っている時産まれた双子の男の子 1:17 紀の国に神を纏る(日前国懸神宮) 1:41 タケウチ産まれる(武内宿禰) 15:31 ヰモノ姫クスコ内親王が妹背の神を祀る斎主 16:13 神のり粥の文 17:29 ヤマトタケの名の由来 20:16 私が想うこと 21:09 エンディング 百鬼夜抄_-ひゃっきやしょう- *・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・ ・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・ ・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・* 兄の名は ヲウス皇子 斎名モチヒト 弟の名は コウス皇子 斎名ナヒコ のちのヤマトタケです。 景行天皇と皇子ヤマトタケの国平定 その中で、ヤマトタケの名前の由来がわかります。 武内宿...
ホツマツタヱ37綾 鶏合せ 橘の文 / タジマモリは常世の国から橘を持ち帰った。
มุมมอง 2373 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話 今回は淡路島に渡り、出石神社の石碑に 失くなった出石小刀が神と祀られたことが書かれていました。 そのあと、タジマモリさんが祀られている 兵庫県豊岡市に中嶋神社に向かう・・・ 走行中、所々で見かける「但馬」の文字 「もしかして地名の由来はタジマモリさん?」 毎回、ナビに設定した神社に辿り着くまで ワクワクドキドキと発見の連続です。 橘の実はお菓子という分類だったそうで タジマモリさんはお菓子の神様としてお祀りされていました。 そんなタジマモリさんのお墓は 奈良の垂仁天皇陵のすぐ近くにありました。 そして、その線路沿いではなら橘プロジェクトさんにより 橘の実も沢山育てられていました。 ◉目次 0:00 垂仁天皇の御代 0:22 兄のヤマトヒコが亡くなる 0:50 御子ヰソキネと タリヒコの望みを叶える 1:25 埴偶を 生きている者の代わりに 陵に 埋...
ホツマツタヱ36綾 ヤマト姫 神鎮む文 伊勢神宮創建
มุมมอง 2434 หลายเดือนก่อน
#垂仁天皇 #伊勢神宮創建 #倭姫 ◉目次 0:00 后のカバイツキ姫 1:08 后のヒハス姫がヤマトヲシロワケ諱タリヒコ(12代景行(けいこう)天皇)を産む 1:41 ホンツワケの物語 3:14 アマテル大御神の祀りを トヨスキイリ姫からヤマト姫へ 5:15 五十鈴川でサルタヒコが待ち受ける。 7:18 アマテル大御神の御霊を五十鈴川の サコクシロ 宇治に遷座 7:43 アマテルヲヲンカミのご神託 8:15 鰹木と千木の方法 9:10 私が思うこと 音楽 航海 10:02 エンディング 百鬼夜抄_-ひゃっきやしょう- アマテルヲヲンカミのご神託がヤマト姫に降りました。 「 昔、我が住んでいたサコクシロは 敷波寄せる この伊勢の宮だった。ここで永く鎮まりトヨケ神と共に 世を見守りたい。」 ヤマト姫がこのことを君に告げると 君は喜び 和幣を捧げトヨケ神を勧請するように勅使を三輪のミケモ...
ホツマツタヱ35綾 ヒボコ来たる 相撲の文(出石神社・相撲神社)
มุมมอง 2774 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話 ◉目次 0:00 崇神天皇から垂仁天皇の御代へ 0:37 崇神天皇陵 0:52 新都を纒向珠城宮(マキムキタマキミヤ奈良県桜井市巻野内)に遷す 1:35 アメヒボコが献上した八種の宝 3:05 内后のサホ姫と兄のサホヒコの悲しい結末 6:08 カバヰ ツキ姫を 后に召し 妹の カグヤ姫 を内侍に 6:25 當麻のクエハヤの力 6:58 相撲の起こり 7:44 私が思うこと 8:25 エンディング 百鬼夜抄_-ひゃっきやしょう- 兵庫県出石郡出石町宮内・・・新羅の国の王子 アメノヒボコが11代垂仁天皇に献上した出石小刀、出石矛など八種の神宝 が出石神社に祀られる理由が、ホツマツタヱ35アヤでわかり、ただただ驚くばかり。兵庫県→奈良県→滋賀県 1泊2日の車中泊旅。山と川の風景に癒されながら・・・初めての場所にワクワクしていました。 今回は垂仁天皇の代...
第41回 斎王まつり ~Remember the first prayer~
มุมมอง 5724 หลายเดือนก่อน
令和6年6月1日(土曜日) 13時: 禊の儀・・社頭の儀(斎王の森) 斎王群行〜さいくう平安の杜 ライブイベント 19時10分 夜の斎王群行・花火 ※斎王市・いつきのみやMARKET同時開催 斎王(さいおう)とは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことです。 この制度は、674年(天武天皇の時代)に始まりました。 天武天皇が壬申の乱で勝利した後、その感謝の気持ちを表すために、大来皇女(おおくのひめみこ)を伊勢に送り、天照大神に仕える役目を与えたのが始まりです。 斎王制度はその後660年以上続き、60人以上の斎王が存在しました。 制度が確立した後の斎王は、「卜定(ぼくじょう)」という占いで選ばれました。斎王は「斎王群行(さいおうぐんこう)」という五泊六日の旅を経て伊勢へ向かい、そこで神に仕える生活を送りました。斎王の 期が...
ホツマツタヱ34綾 ミマキの代 任那の文と一致 39個の銅鐸が出土した。そしてヤマトモモソ姫が卑弥呼だった。
มุมมอง 5055 หลายเดือนก่อน
◉目次 0:00 オープニング 0:26 乙女の歌でミマキイリヒコ(崇神天皇)の危険を察知する。 2:36 四道の軍出発 2:51 ヤマトモモソ姫は大物主の妻になる 3:28 ヤマトモモソ姫の箸塚 4:17 はつくにしらすミマキ(回帰)の代 トヨキヒコとイクメイリヒコ 世継ぎの夢占い 6:41 那の文(みまな:古代の朝鮮半島南部の国名) 10:00 ミコソ宝のミカラヌシは39個の銅鐸 13:03 ミマキイリヒコ(崇神天皇)の亡骸を山辺に送る。(奈良県天理市柳本町) 13:17 私が思うこと。 エンディング 百鬼夜抄_-ひゃっきやしょう- 歌にあった『ミコソ宝のミカラヌシ』の訳は39個の銅鐸・・・ これをフリネの遺体と共に谷に括り葬った・・・ この39個の銅鐸が平成八年10月に 島根県雲南市加茂町岩倉の農道工事現場で出土したことが ホツマツタヱ34アヤと一致し、ホツマツタヱが史実で...
ホツマツタヱ33綾 神崇め 疫病治す文 (第10代崇神天皇)
มุมมอง 6375 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話 ミマキイリヒコ(崇神天皇)の時代に疫病が蔓延し、半分の人が亡くなりました。 神を正しく祀っていないからと気付き、イシコリドメの子孫に鏡を、アマメヒトツの子孫に剣を新たに造らせて、宮を遷す。 それでも治らないのは大物主の心にあった。 我の末裔のオオタタネコに祀らせよと神託があり、オオタタネコを探す。 ◉目次 0:00 ミマキイリヒコ 天津君となる。 0:36 オオヒコの姫ミマキ姫 を后に召す。 1:04 磯城瑞籬に 新都を遷す。 1:29 鏡と剣を新たに造らせる。 2:12 疫病が流行し、 半分の民が亡くなる。 2:52 モモソ姫の湯浴び 大物主の神託が降る。 4:16 オオタタネコを探す。 5:20 神を崇めて 神名文を作成 ようやく疫病が治る。 5:44 タカハシ のイクヒが 酒を造り三輪神に奉る。 7:50 乙女の歌 8:26 大神神社の大鳥居...
ホツマツタヱ32綾 富士と淡海 見つの文(第7代〜第9代・歴代天皇の物語)
มุมมอง 5596 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話 歴代天皇の物語 第七代孝靈天皇・第八代孝元天皇・第九代開化天皇 ◉目次 0:00 オオ ヤマトフトニの 天津君 諱ネコヒコ 即位(第七代孝霊天皇) 0:19 黒田の廬戸宮に遷都(奈良県磯城郡田原本町黒田) 2:20 諏訪の斎主が富士の絵を、シラヒゲの孫 アメミカゲ が淡海の絵を 贈る 4:18田子浦タコノウラの人 から藤の花を献上され、ハラミ山を「藤の山」と名付ける。 6:18 ヤマトネコヒコクニクル 即位(第八代・考元天皇) 6:35 新都 を軽境原(カルサカイバラ)に遷す。(奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社) 6:48 父オオヤマトフトニ(7代孝霊天皇)の 亡骸を馬坂(むまさか)に納める。 孝霊天皇片丘馬坂陵 奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目 7:02 ワカヤマトネコヒコ産まれる(第9代開化天皇) 8:58 ヤマトクニクルの天君崩御(第...
ホツマツタヱ 31綾 直り神 三輪神の文 (歴代天皇陵巡り)
มุมมอง 1.9K7 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #天皇陵 ◉目次 0:00 オープニング 0:26 タカクラシタの功績 1:05 タカクラシタに”弥彦守 ”名を授ける 1:17 神武二十四年 カンヤイミミ産まれる 1:42 神武二十六年の冬 カヌカワミミ産まれる 4:12 サミトの年、四月一日 腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘 4:44 カヌカワミミ即位 5:07 神武天皇 崩御 5:38 タギシミミを討つ 8:53 初代神武天皇:畝傍山東北陵 9:24 カヌカワミミ(第2代綏靖天皇)の新体制 9:59 住吉の神と大物主と中臣を合わせ『直り神』と呼ぶ由縁 12:16 アメタネコの神上がり 12:34 カヌカワミミの神上がり 13:00 タマデミ即位 命名の由来(第3代安寧天皇) 14:08 第2代綏靖天皇:桃花鳥田丘上陵 15:25 第3代安寧天皇:畝傍山西南御陰井上陵 14:15 片塩の浮穴に都を遷す...
神武天皇 建国記念日(令和6年 紀元祭 橿原神宮にて) ホツマツタヱ 30綾 天君 都鳥の文 を学ぶ
มุมมอง 1.1K8 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタエ #神武天皇 #紀元祭 ◉目次 0:00 天君と呼ばれるきっかけ 0:25 三種の神宝を授ける作法 1:04 神武東征 回想 1:57 即位 3:02 都鳥の唄 4:16 璽(しるし)の御箱を君に奉る 4:21 鏡と剣を授ける 5:27 詔 6:05 疫病の流行 直りの祓 6:33 タケヒト、家名を賜る 「直り物主神」「 直り中臣守」 7:17 カンヤマトイハワレヒコの詔 8:08 私が思うこと 9:00 エンディング 百鬼夜抄_-ひゃっきやしょう- 音楽 ・航海 dova-s.jp/bgm/download11402.html ・ユーキヒロセ th-cam.com/video/JOjsMSDfFeA/w-d-xo.html th-cam.com/video/1Y898WNfuTQ/w-d-xo.html ご視聴ありがとうございました。 神武天皇の即位の様子が伝わる...
ホツマツタヱで描かれている神武東征 (29綾 タケヒトヤマト打ちの文)
มุมมอง 2.8K8 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神武天皇 #八咫烏 今回の主役は神武天皇 斎名タケヒトはウガヤフキアワセズとタマヨリ姫の四人兄弟の四番目 兄のイツセ・イナイイ・ミケイリは東征中に亡くなります。 ようやく国を統 治することができアマノタネコと大物主クシミカタマに 「宮を遷すので良い場所を探しなさい。」と詔を降し奈良県の橿原に橿原の宮が造られ 八重事代主ツミハとタマクシ姫の子 タタライスス姫を后として迎えました。 「神武」の云われもこの章でわかります。 ぜひ最後までご視聴くださいませ。 ◉目次 0:00 カンヤマトイハワレヒコについて 0:15 ウガヤフキアワセズから皇位を譲位 0:34 国が乱れる 1:14 タケヒト45歳 これまでの歴史を語る 2:24 神武東征 出立 3:35 戦によりイツセ亡くなり、日に向かって戦ったことを改める 4:52 兄 イナイイ、ミケイリを失う 5:17 熊野 荒坂に上...
ホツマツタヱ 28綾 君臣 遺し宣りの文(後半)
มุมมอง 5689 หลายเดือนก่อน
#ホツマツタヱ #神社 #日本神話 ◉目次 0:00 ホツマツタヱ 28綾君臣 遺し宣りの文(後半) 0:53 大物主のクシミカタマはお触れを出し、物部たちがアマノコヤネを導きました。 3:08 新しい暦名はアスス 3:38 三女神 (タケコ・タキコ・タナコ) 4:32 九頭の大蛇 7:03 アマノコヤネの神上がり 10:04 御裳裾について 10:50 サルタヒコアサカの海で溺れる 11:50 ナガスネヒコの行動にツミハは許さなかった 12:30 クシミカタマが記す文はここに納められました。 13:06 ご挨拶 14:00 エンディング 百鬼夜抄_-ひゃっきやしょう- BGM ・航海 ・きらめく世界(Shimmering_World) ・青空と君と 前半は アマテルヲヲンカミの神上がり 後半はアマテル神の左大臣であったアマノコヤネの遺言からここまでのホツマツタヱを編纂したクシミカタ...
伊勢神宮 内宮 月次祭 奉幣(2023年12月17日(日)正午)
มุมมอง 59210 หลายเดือนก่อน
外宮先祭と云われるように12月の月次祭の奉幣の儀は、昨日16日、伊勢神宮外宮で行われ 日付が変わった17日 伊勢神宮 内宮で行われました。 月次祭は神宮で最も由緒ある祭典の一つであり、 10月の神嘗祭と6月の月次祭と合わせて「三節祭」と呼ばれます。 この祭りでは、深夜の10時と午前2時に由貴大御饌の儀式が行われます。翌日の正午には奉幣の儀式が行われ、皇室の繁栄や豊かな収穫、国の繁栄、そして国民の平和を祈願します。
ホツマツタヱ28綾 君臣 遺し宣りの文(前半)/ アマテルヲヲンカミの遺言(令和5年11月18日撮影)
มุมมอง 39711 หลายเดือนก่อน
ホツマツタヱ28綾 君臣 遺し宣りの文(前半)/ アマテルヲヲンカミの遺言(令和5年11月18日撮影)
ホツマツタヱ23綾 御衣定め 剣の名の綾 (大和神社・大神神社・狭井神社・多度大社・神麻続機殿神社・神服織機殿神社)
มุมมอง 731ปีที่แล้ว
ホツマツタヱ23綾 御衣定め 剣の名の綾 (大和神社・大神神社・狭井神社・多度大社・神麻続機殿神社・神服織機殿神社)
古事記で??と思っていたこともホツマツタエなら納得がいくんですね。私も最近、元々神社巡りから古事記や神様に興味をもち同じようにどっぷりハマっています!ホツマツタエをこれから調べていこうと思います。笠置神社と共に訪れたいと思います☺
古事記で、左目を洗って天照大御神が生まれたというのは、左目を洗って日に祈ったからだったのですね。 深くて素敵ですね。 ホツマツタヱの伝承地巡り、良い思い出になりました😊
社務所のあるえびす町は隣の西宮神社からと思います。西宮神社自体は明治に鎮座されたようですが、ホツマ的にはヒルコはワカヒルメ、ワカヒメ、つまりアマテルのお姉様であり、恵那山を越えると阿智村に座すのはアチヒコオモイカネ、つまり旦那さんを祀る阿智神社があり、逆に中山道を京都方面に進むと各務原に手力男(息子)神社がある。 ホツマ的解釈をすれば、西宮神社がこの地にあるのも納得、なんて最近思いました。
コメントありがとうございます。 西宮神社はずっとずっと気になっていました。 ワカ姫様とアチヒコ様、タチカラオさんとの位置関係に、気付けなかったです。ありがとうございます。 ホツマツタヱと伝承地 古代歴史に想いを馳せながら🍀
Happy birthday 🎶…長いあいだお疲れ様でした…いつもとても楽しく拝見させていただきました…今後のご活躍をお祈り申し上げます…そして過去の配信をもう一度拝見させて頂きまた可笑しげなコメントさせて頂くかも…ありがとうございました😄
ありがとうございます😊 無事、40文をアップすることができホッとしています。 毎度、高速道路での事故が心配でしたが 車に付けている沢山のお守りに守っていただきました。 そして私にとって一生の宝物が出来ました。 いつも私の無謀で突っ込みどころ満載の動画にお付き合いいただいて、沢山の情報を教えていただきありがとうございました。そしてコメントも楽しみにしておりました。 どこかでこんなお話しが出来る交流の場があればいいですね😊 是非是非、過去動画にもコメントいただけると嬉しいです🍀 ありがとうございました😊
配信ありがとうございます♪ ホツマの教えにあるように何回も見返したいと思います。
嬉しいコメントありがとうございます😭 私も思い出を振り返りながら、何回も見たいと思います。 そして、教えを守り、真っ直ぐ忠に生きていきたいです😊 ご視聴ありがとうございました🙏
お疲れ様でした…ヤマトタケ39歳12月8日に大磯を出て帰りの多賀城跡から1月28日に小野に帰る道のりは…余談ですが…白石から郡山市を通り新治宮の現宇都宮二荒山神社へ…この道はその昔多賀に御幸のアマテルが大陰暦を元に建てた新治宮を認めずウツロヰに見張らせた時と同じ道…当時ウツロヰのために5日で建てた社が奇跡的に1974年郡山市現東丸山遺跡跡で大小の円筒形土管・オゴロ兄弟とともに発掘されています…そしてハラの臣となった徐福の子孫ソロリヨシタケの後裔ソロリ(徐)は日立の武田に…津軽蝦夷のホツマ暴動とその5人国造同行と後の息吹の待伏せも仕組まれたか…。 いよいよラストですネ…頑張ってください😄
ありがとうございます😊 宇都宮二荒山神社が新治宮だったのですね。 私にとって、ハラミの宮に続く謎のニハリ宮 でした。 東丸山遺跡、凄いですね。オゴロ兄弟はモグラだと思っていました🤣 息吹の神は蛇の化身っていうのがよくわからなかったですが、大物主さんも蛇でしたね。 40文もヤマトタケが白鳥になって、棺の中は衣類が残るだけで空っぽだったと、、これにもその時偶然イトリを見かけて、そう思いたいという景行天皇の思いが隠されているのかもしれませんね。 撮影は終わったつもりでいましたが、原稿を作っていると、ヤマトタケの御陵も気になってきました。 家事以外はパソコンに向かう毎日。 ひとつひとつ理解を進めていくことは楽しいです。 頑張ります💪🏻
@@isenoshimako「 雲はヤマトの国の真帆…」から船の進化発達により海外との交流も種子島から筑紫出雲津軽まで…子孫の赴任と共に箸塚(前方後円墳)を全国に広めた力があるのに文字も下ださず貨幣もない時代遅れのヤマト…"ウチト"の出現も時代の流れでしょうか…次回最終たのしみにしています…。😄
国のまほろばと誤訳するところでした。 船の時代らしい表現ですね。 ありがとうございます😊 頑張ります💪🏻
お疲れ様…いよいよ初代スヘラギ・カンタケより12代最後のヲワケ 余談ですが…寿命や イミナ(諱)を明かさないこの時代に兄のイ'ミナ・ヰソキネに気遣い日嗣を遅らせたイ'ムナ・"タリヒコ"…81歳になり父存命なら137歳は360年前ネコヒコの父でカツギ(葛城)ヰココロの"タリヒコクニ"と同じ…父の殯33年…ヲワケも父の影を務め自らも兄の子カンクシを養子に迎え己の影としたか…オシマコトの生まれは日嗣の272年前…子のウマシウチがタケウチを生み再度登場は"ミマギ"の神名フミ流失か…関与したのは…ウジマロの手引か採銅所の新羅ヒメコソからの筑紫征伐要請を受けた後の典曹人紀のウナデ(无w'u□弖テ・江田船山古墳)か…ヤサカタカヨリも…そして14歳で八十物部十二司を賜りイワツクワケ(イワイ)一族と筑紫平定に向う記紀から消されたクスコ… それと タケウチのホツマしるべも策略のニオイがプンプンと…。あと少しですネ 頑張ってください😄
ありがとうございます😊 カンタケさんの日嗣は随分と早かったのに比べ オシロワケさんの81歳は遅くて不思議でしたが、そんな事実があったのですね。 38文ではヤマトオシロワケさんの国平定の巡行がリアルに描かれ、この方のおかげでホツマツタヱが遺ったことが感慨深く、原稿作りもいつもより時間がかかりました。 クスコさんに関して、2012年の例大祭に行った時に、伊勢神宮から神楽が奉納され、その時に町長さんからいろいろお話を伺いましたが、当時は意味がさっぱり理解出来ず。 でもこうしてホツマツタヱとじっくり向き合ってきてようやく繋がりました。 その時にいただいた由緒を転載すると 「由緒 伊邪那岐命・伊邪那美命・久須姫命の3柱の神であり、これに、村社八柱神社・八重垣社・若宮社・神武天皇社・恵美須神社・山神社・浅間神社・秋葉神社・水神大明神社・小田神社・弁財天社の11社を合祀して、明治40年11月21日に、楠御前八柱神社と単称する許可を受け、現在に至っている。」 現在は八柱の中にクスコさんのお名前が見えず 記紀からも消されていても、ホツマツタヱにはしっかりと遺って。。 先日、高島の日吉神社にお参りしてきました。40文が終わったらホツマツタヱの奉呈文を原文で朗読して。その時の映像にと考えています。 むっちゃん先生の動画から武内宿禰が長生きだったのは世襲制だからと思っていました。 その謎が今回のアヤで語られていましたね。 面白かったです。 そうそう。 今回のアヤの中に、「身を綾取って」とありますが 縄文時代の顔まで入れ墨を先住人の情報があって、 国平定は国を奪うこと?支配?って思いました。 あと少し!ゴールが見えて来ました。 何とか誕生日までにゴールしたいと思います。 頑張ります。ありがとうございます😊
@@isenoshimako 津軽西浜に漂着した大勢の晋の群公子一族(後の5人国造'倭五王')を見たナムチの後裔の子供たちが"ヱミしい"と親たちに知らせたのが目に浮かびます…"絵身しい"と"笑みしい"のかけことば…。😄東日流外三郡誌より
そうだったんですね。いつも教えてくださりありがとうございます😊 笑みしいが語源だと、ほっこりします🍀 争わず、もうこれ以上、戦いが起こらない微笑みを交わし合える平和な世の中であると良いですね😊
恵那山のえなは胞衣から来てるみたいですね 日本武尊さまが胞衣を納められた所 でも隠されているみたいです 実在する天皇家の歴史 神武天皇以前の天皇の歴史と天武天皇の時に書換えられた歴史 古事記・日本書紀の神話 饒速日命さま 瀬織津姫さまは 名前を変えられ歴史から消されてますね 天皇家の歴史と神様の歴史は時の権力者達の都合で 明治 戦後に日本人大和民族が目覚めない様に教えられて来てますね
コメントありがとうございます。 ヤマトタケさんの胞衣も納められているとは知らなかったです。 教えてくださりありがとうございます。 恵那神社周辺にはイザナミ様が休まれた場所や、血洗池 跡地もあるようです。 伝承地に御祭神の名前が変えられていることもありますが、なぜかわかります。 ホツマツタヱを読んでいるからなのでしょうね。 現在、ちょうどヤマトタケさんのことを調べていて、明日は静岡に行く予定です。 ホツマツタヱもクライマックスに向かってます😊
貴女様の動画に心の安らぎを感じております。ありがとうございます。神道はユダヤ(原始キリスト教)に行き着きますね。日ユ同祖論も真実味をおびて来ますね。
ありがとうございます。 数年前までは 外宮と内宮を繋ぐ御幸道路に、十六菊花紋と六芒星が刻まれていました。 地元の人でさえ、このことを知っていた人は少ないかもしれません。
とても分かり易く拝聴しました…「スマヰの里に''ハニワ"なし…」が記紀から消され陵の''ハニワ"に植えた立物が明治に入り埴輪土偶から埴輪にされ…''チ"ツルギも記紀''一千口"と漢訳され前代未聞作れないし社に納まりません…余談ですが…小さな祠の''こうやの宮"正式名称磯上(イソノカミ)物部神社で"チ"ツルギを持った神像が発見されています…垂仁39年天鈴727年ヱト''サシヱ"干支"丙子"(注:日本書紀では太歳の干支"甲子"を"キアヱ"としたので大陸の干支と6年差の"庚午"になってしまう)西暦436年十月ヰソギネ数え22歳"カマハダ"の闘鶏を見て"打身で作る"(注:鍛造で作る羽の形の難しさからあえて補足)"アカハダカトモ"…日本書紀では"亦名日裸伴"日本語訳"あかはだかとも"は原本カンニング?…😄お疲れ様でした
ありがとうございます。 埴輪と表現するべきか悩みましたが、埴偶と読んで良かったです💦圧倒的に信頼できる先生方のサイトのおかげです。 磯上物部神社を検索してみました。 確かに奈良の石上神社で貼り紙にあった七支刀を持つ神像の写真が磯上物部神社にあるのですね。その後、奈良の石上神宮に奉られたと書いていらっしゃる方も。 やはり大元は九州説が正解かもと思えてきました。地名は後からつけられたことも事実かもしれません。 原本カンニング、、今回の37文では盛り沢山でしたね。 なのに、神社の案内板には 古事記日本書紀に、、とあり ホツマツタヱは?と思ってしまいます💦 でもでも、現地で歴史に触れる旅。 今回も充実した2日間でした☀️
動画を有難うございます。 真実探求の先に、真(マコト)が現れて来て、日本人の覚醒(改心)へと繋がって行く、神一厘の仕組みなのだと感じます。 ※禊ぎ祓いの本質: 身魂の洗濯改心→詰まり意識の神化である事が見えて来ます。神化とは高次元意識に達する事(現在の取組みでいうアセンション)であり、縄文精神に繋がっていると思います。高次元意識が途切れ、低次元意識へと移行して来た流れが見えてきます。縄文平和から、物質主義(大陸基準)時代へと移り変わって来た流れです。 ※大きな3つの流入があります。 ①倭国(殷国)海部、忌部(シュメール、エラム)大海神の帰還勢力の流入があって、縄文時代が終わり、倭国大乱があって、「暫定的雛形」(暫定的岩戸開け)(トヨ)を出しています。アマテル男神が薄れて行きます。 ②徐福(エルシャダイ:大山神)北ユダヤ(物部系)流入があって、上書きが生まれています。 ③南ユダヤ(アマテラス女神)タルムード完成後の勢力の流入があり、大海神、大山神が上書きされています。この時点でアマテル男神は完全にお隠れになっています。 ※ワンネス宇宙世界(量子界:因縁因果世界)の概念があって高次元意識は成立します。対して結界、鬼門、鬼祓い、豆まき、etcの基準は、エゴ世界の基準を意味しています。これは因縁解消拒否の姿勢です。怨嗟エネルギー無視の立ち位置です。棚上げであり、現在の世界の行き止まり(臨界点)に繋がってる問題です。 ※そもそも結界が無ければ、「無責任なヤリ放題」は、自動的に制御される仕組みがあります。しかし結界を張った事で「無責任なヤリ放題」が大繁殖した流れです。 ※エジプト(タイタン族)敵視の負のエネルギーからユダヤ族は誕生しています。故に因縁を抱えています。モーセ側の物語だけでなく、裏側にはエジプト側の物語もあるのです。その因縁から「苦の学びの道」を歩み続けている構造です。更にバビロン捕囚の苦しみの中でタルムードを追加させて、ユダヤ教を完成させています。これらを端的に言えば「結界教」(旧約聖書)です。表現を換えれば、ワンネス法則からの分離する為の宗教です。 ※その分離からスタートした因縁因果の苦しみの中で「学びとる」事が要求されてる流れです。約40%を占める日本人にも繋がっている因縁因果の流れなのです。これは現在のイスラエル国家の問題とも繋がっています。世界の宗教(結界教)に繋がってる問題です。そして… ※大きく引いて遥か上空から眺めれば、各地の口伝、伝承、日本書紀、古事記、etcは、ワンネス世界から乖離した「物質界特化の、それぞれの立ち位置から見た見解」である事が見えて来ます。何れもが因縁因果法則から乖離した、「地上の物質界に囚われた見解」なのです。敵視、蔑視、etcの視点が可視界の現象に囚われてる証明です。不可視界を含めた宇宙の全体構造が見えていないのです。現象の奥にある「因縁エネルギーの流動」が見えていない流れなのです。見えないままジャッジしてる構造なのです。花の心、虫の心、雲の流れ、大気の心、etcを感じ取れる意識が、日本人には未だ残っています…。 ※見えてくれば「髙天原」という概念が、「?」となり、各勢力のマウントポジションである事が見えて来ます。何故ならばワンネス宇宙から乖離した髙天原は存在し得ないからです。そもそも縄文精神こそが髙天原(天)と繋がっていた構造です。 ※「支配する、マインドコントロールする、宗教する」は、低い次元の空間では底上げともなり、メリットもあります。しかしながら高い空間では、低次元化させるという問題を生みます。詰まり「支配する、宗教する」は、裏のお役目である事が見えて来ます。その「裏のお役目」が、表を担当しているという構造的な問題が見えて来ます。現在の日本人はこのマウントの問題について、「世界から多くの被害を受ける側」としても、つくづく味わってる段階です。因縁因果の仕組みなのです…。 ※徐福(物部)系は各地へと到達しています。その全てを「スサノオ」(個人名)と表現しています。都合の良い部分だけを別名で表現されている構造です。これは真に拘らない「大陸系のテクニック」でもあります。 ※改心があって、身魂洗濯があって、覚醒が始まる日本人の流れなのだと思います。逆を言えば、そこに到達しなければ「因縁因果によって延々と右往左往する囚われの学び」が繰り返されるだけなのだと思います。 ※日本には、そもそも社が無くとも「高次元意識」に繋がる構造が有ったのですから…。因縁因果の大仕組みの中で、「胸を張って生きれる身魂の神化」があったのですから…。
コメントありがとうございます。 アマテル神が男神であったことの終わりに そういう経緯があったのですね。 身魂の洗濯、一番大切だと痛感しております。 ホツマツタヱを読んでいると、永く平和だった縄文時代にどんどん渡来人が船で流入したことも伺えます。 良いことも悪いことも一緒に流入して。 旧約聖書との奇妙な一致など 不思議なことだらけですね。 だから惹かれるのかもしれません。 神道は、禊ぎ祓いを重要とする考え方で祭祀が行われていて 神宝が鏡であることも大きな意味を持っていると思っています。 私にとって本当に難しく、何度も続けていくことに自信を失ったりしましたが、 でも1話1話に、先人の教えを学ぶことができ、 このチャンネルを始めた当初に比べて、好転反応が起こるというか、人との関わりの中で見えない意識を感じ取ることが、今まで以上に敏感になった気がしています。 支配、コントロール、マウント 人間関係には付き物で、 でも、浄化と心の平和を意識していたいです。 私たちのご先祖様たちは元々は社もなく、ただ自然に祈ることをしてきたんですね。 因果を作らないように、清く正しく。縄文精神を取り戻さなければ。 大切なこと、教えてくださりありがとうございます。
@@isenoshimako 返信ありがとうございます。 現在の神社の実態も宗教化されてる問題があります。そもそも神とは「カミ働き」の事なのです。宇宙と繋がるエネルギー流動の事なのです。それが顕現化して、目に見える現象となるのです。 同じ様に「カミ働き」ができる様になるかどうかが「人間の霊性神化」なのです。ところが、カミの概念を偶像神化させて、「社」を造り、人間とは別な所に飾った時から、人間の内側からその働きが消えて、まるで「天から降って来る様な特別なパワーの様に感じてしまう」→依存症の人間を生み出して来た流れなのです。更に「天と地の間に介在して、直接繋がれない様な構造」を構築して来た流れなのです。 葬式はお寺、お祓いは神社に丸投げとなり、物質界に特化した「囚われの盲信と輪廻」が繰り返されて来たのです。詰まり、縄文人の霊性は低次元化(世界化)して来たのです。今の日本人と同じ流れです。これも因縁因果なのでしょう。 そもそも禊ぎ祓い自体が、本来ならば自分でしなければならない「身魂の洗濯・磨き」(神化)であって、「追い払う」様な結界儀式の事では無いのです。追い払ったとて、「因縁エネルギーは解消されない」のです。 従って、血縁なる系譜に囚われるという事は、物質界に囚われる事と同義なのです。ワンネス宇宙構造から見れば、極めて小さな「結界世界内の定義」だという事が見えて来ます。重要なのは系譜では無く「霊性」なのです。記紀編纂による記録は、「物質界における勝者側の主張」なのです。しかも勝者側によって操作された内容なのです。 ※そもそも霊性は、ある段階に達して神意識となり、別次元に移行となります。それ未満は霊人であり、霊界の次元を抜け出す事はできません。 人間は肉体を持った霊人の一形態に過ぎません。霊性は高次元〜低次元まであります。詰まり、霊界は霊界内で右往左往のドラマが生まれる構造にあるのです。低ければ低いほど、壮絶な苦の学びによる神化が求められる構造にあるのです。その中で何度も生まれ変わって神化している構造なのです。 その中に因縁の仕組みがあり、蒔いた種は何度生まれ変わっても、本人が解消する事になる「うれし恐ろし」(公明正大)の仕組みです。そして因果とは、原因と結果の仕組みの事です。この「因縁と因果の仕組み」(ワンネス宇宙法則)を、日本人が忘れて来た流れなのです。低次元化して来た流れなのです。 ※そして現在、もう棚上げが不可能な段階まで来たのです。解消されなかった因縁エネルギーが、臨界点に達しているのです。結界世界の崩壊です。後は、身魂相応の次元へと振り分けられるのです。お試しであり試験です。
確かに追い払っても解消されていないことに、最近気付きました。 そして、何度生まれ変わっても自分で解消しなければいけないことも気づき始めました。 一時的に因縁因果から逃げたとしても、また結局同じようなことで悩むのでしょうね。 そう考えてみると、自分の人生にも当てはまることがいくつかあり なんだか腑に落ちました。 ワンネス、意識したいと思います。 ありがとうございます。
趣のあるとても心が安らぐお声をしていますね。映像と共に心に安らぎをありがとう。
コメントありがとうございます😊 アフレコ、今だになかなかスムーズにいかず 録音と編集に時間がかかってますが 嬉しいコメントをありがとうございます。 残り4話 頑張ります😊
お疲れ様でした…サルタの"208万年"は693年…"8万年"は"26年"… 天鈴暦初キナヱから693年後日嗣から26年の天鈴714年ツヤトまで待ちました…余談ですが…この地球年三千倍の数字はシュメールやエジプトでも見られます…ティルス船団拒否でニハリの民三万人を湖伝いに20年かけて大陸横断案内して歴史に登場したサルタ…ニハリの民の到着でニニキネはようやくアマテルから三種が許された時70歳に…サルタは27鈴サアトから51鈴キアヱの天鈴初年までの462年と後の693年合わせて1155年もその名と共に授かりものも受け継がれようやくヤマト姫にバトンタッチして歴史上から姿を消しました…約束守ったハルナハタレ神はティルスに70年の罰を(旧約聖書1717頁イザヤ書23-15より)…。残り4章頑張ってください😄
おはようございます☀ 今回も最後までご覧いただき有難うございました。 この数字で、大抵の人がホツマツタヱは嘘と判断してしまう気がします。 でも、暦もそうですが、当時の数え方があったはずと思っていて、 それが地球年三千倍の数字がシュメール、エジプトに。 そうなんですか😳旧約聖書に。。 そうでしたね。旧約聖書と古事記の内容一致。 「ここに書いてあるんやー」の宇野正美さんの動画を思いだしました。 この数字を見事に研究して知識を得られているitouさんのような方々がおられ、 ホツマツタヱを残し守り抜いた方達も報われますね。 ありがとうございます😭 一般的に偽書扱いされている間は、私の動画もなかなか再生されにくいと覚悟していますが、 ゆっくりと時間をかけて、内容と伝承地の一致を、より多くの方に知っていただくきっかけになれば本望です。
2024年6月21日(金曜日☀21時17分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙇♂🙏⛩🌲
ご視聴ありがとうございました🙏
@@isenoshimako ハーイ🤗ありがとうございます🙇♂🙏
天気も最高で、心洗われます。気持ちの穢れ洗われました。 ありがとうございます。
コメントありがとうございます。 心洗われていただき良かったです😊
ワカ姫さまの神社 ヒルコさまとして生まれ住吉さま拾われ育て養育され、瀬織津姫さまと虫が増殖し稲🌾が和歌の霊力で退散させましたね。回り歌で好きにならられた方と結婚され大人になりましたね。嬉しいです😊☺️
女性から打ち明けるのは勇気がいると思いますが、その勇気のおかげで幸せになれましたね。 霊力、呪術 本当に叶えられますね😊
素晴らしい御朱印帳ですね。
ありがとうございます。 御朱印帳も沢山増えました。
カナサキさまはヒルコさまを拾われ我が小の様に慕われ回り歌、有名ですね、また海の水軍の長官となり皇軍の長官と天照さまに認められる働きもされた方ですよね⁉️ ありがとうございます。
はい。カナサキ様はハタレ退治でも活躍されましたね。 そしてアマテルカミの曲后 ハヤアキツヒメのお父様。 ハヤアキツヒメは大祓の祝詞にも。
天照さまの奥さまにと豊受大神さま 推薦し瀬織津姫と思いましたが
瀬織津姫様は天照様の一目惚れでしたね❤️
そこで姉二人は自分と思っていたのに瀬織津姫さまが選ばれハタレ化し反落軍となって朝廷と戦いセエバイされました
2024年6月11日(火曜日☀5時56分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
ご視聴いただきありがとうございます🙏 引き続き36文も頑張ります🌟
@@isenoshimako ハーイ🤗楽しみです。ありがとうございます🙇♂🙏
とてもわかり易く拝聴しました…"シシアワ"アワの渦巻ヲシテから鳴門の"渦潮"かも…新羅からの入植地…南淡路の松帆銅鐸…鳴門南旧吉野川沿道銅鐸…ハザマ谷鏡の里からは日本最大銅鐸が…灘と丹波道に近い"クメタカミヤ"…鎌倉峰で焼けたか稲城…久米の地東に移りサホ姫の佐保神社が…余談ですが…垂仁二年シホノリ再度新羅攻めで高句麗軍をおびき出し深追いさせる間に任那が新羅を落とす作戦まんまと成功…かの空海もシホノリ探したか志保の里荘…そしてメスリ山古墳の鉄弓…ノミが賜ったカナユミか…見下ろす土舞台…ハニワの土俵'"カタヤケシ"だったのか…。お疲れ様でした😄
ありがとうございます☺️ 原文に「あわちししあわ」とあり、これまでに何度となく通過した印象に残る宍粟という地名。 地図と睨めっこしてみましたが ・・・そうなんですね。 クメタカミヤは丹波道ちかくにあったんですね。危うく奈良県の久米さんが祀られている神社を出す所でした。 原文が短いおかげで間違いを載せることを防げました。ありがとうございます🙏 サホ姫さんが祀られる佐保神社・・検索してみたら立派な神社ですね。機会がありましたらぜひ行ってみたいです。 カタヤケシ・・・ 以前兵主神社に行った時、「相撲神社」の看板を見て素通りしてました。 こんなに歴史的に名誉な場所があったのですね。 狭い道ですけど、崇神天皇からはじまり垂仁天皇から景行天皇へとこの歴史街道は重要な場所ですね🌟
画像麗しく拝見させて頂きました…お疲れ様…。😄
ご視聴ありがとうございました😊 両親が住む実家から斎宮まで車で10分ほど。 この斎王祭りも年々盛大に開かれるようになりました。 ちょうどホツマツタヱ36話の原稿を作ったところで、倭姫命のお話です。 どうしても群行の様子が撮りたくて、 雨も上がり良かったです。 斎王さんの群行が今年初めて竹神社にお参りされました😊 近くにありながら、知らない事だらけで 驚くことばかりです。 今度、祓川と神宮橋も探してこようと思います✨
@@isenoshimako 櫛田川のほとりには多くの宇治機殿があったようです…頑張ってください…。😄
斎王祭りの昼の部が終わってから斎宮駅の隣の櫛田駅の方に寄ってみたら、綺麗な川が流れていて、でも車を止められず、今度、祓川を見つけたあと行ってみようと思います。 教えてくださりありがとうございます🙏😊
出雲族はホツマツタエに忠実ですね。アワ歌にしろひふみ祝詞にしろ大祓い詞にしろ、磐座に鎮座された神々に祈願と感謝の中津国の民たち
はい。神話から学ぶことが多くあり 回を進めるごとに、いろいろなことを学ばせていただいています😊
2024年5月21日(火曜日☁12時49分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
ご視聴いただき、さらに コメントもありがとうございました。
京都府福知山市大江町の「天岩戸」があります。 その前でウズメ様は舞をご披露されたのでしょうね~ 大江山の近くに宮津市の「元伊勢神社」があるのも頷けます。
検索してみました。 凄いですね。行ってみたいです。 調べると山科区にも天の岩戸があるんですね。 宮津市の元伊勢神社⛩️ 情報有難うございます。
この章は記紀の漢訳改竄を明らかに…記紀から消されたシホノリヒコ任那派遣8年後再派遣が好太王碑と合致…391年干支"辛卯"がミマナの名を授けた年のヱト"キナト"瑞籬宮62年より日本書紀がホツマのヱト"キアヱ"を干支"甲子"にした誤りが実際は"庚午"…これで成務も仲哀も後の多くの天皇も消えて国体の維持が…しかし勇気をもって先人達の誤りを正さなければこの国の未来が…余談ですが…このモモソ姫は兄の君としての帰還を待ち続けた妹のミマツ姫…ホト(心臓の古名)を箸で突いたので大陸の陵を見聞した兄はその箸を置けとばかりに当時の箸置きの形に箸塚を…後年タタネコ末裔スエトシがホツマの典を献上した時既にタケウチの反乱が…タケヒの警護で信濃に落ち延びたタタネコとナガオ一族…ミマキの原としてヰソニヱを祀り自らも両羽神社そしてタケヒは望月の中山道に討伐監視の大伴神社が現在まで…シナノもシナがとれてナガノに…。😄お疲れ様でした
私も池田満さんが書かれた定本ホツマツタヱで 比較してみました。 この辺りの章は日本書記にも書かれていますが、ミカラヌシに関してもニュアンスが変わっていました。 そういった改竄も日本の歴史としてしっかりと残っているのですね。 個人的に、子供の頃から推理小説を題材にしたドラマが好きだったので ホツマツタヱの研究をされている方の本が大好きです。 ちなみにホトは心臓の古名だったのですね。 そしてホツマツタヱを献上した時に反乱が起きたのは、やはり不都合な真実だから。 消されることが真実・・・これはつきものですね。でもいつか明らかになってくるのは輪廻転生と関わっているような気がします。 39個の銅鐸の出土なんて、まさにその1つですね。 両羽神社、大伴神社 教えてくださりありがとうございます😊
ミマキの世の名前にはいろいろ深い意味があったのですね。 箸塚に眠るモモソ姫とはミマツ姫のことですか? 頭がこんがらがってきました😆 そしてソロリは徐福さんですか? 八重宮は八重垣神社のことですか? itoさんの前回いただいたコメントを読んで、 40アヤが終わったら、最初の序文のホツマツタヱを述ぶで締めくくりたいと考えていますが、 高島市の日吉神社に行こうと考えていましたが、両羽神社や大伴神社も無性に気になっています。 itoさんはどこがおすすめだと思われますか?
@@isenoshimako 真偽はともかく五七五の詩に入り込み思考を重ねて看破の道を辿ること…徐福の後裔に間違いはありません…後にタケダの地を賜り酒折と合体の武田信玄…ナガオの上杉謙信…織田信長もホツマと出会いアマテルのトの世を目指し竹千代に伝えたその出所が高島だったかも…。😄
ありがとうございます🙏 私も真偽はともかく、ホツマツタヱと伝承地や御祭神が一致すること、回を重ねるごとに驚いています。 あの織田信長でさえ、ホツマツタヱを知りトの教えを、、 研究はそこまで進んでいるだなんて。 嬉しいですね。 偽書扱いをされ無念の思いで死を遂げた人たちも、報われますね。
ここも難解な章…大変でしたネ…天鈴621年キナヱ…養子縁組か二母存命ならば歳はあげません…なぜ…登場するモモソ姫はネナト生まれ202歳…オオヒコはサミト114歳…ミナクチはモモソ生まれ年の初代宿禰…スエツミはツミハの末裔…ホツマの高齢を理解出来ない幼児期思考では偽書に…余談ですが…さつさ十九歌からこのモモソ姫は当時の事情をよく知る妹のミマツ姫か…タタネコ・シナガオイチそして"チ"ハラの大臣"カ"シマは疫病と共に大陸からか…19歳でミマギ(東方三博士)の一人として阿房宮に帰還したヰソニヱ …後年八王の乱で秦代からのネコの宮も大軍に焼かれて新羅に渡り命からがら糸魚川に辿り着き後年聖の君として追っかけに合うとは…。😄お疲れ様でした
わあーそうだったんですね。 でも、渡来人たちの祀りの慣わしの数々が、消えたものもあれば、連綿と伝わり残るものも。 宿禰さんといえば、第73世武内宿禰のムッちゃん先生の動画が大好きでした。 年齢に関しては、暦もそうであったように当時の歳の数え方があったのかな?と思っていました。 あーツミハさんの末裔だからスエツミ!納得です。 今回、朗読するとき、ホツマツタヱの後半を書いたタタネコさんのお名前の発音に苦労しました。 自分で読みながらもどうも オオタ タネコに聞こえてしまう。 発音にも重大な責任を感じつつ💦 魏志倭人伝との比較も面白いですね。 ありがとうございます😊
何時くらいから始めますか?
8時半からだと思いますが、皆さん早くから場所取りされてました。 二見興玉神社のホームページに日程が書かれていました。 ↓ futamiokitamajinja.or.jp/event/special/
俺も、逆に近畿地方に行くけど大変。ご苦労様でした。 神様に会いに行く為だから普通に行くのと違うのかも。
ありがとうございます。 この頃は車で行く自信がなくて、 かと言って電車の移動も不安でしたが 導かれるように行って来れました。 ホツマツタヱを読むことをきっかけに 関東や九州、島根県、四国まで行き一生の思い出になりました😊
トヨスキリの尊さんは天照さまの父何ですね。こんがりますね。伊勢外宮では食事係の神様と女性神と思っていました。
ホツマツタヱでは、トヨケさんはイザナミさんのお父様で、アマテルカミにとっての祖父になりますね。随分慕っていたことが、遺言でも理解できました。
ありがとうございます 豊受大神さまは天照さまの祖夫に当たる方ですね。トヨスキリの姫さんは応神天皇さんの娘さんでした。 中々混乱します
神功皇后にお建てになった神社さん
神功皇后も凄い女性ですね。 境内では、立派にお祀りされていました。
カナサキさまは近畿地方から 九州に任命地で晩年ですよね、先生ありがとうございます
伊勢神宮はホツマツタエ反対の立場と思ってましたが、尊重していますね。強力な大和朝廷の力が反映されていると思っていましたが瀬織津姫さまを妻と認め安心しました。一応
そうなんです。 私も瀬織津姫さまのことがきっかけでした。様々な神社の伝承が、ホツマツタヱの内容と一致することが多く驚いています。 また、日本書紀との比較も面白いですね。
ハタレを打ち払う、つるぎにも言葉の1つ1つに意味があるのですね。 しかしながら、大和朝廷は天皇皇位継承に自分の子、尊を平気で殺したり宮廷内は、欲望の満ち溢れ殺人など平然にされていた時代もありました。天皇自身がハタレになっても平然と務めである儀式を淡々とやって、ねじ曲げていた暗い時代もありましたよね。宮中は魔物の巣ですね
ハタレは本来、反対勢力のことをそう呼んでいるのだと思っていましたが、宮中も乱れる時代があったのですね。 権力争いなどで、闇雲に相手を否定したり、それは今だに小さい組織の中でも起こっていますね。 否定ばかりする人たちを見て、この人は狐が憑いてるのかな?とかホツマツタヱ的な発想で見てしまいます。 クシヒコさんのように真っ直ぐでありたいですね😊
ハタレは秩序が関係ないギャング、マヒァアですね。
はい。秩序がなく、困った人たちですね。 これからも文章の中に、時々信じられないような残酷なシーンが出てきます。 それが書物に残された本当に実際にあったことなのか疑問を抱くこともあります。 教えのための創作ではないか?と思うこともあるほどです💦
いえ大和朝廷は、大祓い詞に,様々な民法に刑法に死罪ありましたが、情状酌量の規定もあって許された人々も居たと思うけど、朝廷にいる氏族争いや豪族同士の一番に成りたい紛争に御門も巻き込まれて無惨な殺人などありますね。どの様に治まるか知りませんが、国民1%の人々の世界の事、何処が神聖とか天照大御神の末裔とか言いますが結局は貴族や高貴な1%の人々事です
ニニギネさまの活躍ありますね。筑紫や九州の水田開拓し姫たちを仲睦まじく暮らせと教えております、暴れオロチも退治された所は稔り豊かや森が出来て暮られ、徐々に豊かに開拓されてゆく日本列島の様子が微笑ましいです
はい。ニニキネさんの水田開発は、何と伊勢外宮の高倉山高い場所にも及んだのでした。 実際に外宮の禁足地である高倉山が見える場所から宮川が見えて、その水を引き込んだことがホツマツタヱで描かれているので驚きました😊 ホツマツタヱを、読めば読むほど日本の歴史に親しみを感じますね✨
研究者先生ですか? 失礼な疑問投げかけ、申し訳ありませんでした。研究に励まれて下さい
大和朝廷の時は進み、世継ぎを設ける為に時の御門天皇が身内の叔母と交渉持って、世継ぎとなる子供を設けてますが、これは近親相姦と思われます?大祓い詞に規定が罪として祀られてますが、お世継ぎ問題なので許される規定があったのでしょうか?天皇さんは番外な特別な立場人だから許される訳でしょうかね?正妻の他に巫女を側妻とするから同じで子供が出来たから喜ぶ所なのでしょうか?先生
ホツマツタヱと神社の繋がりを勉強中です😊 ありがとうございます😊
天皇家の世継ぎ問題は、常にあったのかもしれませんね。 開化天皇も咎められたにも関わらず叔母を娶り、崇神天皇天皇の時代に疫病で半数の人が亡くなったようですね。 その辺りのことが32アヤに書かれていますね。
新時代に生まれたコトバも多く難解でしたがとてもわかりやすい解説お疲れ様でした…この章で富士山の名の由来が解明され"野洲河原"の菅原神社では今でも噴火の溶岩流出を思い起こさせる火渡り神事が行われています… 余談ですが…実態のない"ケ"クニ…洛陽から長安の高倉…秦や漢の軍司のネコ…武帝や中山靖王と席を共にしたのか同時代のタケイイカツ…とくに劉勝には猛烈なライバル意識を抱かせたようで…後年疫病蔓延の黄巾の乱では臣民の移住騒ぎが…ネコヒコもヤマトクニクル?…。😄
ホツマツタヱのオシテ文字と漢字が一致することの矛盾に揺れながら、毎度、漢字で表現することの責任感がとてつもなく💦 それでも伝承地に建つ大正時代に設置された石碑などを見て感動しています。 境内には渡来人や仏教の影響が色濃く残り、やはり、東を目指して・・・ 様々な人種や宗教を受け入れ、それは現代でも。 野洲河原の菅原神社のような火渡り神事が、三重県の二見のお寺でもおこなわれますが、噴火との関係があったんですね。 ホツマツタヱも前半は富士山な滋賀県に、ホツマツタヱゆかりの神社が多く、後半は圧倒的に奈良県、大和政権に繋がっていくことが理解出来ました⛩️ あー。ますますこれからの展開が気になります😀
そしてついに竹内宿禰が。 ヤマトモモソヒメも。 TH-camで考察されているモモソ姫が ホツマツタヱではしっかりとわかっているのですね✨
お疲れ様でした…お気づきでしょうが20年サミトは30年…天鈴134年ツアヱでなくツアト…初めてケクニへ臣遣使天鈴173年ツヤヱ西暦118BCからいつまで続くか…タケヒトから6代オシヒトで君の諱ヒトの終焉…そして最も重要な明治政府も探せなかった神武陵…樫尾の洞に送られた33人の追い罷る者たちと共に眠る場所…樫尾菜摘の最初の"国見が丘"か…しかしこの地の式内川上鹿塩神社はなぜ樫尾五社峠に移されたのか…"カシオ"はタケヒトのあだ名でもあり元は夏のクロソノツモルの悪政から逃れた臣民の地で後に漢に支配され"カンカシ"と呼ばれた朝鮮半島からの帰化者の呼び名で何れにしても神武陵解明実証が記紀漢訳改竄をあばくことに…。😄
暦の間違いだらけに気付いておられるのが、凄すぎます。 私なんて、あれー合わないな。ずってるな。って思いながら語訳を進めています💦 そうでしたか、諱ヒトが終わった時期があったのですね。 天君はひふみよいむなやこと、、1から10まで、、「ひ」から「と」まで、 アマノコヤネさんなどはワカヒコ1から9まで、ひこ その程度の知識しかありませんでした💦 神武天皇陵が推定されるのにも歴史があったんですね。 記紀の改竄については、池田満さんの定本でホツマツタヱと記紀の比較を見た時も驚きましたが、なんだかやっぱり天罰が降る内容も学んでいるはずなのに権力のために改竄するなんて、凄く残念ですね。 その残念さが、現代まで尾を引くことになってしまっているのですね🥲 それにしても、こうして歴代天皇陵が宮内庁管理の元、存在していることが、決して欠史八代とは思えないですね。 Wikipediaも問題が沢山あるように思いますけど、そのうちもっともっと史実が公になっていく気がしています。 ネットのおかげで😊 興味深いお話を教えてくださりありがとうございます😊
年サナト初日サヤヱにサアヱは21日すばらしいです…これより540年前のサナト初日にオシヒトへ三種が…その年を待っていたのか…消えた新治宮造りの基ヱ神と八ミコのシュメール時代の暦からト神のヱジプトマアトの太陽暦そして大いなる太陽系のヤマト暦八七五隠ろ日の復活か…教科書では日本の暦は604年から…ではそれ以前の暦は歴史は…。お疲れ様でした😄
瀬織津姫が産んだ皇子オシヒト様の日嗣が540年後に、、、😯 何とも運命的な、偶然とは思えないような歴史ですね。 教えてくださり有難うございます。 原稿を作るときにお勉強させていただいている先生のウェブサイトに、暦の表が掲載されていました。 gejirin.com/src/Ho/hotumaweto.html itouさんやその方の豊富な知識から情報をいただき、いつも有難く思っております。 紀元節 あんなにも大勢の民が集まり祈り祝う様子を拝見して、日本の歴史、ますます学びたいと思いました🙏
日本書紀の誤り…キアヱを甲子としサナト辛酉革命で660BCの非科学的年表現代まで…実際は大陸干支とヱトは6年差キアヱ庚午サナト丁卯で233BCの427年誤差…カンヤマトイハワレヒコ…後世の不名誉なおくりな諡…外来漢字とヤマト読みの帰化人には理解不能の掛詞…人べん消された漢委奴国…カンが委ねた人でなしのヤッコの国とイワレて何も出来ないヒトの君に非ずただのヒコの臣…磐余は夏トヨクンヌ末裔箕子朝鮮1字の諱"磐"に付ける自称謙遜の余をワレと読む…ニギハヤヒらも諱明かさず末裔…後の名を載せ残すこだわりに…タカクラシタ…咸陽(長安)高楼南下の兵馬俑でお馴染み軍府陣地…ウサツヒコのチチ安芸チの宮タケチノコリやチの御前も…アカツチとタナゴ姫の遺恨が…睡眠薬を飲むのに"イソラなす"とかキヨヒト年数とかこの章は色々と…。お疲れ様でした😄
年代にかなりの誤差が生じてしまっているのですね。 なのでタケヒト45歳も怪しいのかもしれませんね。 アビラ姫はどうなってしまうのかも気になるところです。😊 称え名も複雑になっているのですね。 私は単純にホツマツタヱの記述に沿って、クシヒコさんと東征の上陸のときの場所を合わせて称えられ付けられたのだと信じて疑わなかったのでただただビックリしました。😀 やはり歴史は暗号だらけなのですね💦 ただ、天皇家は代々『ヒト』が続いていることが凄すぎですね。 ありがとうございます🙏
45歳でした…生まれヱト・サシヱから天鈴キミヱ…もうアカンと〜するタイは九州弁…アカン・タイ等とともに死にますの筑紫ウマシの鵜戸宮崎宮南三十二の一つアヒラ縣主の娘吾平港の姫のその後は不明…ミケ・イリとタ・ネコ後のケクニとタタ・ネコ…ネコの同意語ペルシャ…アレクサンダーとペルシャと咸陽…秦の建国年…思考回路でいつか答えが…。😄
アカンタイ、 クシヒコさんが罷る時、アカンタヒラ、 もうアカンわーって言いますもんね。 三重の人はイカンって言いますが、訛ったのかもしれませんね。 秦の建国年、お!繋がりますね。 つまりホツマツタヱを書いたのも渡来人ってことに。。 面白いですね😊 教えてくださりありがとうございます✨ 30章 次の原稿を作っていくのが楽しみです😊
とても良い動画配信ありがとうございます。明治以前の社殿形式。天照大御神様と瀬織津姫様がお二人並んで社殿が建てられる事を夢見ております。天照大御神様と瀬織津姫様がお二人力を合わせて政治を行っていた伊雑宮の直ぐ(1㎞ちょっと)の所に標識や案内も何もない佐美長神社はとても良い神社です。その境内からは縄文時代から古墳時代の遺物が出土しています。境内の一角に佐美長御前神がご鎮座されておられます。隠されて瀬織津姫様の御神体と言われております。
涸沼内神社、雪の降る寒い日で、雪下ろしの幕の『真』の文字に、真実を感じました。 昔は伊雑宮と佐美長神社を結ぶ道を御幸道路と言ったそうですね。 佐美長神社の奥の4つの祠は祓戸四柱ではないかな?と勝手に想像したりしたのですが、ネットの情報があまりにも少ないのが残念に思いました。 そうでしたか、瀬織津姫様の御神体が。 教えてくださりありがとうございます。 ホツマツタヱでは、瀬織津姫様は鏡🪞を持って天照大神様の御幸に同行されていますね。 昨年、伊雑宮の境内でご夫妻が、どこかの方向に向かって手を合わせておられたので、尋ねてみたら、 佐美長神社まで行けないのでここで拝んでいらっしゃるとのことでした。 地元の方で、足が弱くなってからこのお参りをずっと続けているそうです。 地元の人たちに語り継がれる、口伝みたいなものは、例え歴史書が書き換えられても、ずっと語り継がれていくのでしょうね🙏
@@isenoshimako様ご返信ありがとうございます。昨日何故かとても佐美長神社に 行きたくなり朝4時に家を出発(愛知県の東郷町)車で土砂降りの中行ってお参りして来ました。伊雑宮神社も直ぐなので伊雑宮神社と石神様と伊佐波登美命様をお参りして来ました。伊雑宮で手を合わせるとお内裏様とお雛様のイメージが出ました。心が温まりました。
愛知県からだと、わりと高速も混んでいませんでしたか? でも雨が降っていたおかげで、浄化力もアップですね⤴️ 元伊勢の滝原宮は天照大神と瀬織津姫様が並んでいますね。 伊雑宮もそうなると嬉しいですね。 倭姫旧跡地の写真で、伊雑皇大神宮と書かれたのぼり旗ぁありますけど、 ホツマツタヱ的には、イサワのスメラオオンカミの宮と読むのでしょうね✨
@@isenoshimako 様 朝はやく雨模様でもあり道路は混んでおりませんでした。2~3年前に行きました元伊勢の滝原宮は明治以前の真の形式で建てられていると私は最近知りました。お恥ずかしい限りです。そこの案内板?にはここ滝原宮の形式が真であると読む人が読めば分かるように書かれてあると聞きました。我が日本国の国作りをされた神々様は真を変えられたことをどう思っているのでしょうかね。
いつも貴重な情報をありがとうございます。 瀬織津姫様を消してしまったことがとても罰当たりなことですよね。 真実に従えば、また平和な世の中になりそうな気がしてなりません。 私たちの日常でも、権力、支配により嘘まみれ。。 禊ぎ、祓えを重要としてる境内ってとても落ち着く場所ですね。 お話が合って嬉しいです。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
とっても良い動画をありがとう。
ありがとうございます。 なんとか伊雑宮が本宮だったことを伝えたくて動画を作りました。 ホツマツタヱでは伊雑宮で八咫の鏡を拝みに人々が集まっていた時代があったようです。 17アヤの神鏡八咫の名の文の動画でお話させていただきました。
動画配信ありがとうございます。日本人のあらゆるものに神が宿る。感謝。陰と陽。祈りの大切さ。小さい子供たちから広まればいいと思います。
ホツマツタヱでは、ワカ姫様は玉津宮で最後を迎え兵庫県の廣田で祀られたようです。 ゆっくりと時間をかけて、再生回数が伸びることを願って、もっともっと勉強しながら伝えていきたいと思います。 コメント有り難うございます。
黒田静子(元内親王)祭主猊下が 大宮司以下を従えてお進み為さる様は圧巻
凛としておられ素敵すぎですよね。 この場所に近づいて来られた瞬間 ドキドキしました。
@@isenoshimako 天照大神。 元は大日霎貴尊。 は、そもそも 歴代大和の出雲神族(王族)の姫巫女により祭祀されていた女神さま。 皇室はまさに元出雲王家の流れ(継体天皇~。)ですから 今上陛下の御妹君が 祭主猊下は 理にかなっていると愚考、拝察します (大日霎貴尊。は、出雲(我が国)の女神、幸(サイ)媛命(イザナミ)の神格の一部。 天照大神荒魂は登美(向)の百襲日女命。 業績(瀬織(激しい争乱を終息させた)を為さった)~瀬織津日女命と奉る。 大和の神話(継体天皇より以前)は現在の皇室とはほとんど(直接)関係の無いもの。)
日本人なら本当にあった歴史「伊雑宮神訴事件」を知って於いても良いと思います。伊雑宮サイドが江戸時代に徳川義綱に直訴した伊雑宮こそが内宮であると訴え1663年伊雑宮サイドの神官達50名が島流しにされ!それでも今度は1676年推古天皇の推薦文と「先代旧事本紀・大成経」を刊行してそ本を持って朝廷に直訴したが偽書の烙印を押され元版を焼却された。そののち伊雑宮神官代表の大崎兵大夫と言う神主さんが暗殺迄された真実の歴史。ただ私の主観ですが内宮がいまの場所で噓偽り無いのなら「それなら一つの説として調べて見ましょう」とか「その説もありますととどめておきましょう」とか堂々としていればいいはず?古今東西知られては行けない歴史とか知られたら困る真実程捻じ曲げられ抹殺封印するのでは?と思います
詳しく教えて頂き有り難うございます。 私がホツマツタヱに興味を持ったのも、 天照大御神が実在した人で伊雑宮を内宮とし政りを行っていたことや、 晩年は宇治の伊勢で過ごして亡くなったことが描かれていたからでした。 10年ほど前に、御田植祭の撮影を依頼された時、責任者の方から、本当のことを聞かされていました。 そして、地元の方たちからも聞く機会がありました。 触れては行けない歴史。 そこに触れて生命を奪われた人たちがいるのも事実ですね。 しかし、やっぱり嘘を通すのには限界がありますよね。 偽書と云われるものが真実という気がしています。 そして本当の歴史がそろそろ開示されていく予感がしています。
@@isenoshimako 様ご連絡ありがとうございます。明治以前は神殿も天照大御神様、瀬織津姫様が並んだ神殿だったと聞きます。そのお二方の神殿にまたなったらいいのにと思います。
@@こーしゃん-f2s さん。そうですね。 せめて、多くの人に認知され、伊雑宮で天照大御神だけでなく瀬織津姫様と共に手を合わせて下さるといいですね😊 私の動画で28話の前半に全てが回想シーンのように語られるのですが、多くの方に見ていただくのには長い時間が必要なようです💦 でも大祓の動画は6万人以上の方に見ていただいているので有り難いです🙏
日本人なら本当にあった歴史「伊雑宮神訴事件」を知って於いても良いと思います。伊雑宮サイドが江戸時代に徳川義綱に直訴した伊雑宮こそが内宮であると訴え1663年伊雑宮サイドの神官達50名が島流しにされ!それでも今度は1676年推古天皇の推薦文と「先代旧事本紀・大成経」を刊行してそ本を持って朝廷に直訴したが偽書の烙印を押され元版を焼却された。そののち伊雑宮神官代表の大崎兵大夫と言う神主さんが暗殺迄された真実の歴史。ただ私の主観ですが内宮がいまの場所で噓偽り無いのなら「それなら一つの説として調べて見ましょう」とか「その説もありますととどめておきましょう」とか堂々としていればいいはず?古今東西知られては行けない歴史とか知られたら困る真実程捻じ曲げられ抹殺封印するのでは?と思います。
私は志摩市に住んでいて、伊雑宮の近くにある御師の家の100歳近いお爺さんが、「ここが本宮なんや」といい、お話を聞かせてくださり、まさにこーしゃさんのコメントに書かれているお話でした。 そして、御田植祭りの明治時代の写真も見せてくださり、情景は現在と変わらないものの、見守る市民が全員着物を着た白黒写真が展示されていました。 倭姫旧跡地にいると、ご近所の方が声をかけてくださり、ここが本宮と訴えた神官が毒饅頭を食べさせられた話をしてくださり、これはさすがにTH-camにはアップ出来ませんでした。 ホツマツタヱを読めば、そんな争いを防げたかもしれない。 せめて、志摩市に住んでいる人に、この話を知って欲しいという思いで、不慣れな動画制作にチャレンジしました。 常に直感で生きてる私にとっては、誘われるかのような毎日です。 東大阪で生まれ育ったのに、伊勢や志摩にご縁があったことが偶然とは思えず。 今は泣かず飛ばずの登録者数と再生回数ですが、いつかきっと自分にとってやってきて良かったと思えることだと思っています。 こーしゃさん、コメント有難う御座います。 きっと思いは同じ。 これらの出会いは全て導かれているのだと信じて疑いません。 そしてこの動画はシェアされ続けていて、きっと志摩市の方たちだと思うのです。 これからも私の動画を見守っていただけると幸いです。
三島から伊予へ行き来した事代の舘で誕生した新暦アスズ(天鈴)…五十鈴で神世終焉51鈴キナヱをアスズ21年とした旧世代末裔と新世代国府殿たち…そして歴史上その正体を明かさない"チ"一族とその御前の出現でいよいよ新時代へ突入…お疲れ様でした良いお年を…。😄
とてもわかりやすい説明をありがとうございます。 まさにそういうことなのですね。 雪の降る戸隠神社は素晴らしかったです。 予定が次から次へと入り、なかなか行けなかったのはこの日のためだった気がします。 新時代へ、どんなお話が待っているのか ワクワクしています。チの一族、初耳です。 今年は沢山のコメントをありがとございました。 いつもとても励みにさせていただいてます。 来年もどうぞ宜しくお願いいたします。 追伸、防滑の靴を履いたのに防滑になっていなく、ひとりスキーのように滑り降りていました🤣
日本は仏教ではない、神道の国なのです。
クリスマス、お寺でお葬式、いろいろな宗教を受け入れる寛容な国ですね^^
わたしは昨夜(2023年12月16日の午後9時から11時40分頃まで)、月次祭(つきなみさい)の由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)の模様を見学させていただきました。 夜の皇大神宮(内宮)は本当に幻想的でした。 翌日正午のこの奉幣(ほうへい)も見学したかったのですが、前日の疲れが残っていて、しかも今日の伊勢は体感温度が5℃(最高気温は9℃だが風が強かった)で寒かったので断念致しました。 この動画をアップロードしていただき、感謝いたします。ありがとうございます。
羨ましいです!今日、隣でご一緒した方が報道の方とお知り合いで、外宮の由貴夕大御饌を見学させていただいたそうです。 私もお知り合いになりたいです🙏 今日は荒祭宮のご神事の様子が見られて感動しました。 下がり藤紋、アマノコヤネさんですね。 私も旧姓は下がり藤紋でした。 どうぞお身体 お大事に🙏 ご覧いただきありがとうございました😊
4章6、15章22-24、豊受神 嘗事も真賢木の…アメナカヌシ月毎祭る和弊…11日は…520年の歴史春日殿から初代春日神そして末年末裔の月命日…😄お疲れ様でした
いつも有り難うございます。 外宮には多賀宮があり、本宮より高い場所に祀られているのはもしかして? itouさんのコメントを読んでそう思いました。 奉幣は、御本殿の次に多賀宮で神事が続けられます。 高倉山の禁足地になっている場所に高さ6メートルの古墳があり、古代祭祀が行われていたようです。 写真でしか見られないのが残念で気になって仕方ありません。 今日は内宮に行ってきました。 外宮先祭と云われることがホツマツタヱから見えてきますね😊
ヒカリさん、 おはようございます 今日もリモート参拝させて頂きます🙏 神様おはようございます 神様いつも私達を守り導いて下さりありがとうございます🙏🙏🙏 今日もヒカリさんのお陰で神様にお目にかかれました、ありがとうございます🙏 神様皆様の願と共に、私の願もお聞き下さいますようお願い申し上げます 私には、別れてしまったけれど、、大切な方、脳梗塞、脳症、延命治療を止めて、福岡のホスピスという施設に入ってしまった。どうか彼が施設内でも、笑顔、幸せ、痛みの無い日常がおくれますように、そして一日でも長く長く生きていて欲しいと願って降ります 神様彼を、守り愛して導いて下さいます様節に、節に、お願い申し上げます🙏🙏 ヒカリさん、一日一日寒く成ります お身体ご自愛くださいませ ありがとうございました
祈り🙏 きっと届いていると思います⛩️ 今日も一日、暖かくしてお過ごしください😊 ご視聴ありがとうございました🙇♀️
心洗われる動画を゙有難うございます。なぜか懐しく涙が出るのは何故でしょう。日本に生まれた事、私に起こった奇跡だと…幸せを゙感じています。
動画のラストで音楽が流れる鳥居の場面は、きっと遥か昔から私たちのご先祖様たちもあの場所に居たんだと思えてしまいます。 そしてもしかしたら私たちも大昔にそこに居たのかもしれませんね😊 懐かしさはきっとそれで😊
動画ありがとうございます。 歴史を紐解くにつれ、日本人として生まれ生きてることが奇跡に思えます。 日本弥栄。
ご視聴ありがとうございます。 はい。日の本、日出る国 日本。 古代の外国から見た世界地図は日本が一番東にあり、そこを目指したそうです。 感謝の気持ちがこうしてご神事にも残り続けることが伺え、私もそのことを知ることが出来て幸せです😊